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ラナ・デル・レイ アルバム「Chemtrails Over The Country Club」  その背景と、そこで歌われた「音楽への精進」と「女性の力への賛美」について

どうも。

では、お約束したとおり

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ラナ・デル・レイのニュー・アルバム「Chemtrails Over The Country Club」、このアルバムについてのレビューをやりたいと思います。

もう、ラナに関してはですね。

前々作の頃から、このブログ恒例になってるところがありまして(笑)、僕もそれなりにプレッシャーは感じてたんですけど(笑)、ええ、今作もやりますよ。それに値する素晴らしい作品だと思うので。

ただ、前作「Norman Fucking Rockwell」のときもそういう書き方をしたつもりですけど、ラナ・デル・レイと言う存在は欧米圏にものすごい数の熱心なコア・ファンが存在する世界でして、かなり細かい研究対象にさえなっているんですね。そうした本場のラナ評の雰囲気を意識しながら書いてみたいと思います。

(1)中西部への移住と、短期の恋人の存在

まず、このアルバムですが、

2018年11月のカリフォルニアの火災が背景にあります。このことは実は前作でも一部触れられているんですけど、今作のM5「Wild At Heart」においてはっきりと

I left Calabasas, escaped all the ashes, ran into the dark
(カラバサを去って、灰から逃れて暗闇に逃げたの)

と歌われています。

それでどこに彼女がいたかというと

中西部

それが今作をフォーク色の強いアルバムにした理由のひとつになっています。

その中西部になにがあったかというと

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ラナがこの時期におきつあいをしていた男性、ショーン・ラーキンの地元なんですね。

この人が何者かというと、「Live PD」なる、警察のリアリティ・ショーの司会者で、彼自身も警察官なんですね。彼とラナは1年未満じゃないかな、つきあってたんですけど、彼の地元がオクラハマ州タルサなんですね。

そういうこともあり今回M3「Tulsa Jesus Freak」という曲があったりします。おそらく、その曲の次のM4「Let Me Love You Like A Woman」という、彼女にしてはそこまでひねりのないストレートなラヴ・ソングがあるんですが、このあたりが彼に関しての曲ではないかと思われます。

中西部でジーザスなんていうとコンサバな印象も残しかねないものですが、ただ、このショーンさん、政治的な見方に関しては何も残してないし、ラナ自身の曲でジーザス出てくるのは結構頻繁なので、そこを論じているものは見ませんね。

あと中西部にはM7「Not All Who Wander Are Lost」にもネブラスカ州リンカーンとの描写が出てきます。そこにも「私の名前の入れ墨を彫った、私のように神に語りかける男」という描写が出てきますが、これもショーン氏のことかもしれません。

(2)音楽で生きることの決意

ただ、今作でこのショーン氏のことが想像されるのは、せいぜいこの3曲ですね。それよりは、この表題にもつけた「音楽で生きることの決意」、これが色濃く出たアルバムとなっています。

それをもっとも決定づけているのがM6「Dark But Just A Game」と言う曲です。

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これはラナがプロデューサーのジャック・アントノフと、前作「Norman Fucking Rockwell」が最優秀アルバムにノミネートされたことで出席したグラミー賞のアフター・パーティのことを歌ったものです。

ラナはここに集まったギョーカイ然とした人たちに居心地が悪くなってしまい、思わず「Dark(おそらく、「最悪」みたいな意味での使い方)」と言ったんですって。そこをアントノフが「Just A Game(まあまあ、ゲームみたいなものだから)」と言ったことが契機となっています。

And that's the price of fame(これが成功の代償なのかしら)

ラナはこう歌います。最高の仕事をして集まったはずの人たちが、こんなみじめなパーティに顔を揃えるのはひどいことだとラナは嘆きます。

Wе keep changing all the time
The bеst ones lost their minds
So I'm not gonna change
I'll stay the same

私たちはいつも変わる。最高の人が正気を失う。でも私は変わりはしない。ずっと同じ。

この決意宣言が、このアルバムのかなりの肝です。

この思いがあるからなのか、「音楽と自分の距離感」が、このアルバムではすごく問いかけられたものとなっています。

たとえばM1「White Dress」は、音楽での成功を目指している19歳の女の子がカフェで夜勤のバイトをしている時に出会ったミュージック・カンファレンスに出席する業界人との切ない、おそらくは成就しなかった恋を描いた話になっています。

またM5Wild At Heartではこうも歌われます。

What would you do if I wouldn't sing for them no more?
Like if you heard I was out in the bars drinkin' Jack and Coke
Going crazy for anyone who would listen to my stories, babe
Time after time, I think about leaving
But you know that I never do just 'cause you keep me believin'

私がもう歌わなくなったらどうする?私が外に出てジャック・ダニエルズとコークを飲んでる時にくだまいてるみたいに。
辞めようとは何度も思った。
でも、わかってるでしょ。私がそんなことしないって。
だってあなたがずっと信じてくれるから。

ラナはキャリアの初期に引退したいとほのめかすことが少なくなかったんですね。そのことを指してると思います。

そして、それがM11For Freeになると

これはジョニ・ミッチェルのサード・アルバム「Ladies Of The Canyon」の曲のカバーなんですけど、彼女がここで歌ったのは「成功して、金のために歌うようになった自分」と「成功していないものの、すごくリアルな曲を歌っているある男性」を比較して、その男性のピュアなアーティスト精神をたたえた曲なんですね。この曲の精神性を、今のラナは受継ぎたがっている感じですね。

今回はラナ自身の強い気持ちを歌った曲が目立ちます。

M8Yosemiteでも「No More Candle In The Wind」(もう風前の灯なんかじゃないの)」と歌われています。このYosemiteは実は前々作「Lust For Life」のときの未発表曲なんですね。これを当時収録しなかったのは、「歌詞がポジティヴすぎて、当時の自分には自信がなかった」らしいんですけど、今回自信をもって収録、ということになりました。

(3)女性たちの持つ力への賛美

そして、このアルバム、ジャケ写での女性たちの集合写真でも示されているように、「女性の力への賛美」、これがすごく強いアルバムです。

その典型とも言えるのがM10 Dance Till We Dieです。

ここでは

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ラナが尊敬する四人の女性アーティストの名前が出されます。ジョニ・ミッチェル、ジョーン・バエズ、スティーヴィー・ニックス、そしてコートニー・ラヴ。

I'm coverin' Joni and I'm dancin' with Joan
Stevie is callin' on the telephone
Court almost burned down my home
But God, it feels good not to be alone

私はジョニをカバーし、ジョーンと踊り
スティーヴィーは電話をかけてくれ
コート(ニー)はもう少しで家を焼くところだった。
ああ神様。「私だけじゃない」というのはいいことよ

尊敬する女性アーティストがいたり、その人たちと交友を持てたりする自分はまだ幸せ、といったところでしょうか。

ジョーン・バエズとは「Norman Fuckin Rockwell」のツアーで共演してます。今回のアルバムがフォークの影響が強いのはこういうところからも見て取れます。

あと、スティーヴィーは「Lust For Life」のアルバムの中で共演してるし、コートニーとは雑誌の対談なんかもしたりして仲が良いんですよね。

それから今回のアルバム、若い女性アーティストと共演してます。

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M9Breaking Up Slowlyではカントリー・シンガーのニッキー・レインと。この人、インディのすごく評判のいいカントリーの人でラナと同世代なんですってね。

それから

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M12For Freeで美しい3声ハーモニーを聞かせているのはワイズ・ブラッドとゼラ・デイという女性。ワイズ・ブラッドはこのところのインディ・ロック界では本当に注目株の人ですね。自身の作品もそうだし、去年のキラーズのアルバムでの共演も光ってました。すごくクラシックとニュー・エイジのテイストをインディに持ち込んでいるんですけど、コンサバにならずに美しさを伝えられている人だと思います。ゼラはここから発見でしたね。

この三人聞いてると、フィービー・ブリッジャーズ、ルーシー・デイカス、ジュリアン・ベイカーのボーイジーニアスを思い出すんですけど、違った良さはあるんですけど、こちらには彼女たちにしかできない流麗さがありましたね。

(4)今作でのレファレンス

そして、ラナといえば、文学や音楽からの引用(レファレンス)、これを非常に多用する人として有名です。

前作がそれ、特に多かったんですけど、今作はちょっと少なめではありましたね。でも、一応あるので言っておきます。

まずM7Not All Who Wander Are Lost。このタイトルですが、これ、トールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目の詩の中の言葉です。こういう引用をラナはナボコフとかホイットマン、テネシー・ウィリアムズとかでよくやります。

それから

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M9Breaking Up Slowlyで歌われているのは、1960年代から70年代にかけてカントリー界の名物夫婦デュオだったタミー・ワイネットとジョージ・ジョーンズの二人についての歌です。「タミー・ワイネットみたいな終わり方はしたくない」「ジョージは逮捕されてしまった」と2行で端的に関係が歌われるんですが、これは夫婦喧嘩でジョージ・ジョーンズがタミーをライフル持っておいかけて逮捕されたことを指しています。「別れはつらいけど、こんな風になるまで関係を続けたくない」という話です。


(5)音楽面での進化

ここまでは創作上の背景と、歌詞について話しましたが、音楽的な進化ももちろん見逃してはいけません。

M1White Dress。アルバムからのシングルですけど、ここでのいつになく高い声をしゃがらせて声をひっくり返す、いままでにない歌い方をしています。


それから、M10Dance Till We Dieの後半。3分近くから、これまでのラナにない熱唱が聞かれるんですよね。こういうところでも、これまでのスタイルの殻を少しずつ破りはじめているラナを確認できます。

あと、フォーキーな作風ではあるんですけど、アンビエントのゆらぎを表現することですごくモダンな手触りにする努力もしてますね。このあたりはアントノフの手腕が光ります。あと、「Norman」のときから曲のロングジャムがすごくグルーヴとクリエイティヴィティを高めたりもしているんですけど、タイトル曲のM2Chemtrails Over The Country Clubの長いアウトロでもそれは生かされていましたね。

(6)数か月後にもう新作?

今回のアルバム、ざっといえば、こんな感じでしょうかね。前作「Norman Fuckin Roclwell」は2019年の年間ベストの1位に、世界の本当にいろんな媒体で選ばれてましたけど、それから1年9ヶ月しか経ってないのに、もうこれだけの充実作を出してくるんだから恐れ入ります。

が!!

なんと、もう次のニュー・アルバムが控えてる???


それがコレです!

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もう、タイトルまで決まっています。「Rock Candy Sweet」。しかも、それに合わせてアーティスト写真までもう作ってあるという笑。この発表をインスタグラムで今回のアルバムが出た次の日にやったんですからね。「えっつ?!」って感じですよね。もっとも「Norman」が出た時も「White Hot Feverというアルバムが来年出る」と言い切ってましたからね。結局、このWhite Hot FeverはM3Tulsa Jesus Freakの仮タイトルだったみたいですけどね。

しかも、彼女曰く、6月1日に出るそうです。これに関しては実は、彼女のインスタのフォロワーもフェイスブックのグループのメンバーも思い切り半信半疑です。「本当に出るの?」「冗談で言ってるんじゃない?」という意見も実際に聞きます。

ただ、彼女曰く、この次のアルバムというのは

僕が1月に書いたこの記事、ここでラナがすごく、あたかも人種差別者的な疑われ方をしたことに関しての彼女曰く「リヴェンジがしたい」アルバムなんだそうです。まあ、少なくとも曲はだいぶできてるんでしょうね。

それにしても彼女、メジャーでデビューしてから9年でアルバム6枚、EP1枚という、今時、日本でしか活動していない邦楽のバンドでさえ、こんなコンスタントにマメには出さないですからね。さらに去年にはポエトリー・リーディングのアルバムまで出していたりもして。本当にこの溢れ出る才能には感服するばかりですよ。





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