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「Kid A Mnesia」を聞いて改めて思う、「あの頃のレディオヘッド」

どうも。

これが話題ですね。

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「Kid A」と「Amnesiac」の2枚を足して未発表曲を足した「Kid A Mnesiac」。もちろんこれは

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レディオヘッドの編集アルバムなわけですけどね。20年前なんてついこないだと思ってましたけど、こうやって、2000、2001年頃の彼らの写真見ると若いですね。

 これを話題にする人が僕のSNSではやはり非常に多いですね。僕もこれまでの人生のうち、書くことがもっとも多かったバンドのひとつなので語っておくことにしましょう。

特に「キッドA」は、しばしば「2000年代の最高傑作」との言われ方をするアルバムだし、「ロックの金字塔」と謳われ続けているアルバムです。僕も、その評価に対して反対意見をあげる気はないです。時代とロック史を代表する傑作であることは認めます。

が!

「ロックを変えた作品」だとは、今日まで1日たりとも思ったことはない。


ことも事実です。

だって、「キッドA」が出たからって、世のロックの趨勢が、ああいう、先進的なエレクトロニカのサウンドになったってことはなかったですからね。あれだけ、突出して商業的に成功してただけで、似たような他のサウンドがメインストリームな音楽市場で受け入れられていたわけでは決してなかったから。

 あと、あの音楽を模倣するには難しすぎて他のバンドたちがついていけなかったこともまた事実なんですよ(笑)。だから、孤高にならざるをえなかったし、彼らの後に何かムーヴメントが続くことがなかったんですよね。

その意味では

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デヴィッド・ボウイの「LOW」に近いアルバムだと思ってます。これも、どっちかといえばボウイのセンスが時代の先を行き過ぎてて、他のアーティストが追いつくのに時間がかかったタイプのアルバムだと思うので。今、聴いてでさえ、先進的な感じ、音の表現そのものはレトロになってるにもかかわらず、感じさせますしね。

 この「LOW」そのものがロックの流れを変えたわけではなく、直接ロックの流れを変えたのって、同じ1977年ならセックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」だったわけじゃないですか。やはり、よりストレートで、「これなら自分でもできる!」と思わせるものでないと、「ロックを変える」ものではないんですよね。

 それでいうと

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2001年の時点で「ロックの流れを直接変えたアルバム」ならストロークスの「Is This It」なんですよね。こっちの方が、やはり真似しやすかったんで。このアルバムが出たことによって、これまでグランジ以降の重低音重視だったギター・サウンドが軽量化して、ファッションが洗練されたでしょ?その意味ではこれ「勝手にしやがれ」的な変化だった。その意味で、1977年に「次のロック」の道筋が2通りできたように、2001年にもそういう流れが2つあったんだ、という風に僕はあのときも今もとらえてます。

 でもねえ、あの頃、レディオヘッドに「ロックを変えてほしい」、あるいは「ロックを殺してほしい」と希望するジャーナリズムって、実際あったのはたしかなんですよね。

 なぜか。それはやはり、ちょうど世紀の変わり目で「21世紀の音楽がどうなるか」というひとつの好奇心があったから。そしてもうひとつは、90sを支えたグランジを筆頭としたオルタナティヴ・ロック、そしてブリットポップの2つが終焉を迎えていたから。97、98年くらいのその喪失感ってロックファンの中では大きかった。だから、なにか「次の道筋」を作ってくれるものを、なかば焦って求めていたこと。これはたしかにあったかと思うんですよね。

 日本での99年くらいのポストロックとか、まだちょっと実験的な響きもあったエモの、小さなところでの局部的なブームもそういうものだったと思うんですよね。それが日本の場合はむしろ邦楽バンドに強い影響がいった感じがありましたけど、そういう人たちにとっては「キッドA」の存在って求めるものに合致しやすかったというか。だから、そういう流れだとより革命的に見えた、聞こえた、ということはあったかもしれません。

 ただ、前述したように、やっぱり、ああいう技術の必要なアプローチってフォロワーが少なくなるし、レディオヘッドは売れても他のバンドまで引き連れてブームになることって、やっぱりありえないんですよね。僕は「キッドA」を聴いた時、「孤高にはなるけど、喪失感のあとのシーンの牽引まではしてくれないアルバムだな」と思ったので、そこまで実は盛り上がらなかったんですよね。そこにストロークスの「Is This It」が来て。こっちの方がファッションの要素も非常に強かったし、このブログで何度も批判させてもらってる「ウッドストック99」でマッチョなミソジニー全開のニュー・メタル野郎たちがオルタナティヴ・ロックに対して行った陵辱行為を浄化する効果が強いと思った。日本だとそこ、ピンとこられてなかったんだけど、ことアメリカではそこの屈辱感、強かったんですよ。だから熱烈に支持されたし、僕もあの当時、そっちの道を選んだ、というのがあります。

 あと、この2枚のアルバムって

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ビートルズでいうところの「サージェント・ペパーズ」と「マジカル・ミステリー・ツアー」の関係に似てるんです。

「サージェント・ペパーズ」も「キッドA」も、シングルは切らずにアルバム全体で聴かせてるでしょ。ただ、同じ時期にシングル向きの曲も1967年当時のビートルズは作っていて、それが「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のシングルになり、そのあとに「愛こそはすべて」とか「ハロー・グッバイ」とか、その時代を象徴するシングルも続いて、それらが「マジカル・ミステリー・ツアー」には入ってて。

「アムニージアック」も、「マジカル〜」ほどポップなアルバムではありませんが(笑)、それでも「Pyramid Song」「Knives Out」という素晴らしいシングルが生まれて実際イギリスではヒットしてるし、アルバムそのものがより「歌」に焦点合わせたアルバムだったりしますよね。

 この補完関係がすごく、1967年のビートルズと2000〜2001年のレディオヘッドは似てると思ってて。その意味ですごく、「中期ビートルズ感、強いな」と今振り返って聴いてて思うことです。

 で、「サージェント・ペパーズ」も「キッドA」と同じ理由で、僕、あんまり好きじゃないんですよ(苦笑)。だって、「アルバムとしては進んでるかもしれないけど、曲そのものは強くない」と思うので。僕はですね、ビートルズもレディオヘッドも「楽曲重視タイプのバンド」の認識なんですよね。やはり、その両方には「すぐれた曲」をどうしても求めてしまうし、その意味で僕の気に入ってる曲というのがビートルズなら「ハードデイズ・ナイト」や「リボルバー」「ホワイト・アルバム」「アビーロード」、レディオヘッドなら「ベンズ」「OKコンピューター」「イン・レインボウズ」「ムーン・シェイプド・プール」の方に感じるんですよね。そこも不思議だけど、共通点だと思っていたりします。

が!

かと言って、「Kid A Mnesia」の頃のレディオヘッドを軽視しているなんて、とんでもない!


これも事実です。なぜなら、彼らの最高の時期は「アムニージアック」のツアーのときだと思っているから。

2001年のあのツアー、僕がこれまで見たライブの中でも屈指の素晴らしさでした!

日付がこの日だったかは覚えてないんですけど、このときの彼らの横浜アリーナでのライブは戦慄が走りましたね。

僕、この日、「もし、昔の曲をキッドA風のアレンジとか、前の曲を極端にやらなかったりしたり、ギター使わないとかだったらどうしよう」と思いながらライブに行ったんですね。

そうしたら彼ら、どの時代の曲もまんべんなく、アレンジもそれぞれの時代のままやりきった上に、あれだけサウンドが変わってるのに、微塵も違和感がなかったんですよね!

 これはびっくりしましたね。「そんなこと、可能なんだ!」と思って。これもひとえに、「キッドA」「アムニージアック」の2枚を「スタジオでの可能性」というところにとどめずに「ライブで血肉化してこそ本当の完成」としたからだろうと思うんですよね。その点では66年以降にライブをやらなかったビートルズよりも上手だなと思ってですね。

あと、「なんだ、キッドAってめちゃくちゃ熱いじゃん!」とあれを見て思って。そして、彼らはロックなんて全く殺してなかったどころか、「キッドA」も結局はロックの範疇でやったものじゃないか、と思ったんですよね。

 やっぱり、根本がロック好きなんで、僕はそこが嬉しくてですね。「ロックは死んだ」なんて言い回しをした人って、そのあとの音楽の末路がかっこよくない人がほとんど(ジョニー・ロットンとかスティングとか)でそこも心配してたんですけど(笑)、レディオヘッドはその轍を踏まなかった。そこも評価したくて。

 で、このツアーを経たことの表すべく、2003年に「Hail To The Thief」ってアルバムを出すものの、僕は個人的位は好きなんですけど、ただ、それでも、あの「アムニージアック」のツアーには及ばなくて。「やっぱり、あれは、時のマジックがもたらした瞬間的な奇跡的オーラだったのかな」と今にしてみれば思います。

 そんなことをあれこれ思い出しながら、これを楽しんでいます。





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