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アダム・シュレシンジャーとビル・ウィザーズを偲んで


どうも。

本当は違う話をする予定だったんですけど、やっぱり先延ばしはできないので、やっておきます。

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ファウンテンズ・オブ・ウェインのアダム・シュレシンジャーと、ビル・ウィザーズ。この2人が亡くなりました。アダムはコロナの犠牲者でもありました。

信じられないですよ。アダムなんて、こないだリック・オケイセックが亡くなった時に「フォロワー」として紹介したほど、まだまだ若い人でしたけ痔ね。50代ではあったけど。ぞれでもここ20年以内の人だったわけでね。

彼の場合、FOWのベーシストなんですが、バンドの頭脳でしたからね。そして、日本でとりわけ早く評価されました。

この曲の入ってた、99年の「Utopia Parkway」ってアルバムはとりわけ日本では当たりましたね。あの当時はまだ、ウィーザーが活動止まってて伝説化してた頃で、ウィーザーの持ってた内向性をひときわ高く評価してたような繊細な人たちにウケてる印象がありましたね。

アダムの場合は、これの前に

トム・ハンクスが監督をした、それってそのあとあったんだっけ、非常に珍しい映画、「すべてをあなたに」で、ビートルズみたいな60sの架空の人気バンド、ワンダーズのこの曲を書いてた人としても話題になりました。

アダムは他にもIVYという別プロジェクトでも人気でした。

そして、そうしてるうちに

2003年にこの「Stacy's Mom」の世界的ヒットもあったりで。これで一般的には有名になりましたね。

あと、映画の方でも

2007年に、ヒュー・グラントとドリュー・バリモアの「ラヴソングができるまで」で、これも架空のアーティストの曲でこの曲書いてましたね。ヒュー・グラントがかつて一世を風靡した80sのエレポップ・スターだった、という設定が個人的にはすごくツボだったんですけどね。コンセプト的に、アダムもそこは面白がったのではないかな。

アダムとは、この年だったと思うんですけど、一度取材で直接会ってます。物静かな感じでありつつ、しっかり、雄弁にものを話す印象でしたね。ポップフリークの人なので、もう少し、その時に出たアルバム以外に脱線して話しておけばよかったなと今になってすごく後悔しています。

続いてビル・ウィザーズに行きましょう。

彼は70sのブラックパワーの時代のソウル・ミュージックの人なんですけど

このように、シンガーソングライター的な、ちょっと内にこもった表現ができる貴重な人でした。

最大のヒットはこの「Lean On Me」。1972年の全米ナンバーワンですけど、この曲は

1987年にクラブ・ヌーボーにカバーされて、これも全米1位になってるんですが・・・、オリジナルの方が断然いいよなあ(苦笑)。

そして僕が一番すきな「Use Me」.。これはアコギのブルージーでファンキーなリフがカッコいいんですけど、のちにミック・ジャガーのソロ・アルバムでカバーされてましたね。

あと、クールに抑制された歌い方をする人なので、のちにアーバン系での再評価が進みましたね。その一例が

81年にヒットした、この「Just The Two Of Us」。邦題「クリスタルの恋人たち」。これなんて、このクレジット、ちょっとあんまりですよね。アーティスト名義、サックス・プレイヤーのグローヴァー・ワシントンJrで、ビル、ここではフィーチャリング・シンガーなのにね。僕自身、少6のリアルタイムでこの曲聴いて、歌ってたのがビルだったのは90sに入ってから知ったくらいでしたよ。

あと、再評価で言うなら、これですね。

この「Lovely Day」ですね。これ、何がキッカケだったかは忘れたんですけど、リバイバルしてずっと未だにラジオで聞きますね。今、最大の代表曲になっているような気がします。

こうしたこともあり、ビルはロックの殿堂にも選ばれたりもしています。

2人とも本当に惜しいです。ご冥福をお祈りします。

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