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短期連載「なぜ僕は邦画を見てこなかったのか」 ②サブカル化した邦画だけど、海外のソレと何かが違う

どうも。

では、昨日に引き続いて、「なぜ僕は邦画を観てこなかったのか」、その理由の第2弾、いきましょう。

昨日は、70年代の邦画のイメージが「ヤクザ映画にホラー」と、あまりにも親父くさかったこと、それから、この当時に日本のテレビドラマが全盛期だったことで映画館まで行って方が見る気がしなかった。それを理由に挙げていました。

今回の第2の理由は

サブカルとして、正直、いまひとつだった


これについて語っていこうかと思います。

80年代に入って、さっき言ったような「ヤクザ映画とホラー」という、むさいイメージは邦画からは無くなります。ぶっちゃけ、もうそういうものの人気は無くなりましたから(笑)。代わりに人気出たの、角川映画とかのいわゆるアイドル映画ですね。これで一部若年層を取り戻したイメージはありました。

ただ、映画業界そのものはすごく苦しかったようですね。それは、「撮られる映像」見て、子供でもなんとなく察せられることでした。あの時、流行ってた邦画見ても

https://www.youtube.com/watch?v=zv6QhebVaQQ


こういう、小さいセットがほとんどの、低予算映画がすごく当たった印象ありましたね。

僕の持論として、「良い映画を作るのに莫大な費用は必要ない」というのがあります。こういう、こじんまりとしたタイプの映画も良いとは思います。
ただ、流行っているものがこういうのばかりだと、その一方でハリウッド映画見てる感覚からすると、「なんか急に、こじんまりとした映画ばっかりになったんだな」と正直思わざるをえませんでした。

あの時のハリウッドの大作映画は好みでなかったとは言え、それでも中規模予算のドラマなら大好きでしたからね。

同じ頃、ハリウッドも青春映画ブームでしたけど、こういう「ブレックファスト・クラブ」とか「プリティ・イン・ピンク」とかのジョン・フューズものの方が圧倒的に役者、脚本、音楽の使い方、華、いずれも上回ってましたしね。あと、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をはじめとした一連のマイケルJフォックスの映画だったり、マット・ディロンとかを主体としたブラットパックとも言われた青春モノ、80s後半になるとリバー・フェニックスとかも出てきましたけど、若いオーディエンスつかむ要素満載だったんですよ。

だから、申し訳ないですけど、わざわざ相米慎二とか大林宣彦の映画見る必要なかったというか。やっぱハリウッドのティーン映画に比べて安っぽい印象はぬぐえなかったし、さらに言うと、「日本のテレビドラマよりも予算ついてないんじゃないか」という疑問も正直感じてましたね。昨日も語りましたけども、やっぱり、出演者にしても、絵の撮られ方にしても、80年代、ドラマの方が圧倒的に華があったんですよね。

ただ!

80年代の末になって、邦画に追い風が吹くことになります。それはトレンディ・ドラマでドラマそのものが急速につまんないものになったから。

これは僕自身にとっても大打撃でしたね。すごく作りがいい加減になったというか。すごく「芸能界主体」が進んで、ドラマの配役が、歌で売れなくなったアイドルだったり、CMやグラビアで売る人たちが主役のメインになったんですね。それまでの、実力のある役者さんがどこかに追いやられる形で。世代交代のやり方としては最悪でしたね。

あと、昨日も言った、ポスト・ヒッピーの時代のアウトサイダーみたいなタイプの人がドラマの主役から外れて、世相の描き方としても規範を外れた人もなかなか描かなくもなって、当時の浮ついたバブルの軽い世相描くようになって。これ明日話すことですけど、例えば同じ好景気でも60年代の頃の邦画はまだ「豊かになったけど、その代償で失った日本人としての美徳」みたいなものを風刺で描いたりもしてたんですけど、そうしたものを感じさせるのもごくたまにしか見ませんでしたしね。

 だからなのか、やっぱり同じように、あの当時の日本のトレンディドラマ嫌って見ないような人たち向けに邦画が求められた側面、あったような気がします。

 そこで、例えば北野武という、救世主的な邦画ブランドが出来上がったのが90s前半でしたね。彼に関しては明日話す予定なんですが、その他にも、例えば役所広司、渡辺謙といったあきらかにうまい役者さんが邦画に軸足のある活動展開したり、サブカル雑誌が永瀬正敏とか浅野忠信とかに注目し出したり。とりわけカルチャー雑誌が邦画をサブカル的に扱うようになりましたよね。これで、邦画のイメージがかなり良くなったことは確かですね。

ただ

同じサブカルなら、当時の洋画の方が強かった!


これは残念ながら、そうだと言わざるをえませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=IPMK9nAIt1s

やっぱ80s後半だったらヴィム・ベンダーズとかジム・ジャームッシュいましたしね。洋楽ロック・ファンなら彼らの映画見なくちゃいけないみたいな雰囲気もあって、面白いかどうかもよくわかってないのに見てましたからね。あと、それにガス・ヴァン・ザントとか、ビッグ・イン・ジャパンのイメージもありましたけどハル・ハートリーなんかもいましたね。

決定的だったのは、やっぱりクエンティン・タランティーノでしたよね。批評的な斬新なストーリー展開といい、ポップ・カルチャーの随所へのまぶし方といい。とりわけポップ・カルチャーの引用具合でいうと、邦画、太刀打ちできないんですよね。これは、この当時が、ということではなくて、もう歴史的なレベルで。

https://www.youtube.com/watch?v=8LuxOYIpu-I

で、イギリスからもダニー・ボイルが「トレインスポッティング」で出てきたり。

それから

やれウェス・アンダーソンだポール・トーマス・アンダーソンだミシェル・ゴンドリーだ、たくさんインディ経由の才能、あふれ出たでしょ?こういう人たちはストーリーで、映像で、すごく酔わせてくれるんですけど、僕の立場から言わせると、

劇中でのロックの使い方!


もう、これが天才的にうまい!これを、インディ映画の新しいアイデンティティにまで高めることに成功してますね。

こういうのが残念ながら、日本の映画からは感じられないというか。

この辺りが限度なのかなあ、と言う印象を持ってましたね。石井総悟の方は、「ストーリーさえまともだったら、もう少し見れるんだけどなあ」と言うのはあり(笑)、音楽の趣味的には嫌いではないんですが、岩井俊二のは「世界の一流どころと比べてしまうと・・・ゴメン」という感じは否めなかったというか。

で、2000年代入ると、韓国からパク・チャヌクとかポン・ジュノが斬新な映画作ってくるようになりましたよね。これは僕も2000s後半に遅れて見はじめたんですけど、かなり衝撃的で。

 だから、いくらサブカル界隈で注目されようが、サブカルそのものを追う人は多くの人が世界に目を向けるわけで、そういう人たちを納得させる邦画がどこまであるのか。そこのところが問われてた気がします。

・・・と、僕が日本にいたのはここまでです。

そこから先は、日本の映画は年に1回、ブラジルで公開されるかされないか、そんな状況です。

が!

どうやら、日本の映画の状況は良くなってるらしい!


そういう雰囲気がネット越しに僕に伝わってきていました。

と言うのは、それこそ僕が上記で言及したような、普段、海外のサブカル映画追ってるような人たちまで邦画の話題作を褒めるようになってきていたから。

まだ見てはないんですけど、「桐島、部活やめるってよ」とか「カメラを止めるな」とか「シンゴジラ」とか。その話を聞いて「へえ、そういうもんなんだ」とは漠然と思ってました。

で、そこに

「ドライブ・マイ・カー」の世界的快挙があったわけで。それで気になって、邦画の歴史調べたり、気になってた作品をみはじめたりしているわけです。まだ、ここ最近のに追いつききる前に、この映画、土曜日に見るわけですけどね。

・・といった、とこですね。

明日は最終回。「日本の名映画監督をカタログで探求する時の壁」について話そうかと思います。


























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