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短期連載「なぜ僕は邦画を見てこなかったのか」① テレビドラマが充実しすぎて邦画がお呼びじゃなかった70〜80年代

どうも。

今日から3日間は短期集中で連載ものを書こうと思います。

題して

なぜ僕は邦画を見てこなかったのか


ズバリ、これでいこうかと思っています。

というのはですね。


今週、やっとこさで「ドライブ・マイ・カー」がブラジルでも公開されるんですよ。邦画の、アニメじゃないものが公開されるのって、ブラジルだと年に1回あるかないかですよ。それくらい本当に貴重なもので。これだって、もしオスカーに作品賞でノミネートされてなかったら、オスカーより前に映画館で上映されることはなかったんじゃないかな。それくらい、邦画、地球の裏に住んでると、縁がないものなんです。

ただ、ここ最近、ネット検索をうまくやると、意外に邦画の名作、見れることが判明したんですよ。日本の映像系のサブスクみたいに邦画の古いカタログは充実こそしてませんが、そこそこ有名なものは努力して探せば見れることが判明しました。

で、この際、「これまで気になってたけ見れて中った邦画、見ておくか」という気分になって、先々週くらいから邦画の名作、たくさん観始めたら、これがすごく面白いんですよ!「あ〜、、勿体無いことしてたなあ。今まで見てりゃよかったよ」って思うくらいに。どういう作品が好きになったのか、それも、この連載の中でおいおい語っていきますね。

で、そこで思ったんですね。

なぜ、僕はこれまで邦画を見てこなかったのか。

これを自分史と、文化年代史で合わせて考えると、一つの真理が浮かび上がってきて興味深いもの書けるんじゃないか。そんな風に思ったからなんですね。実際、すぐに3回分の小わけもすぐできましたしね。「邦画にハマれなかった理由」。それはきっちり3つに分かれて存在することも分かったので。

今回はその理由の第1弾。1970年代から80年代。ズバリ、僕が10代までのことに関して語っていくことにしましょう。

■とにかく「オヤジ臭すぎ」の当時の70年代の人気邦画

これ、ネット上で見つけたんですけど、懐かしいなあ〜。これ、80年代じゃないかな。北九州の小倉最大の繁華街の魚町ってとこの写真です。このチンチン電車、これ、1992年まで走ってて僕もこれで高校通ってましたけど、この写真の電車の前の建物、ここに東映専門の映画館があったんです。街て一番有名な映画館だったんじゃなかな。何せ一番人が乗り降りする電停の真ん前にありましたからね。

 そこに子供の頃、東映マンガ祭りを夏休みと冬休みに必ず見に行ってました。1970年代半ばの子供だったらみんなそれやってましたね。

ただ、マンガ祭り以外で邦画見に行くことはまず、なかったです。

だって、この当時の邦画の流行って

こういうヤクザ映画とか

こういう和もののホラー映画ばっかりだったんですよ。

この当時、東映が強かったこともあるんですけど、これが70年代当時の子供から見た邦画のイメージです。子供が好きになるとは思えないじゃないですか(笑)!!

あの当時って、映画館の真ん前に、手書きの看板作ってたんですよ。それの、マンガ祭り以外の時のワクワクしなさ加減と言ったら。もう、ムサいのしかなかったんですよ。

■日テレとTBSのテレビドラマの天下だった70年代

 ただ、映画見ない代わりに、テレビドラマは小学校の時からすごく好きだったんですよめ。

 しかも、僕の場合、世代的には80年代の方がティーンなので平均的にはそっちに思い入れが強い人が多い中、ドラマだと圧倒的に70年代が好みなんですよね。

まさにこんな感じですね。

もう、みんな見てましたね。時計回りで「傷だらけの天使(1974)」「雑居時代(1974)」「赤い激流(1977)」「飛び出せ青春(1972)」。この辺りは、夜の本放送じゃなく、夕方の再放送で頻繁にやってたので、それで見てました。特に僕の場合、7歳上の姉がいるので、彼女が小中の時に流行ったドラマですね。僕だと本当に就学前の年齢なんですけどね。

こういうのの方が80年代より圧倒的に好きだったんですよね。どう見てもかっこいい。共通して言えるのは、主人公になる人が徹底してアウトサイダーなんですよね。やっぱ時代がポスト・ヒッピーの時代で、規範にはまらずに生きていくのがかっこいい時代だったので。なんか、この辺りの感覚は完全に刷り込まれましたね。

やっぱ、ジュリー、ショーケン、マチャアキですよね。もう大好きで。僕の場合、GSは音より以前に、彼らがドラマやバラエティの花形スターだったかエア好きだった、というニュアンスですね。タイガース、テンプターズ、スパイダーズ。いずれも彼らを知った時には存在はしてませんでしたけど、ピンで大スターでね。

あと、この当時のドラマの音楽もこの3バンドが合体してできたPYGを母体にした井上尭之バンドや大野克夫バンドがやってましたよね。ショーケン主演ものから「太陽にほえろ」まで。


女優さんだと桃井かおり、風吹ジュン、秋吉久美子あたりですね。みんなヒッピー崩れっぽいというか、すごくかったるい喋り方するんですよね。あれが好きで。

あと、ロマンティック・コメディはもっぱ石立鉄男から学んでね。大原麗子が相手役の時がパーフェクトで。未だにこのジャンル、大好きなんですけど、僕の場合の源流はここですね。

あとはTBSの「赤いシリーズ」と、日テレの青春シリーズですね。前者は、百恵ちゃんを筆頭とする影のあるヒロインが逆境にめげずに克己していく姿がマンネリなんだけどグッときたし(笑)、青春ものは、いわゆる「飛び出せ青春」「我ら青春」みたいな学園スポーツものにプラスして、中村雅俊の「俺たちのシリーズ」ですよね。この辺りもポストヒッピー的で良かったんですよね。

80年代に入っても、トレンディドラマになる前まではやっぱドラマはすごく見ててですね。

再放送で見てすごく好きになった「岸辺のアルバム」をはじめとする、一連の山田太一ものですね。「アーバン・ホームドラマ」というか。あと、「思い出作り」とか「ふぞろいの林檎たち」みたいな、空虚な群像劇ですね。ここも影響ありますね。これは僕も家庭が離婚家庭だったので、そこでのシンパシーもありました。

あと、大映テレビが「荒れる中学」の時代に対応した路線ですね。「不良少女と呼ばれて」とか「積み木崩し」「スクール・ウォーズ」あたりの。このあたりは様式美的な良さもあって、さらに好きになってましたね(笑)。

こういうことばっかり言ってるから、僕、就職の時に日テレのドラマ部、青田の最終選考の手前まで行ったし、大映テレビに関しては内定もらってたりしてます。本当はNHKじゃなくて、断然そっち行きたかったくらいですよ。

・・って、話が思い切り脱線してる気もするんですけど(笑)、要は

映画館行かなくても、それくらい影響力の強いドラマがゴロゴロしてた、ということです。

 僕自身はそんなに見てなかったけど、「金八先生」もあったし「北の国から」もあったわけですしね。それだけあったら、映画館行かなくていいでしょ(笑)。

だからですね、こういうテレビドラマみたいな映画、もっとやれば見に行ったんですよ。そこがすごくイマイチでした。

■再発見してみた、この当時の映画たち

ただ、この当時に、「あの頃のテレビドラマみたいな映画が本当に存在しなかったのか」と言うと、そうではありません。見つけにくかっただけの話で。今回の再発見でそのあたりも掘っています。

まずは、これですね。「青春の蹉跌」(1974)。神代辰巳監督の名作青春映画、とされているものですけどね。そりゃ文句ありませんよ。ショーケンに桃井かおりに、音楽が井上尭之バンドで。これ、日本でもソフト化されたの、割と近年なんですってね。だから、前から名前だけ知ってて、伝説化してることも知ってました。「見れるかなあ」と思ってたんですけど、幸いにして見れました。

雰囲気はすごく良くて、「学園紛争の渦中にいた人のその後」も表現されてて興味深いんですけど、話の筋がモンゴメリー・クリフトの「陽のあたる場所」まんまなので、感動度がやや低くなったかな。ただ、神代辰巳には少し興味が湧きました。

それから「初月の濡れた砂」(1971)。これは昔から見たかった映画でしたね。何せ、「飛び出せ青春」に、ここからのキャストが主演の村野武範始め2人メインで合流しましたからね。というか、「飛び出せ青春」そのものが、その当時の映画で注目された人を寄せ集めて作った、結構、豪華なドラマだったことに気がつきました。

監督は藤田敏八ですね。この人、役者の起用とかファッション・センス、ロックの使い方とか、本当に上手いし、このほかにも「野良猫ロック」「修羅雪姫」、あと秋吉久美子の「赤ちょうちん」など、興味深い作品もあるんですけど、この「8月の濡れた砂」に関してはクソ映画でしたね(笑)。何がひどいかって、未成年男性によるレイプを「青春のほとばしり」として擁護してるような作品で。見ていてすごく気分が悪くなりました。一部で聞いたことあったんですけど、「時代感覚のあるおしゃれな監督だけど中身はない」というのは本当だと思いましたね。

 対照的に大傑作だと思ったのがこれでしたね。「青春の殺人者」(1976)。監督は長谷川和彦。もちろん、「太陽を盗んだ男」の人です。今まですごく見たかった映画で、今回やっと観れたんですけど、期待以上でした。

 僕らの世代にとって、水谷豊って特別な存在なんですよね。「傷だらけの天使」でのコミカルなならず者から、「赤い激流」での殺人容疑をかけられる不良天才ピアニスト、そしてそして、僕らの世代が小学校の頃に最も愛した純朴な「北野先生」ですよ、「熱中時代」の。まだ当時20代でこれだけ多彩に演じ分けができる才能、信じ難かったんですけど、そんな彼の若き天才俳優ぶりが堪能できる、息を飲む演技でしたね。あと、原田美枝子がハンパなく綺麗な上に、「頭弱そうなのに、人生を生き抜く生命力にあふれた少女」を完璧に演じているのも圧巻ですね、これ。

 あと、藤田敏八とは対照的に、レイプをあくまで「許されざる悪」として描いていて、この当時、ヒッピー時代から続く「大人達を信じるな(ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ)」の思想濃厚な、戦後から引き続いた大人への不信感。これがしっかり描かれています。それを両方合わせて、オイディプス・コンプレックスとして描いてるのがなんか「オーソン・ウェルズみたいでうまいなあ」と感心までしてね。

 長谷川監督はジュリーと文太の「太陽を盗んだ男」もスケールの大きな極上アクション・サスペンスでしたけど、この2作しか世に出していないというのは、この当時の邦画にとって最大の喪失だったんじゃないかと僕は思いますね。テレビに人気役者が根こそぎ奪われていく当時の時代の中で、しっかりメジャー感持って、ここまで意味の深い作品をエンタメ感を保ちながらしっかり見る人に届けている。最高じゃないですか!

 あと、「子供時分ゆえに、寄り付かなかった」と言ったヤクザ映画。今もそんなに積極的に見たくはないんですけど、「仁義なき戦い」(1973)、これはすごい傑作ですね!

 何がいいって、暴力表現がマックスに振り切っていながら、それと同時にヤクザの現実の世界での裏切りの応酬での息苦しさ。「こんな世の中だけど、お前ら本当に憧れる?」という、深作欣二のメッセージが聞こえてくるかのような感じが身につまされるんですよね。そんな不条理の世界を、菅原文太扮する広能省三が自分自身も間違いを犯しながらも、なんとか筋を通して壮絶に生きようとする。ここにやっぱり、強い共感が集まるよなあ、と思って見入ってしまいますね、これ。

 あと、今回、これが新しかったんだと思ったのは、これ、2年で5作出てるんですよね。このやり方、今のネットフリックスのリミテッド・シリーズの手法の先駆けですよね。1本あたりの時間も、今のKドラマの尺よりやや長いくらいで。それで5作だから、そんなに見るのも苦にならなくて。

 深作欣二は僕らの世代にはテレビドラマ・ファンにも強いアピールがあってですね。「Gメン75」も「傷だらけの天使」も監督しているわけだし。実は70年代のテレビドラマが優れていたのは、映画がビジネスとして苦しくなった際に流出した映画界の才能が、その才能を発揮したからだ、という話はこれ、本当でしたね。「傷天」にしても深作欣二、神代辰巳はじめたくさんの映画監督が絡んでいるし、大映テレビも増村保造はじめとしたかつての大映のスター監督が手がけていたりもして。「ああ、だからあの時代のドラマは良かったのか」と思うんですよね。

 あの当時のハリウッドみたいに、映画界がスター俳優を絶対にテレビに流出させない策を取っていれば、今と違った邦画ができていたかもしれないのになあ、とは改めて思いましたね。そうじゃなきゃ、映画界の有名監督がテレビドラマ撮ることもなかったでしょう。

そして、70年代邦画の「オッサンくさいイメージ」の最高峰とでもいうべき(笑)「男はつらいよ」ですけど、これに関しては「ある年齢超えると不普遍的に面白い」というのはわかってるつもりです。全部見るつもりはないんですけど、有名エピソードに限定してみてみようかなあ、とは思ってます。もともとコメディは大好きなので。

・・・といった感じでしょうかね。

明日は80年代の話の続き、それが90年代、00年代にどうなっていったかをお話ししましょう。












  































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