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連載「Girls In The Band〜ガールズ・ロック、バンドの歴史(洋邦対応)」②パンクが変えたロックの女性像と80年代

どうも。

では、連載「Girls In The Band」、2回目に行きましょう。

今回はズバリ

今回は1976年から1980年代いっぱいまでのガールズ・ロック、ガールズ・バンドに迫ることにしましょう。

①パティ、デビー、ティナ・・・。ロッックを変えた女性たちがニューヨークから。

こと女性のロック史において、やはり客観的に見て一番讃えられるべき時期ってやはり、1970年代のオリジナル・パンクの時期ではないかなと思うんですよね。やる気とセンスさえあれば女性でも自由に参加できる。それは音楽だけでなく、ファッションにおいてもそう。これがやはり大きかったと思いますね。ヒッピー・カルチャーからアリーナ・ロックに至るまでのバンド・カルチャーにおいて、「表現する方」にいつしか女性たちが場を奪われ、グルーピーとしてマッチョな男性ロックスターをもてはやすだけの存在に陥りかねなかったですからね。そういう図式を変えたのがこの時期のパンクな女性たちだったと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=PjvpLiS2gKA

パティ・スミス、ブロンディのデボラ・ハリー、そしてトーキング・ヘッズのベーシストのティナ・ウェイマウス。ニューヨーク・パンクの場合はこれにラモーンズとテレヴィジョンが5大アイコンですけど、そのうちの3つが女性絡みですからね。これは、それまでのロックの流れの中ではお大きな変革ポイントだったと思います。

パティやデボラの存在が、ロックにおけるヴォーカリスト、フロントのイメージの変革に寄与したことはいうまでもないですけど、ティナの存在も僕は見逃せないと思っています。ロックバンドの場合、楽器演奏でのフィジカルの差というのが女性を阻む要因となっていたところがありましたけど、ベーシストが一番入りやすいポジションであることを証明したのが彼女ですね。彼女が先駆となり、その後、数多くの女性ベーシストたちが誕生していくことになります。

②日本に大きな影響!ザ・ラナウェイズの衝撃

ただ、これはこの1976年当時、日本限定の盛り上がりだったんですけど、ガールズ・ロックでのセンセーションがありました。それが

ランナウェイズ!

この「チェリー・ボンブ」と、チェリー・ボムを明らかに表記間違えてそれを誰もただす人がいなかったのがいかにも当時の日本なんですけど、まあ、そんなことはどうでもよく、これがとにかく日本でだけ大ヒットを記録します。

もう、こういう風に日本のお茶の間にも出まくって、アルバムがオリコンのトップ10入って、シングルも切ったらこれもトップ10入った、という、今の洋楽だとなかなか考えられないような現象まで起こしました。この少し前に日本でスージー・クアトロが受けてましたけど、サウンドやファッション的な相性がよかったのかもしれません。

彼女たちはですね

モンキーズみたいに仕掛けられたバンドで、このキム・フォーリーという、かなり変態じみたマネージャーに操られていたわけなんですけど、ただ、セックス・ピストルズがマルコム・マクラーレンに操られながらも存在が一人歩きしたように、ランナウェイズもむしろ日本でウケた後に他の国で徐々に「ガールズ・パンクの元祖」とみなされて行くようになりました。

ここから

ジョーン・ジェットという、ロックの殿堂にも入って多大なリスペクトを受ける頑固一徹フィーメール・ロックローラーが生まれてもいるわけですからね。

そして日本にも少なからず影響は与えていまして

ガールズっていう、和製ランナウェイズが1977年にデビュー。これも作られたバンドで売れこそはしませんでしたが、こうやって「夜のヒットスタジオ」などには出てたわけです。ちょっと登場が早すぎ、カルト的にしか思い出されないものではありますが、日本の女の子たちがこうやってロックできることを示したことは前進だったと思います。ギターの人が、のちのジューシー・フルーツのイリヤでもあります。

③個性派女性が次々花咲いたUKパンク〜ニュー・ウェイヴ

そんなパンクがイギリスに本格的に渡っていくことになります。1977年って行ったほうがいいですかね。イギリスでパンクのアルバムが出始めるのがこの年でもあるので。

ただ、パンクロックだからってロンドンの場合、最初から女性参入率が高いわけでも決してなかったんですよね。最初の女性参加はこれですね。

このXレイ・スペックスですね。ヴォーカルはポリー・スティリーン。まだこの時、20歳だったんですよね。お父さんがソマリア出身でお母さんがアイルランド系で、この当時のパンクでミックスとはいえ黒人のパターンは初めてだったのではないかとも思われます。あと、このバンドはサックス担当も女の子でこちらは17歳だったんですよね。

Xレイ・スペックスはすごく有望だったんですけど、ポリーがお母さんから「もう、おやめなさい」と請われて辞めてしまった、という、これまたパンク初期らしいエピソードもありますね。

で、このバンドを皮切りにして女性のパンクロッカーも出てくるわけなんですけど、ただ、ピストルズがパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)になってサウンドがドラスティックに変わり、パンク・サウンドも多様化してそれがニュー・ウェイヴとも呼ばれるようにもなってきた頃です。

https://www.youtube.com/watch?v=Y-l9GQJRl9Y

スージー&ザ・バンシーズやスリッツ。ゴスやポストパンクの元祖ですけども、彼女たちがデビューする頃には、サウンドからファッションからかなり独創的に奇抜になってきていましたが、それが80年代になる頃には更に加速します。

こういう風に強烈なキャラクターの女性たちがイギリスのチャートの上位を賑わすようになります。

ケイト・ブッシュは本来ならピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアの紹介で音楽界に入ったのでプログレ扱いする人もいるんですけど、彼女のミステリアスでぶっ飛んだ音楽個性はニュー・ウェイブの時代にこそ大輪の花を咲かせましたね。

クリッシー・ハインドのプリテンダーズはネオ・モッズにも通じる60sのブリティッシュ・ビート風のパンクで英米でトップバンドになり、当時としては衝撃的に斬新だったモヒカンヘアのアナベラ・ルーウィン擁したバウワウワウはジャングル・ビートで時の人になりました。

そして81年8月にアメリカで放送開始されたMTVが人気を博すと、ヴィジュアル面で引きの強いイギリスのニュー・ウェイヴはかなり歓迎されたんですよね。そこでニュー・ウェイヴ女性たちが次々とアメリカに紹介されまして

ヒューマン・リーグやユーリズミックスと言った、女性をフィーチャーしたシンセ・ポップのグループが全英・全米で共に1位になるほど国際的なヒットとなります。女性はシンセポップにはすごく合いやすい傾向がありまして、アメリカでそんなに成功してませんけど、Yazooのアリソン・モイエもそうですね。

この「シンセサイザーとの相性の良さ」は女性ヴォーカルの可能性を広げまして、40年後の今もインディ・ロック、ポップの世界には女性ヴォーカルのシンセポップは「定番」と言えるほど多いものです。

そのルーツとして

ABBAやドナ・サマーの存在も忘れない方がいいでしょうね。


この他にも、シャーデーやエブリシングなどとバット・ザ・ガールにコクトー・ツインズ。こうしたのちにレジェンダリーな存在になるイギリスの女性たちがバンド・カルチャーの中から80年代の前半までに次々と飛び出して行っていたものです。

④日本含め、ニュー・ウェイヴが世界の女性に

パンク/ニュー・ウェイヴで女性たちが影響されたのはイギリスだけではありません。他の国にも飛び火してまして

東ドイツのニナ・ハーゲン、ポーランドのマーナム、リードシンガーの人はコラという女性ですが、スペインのアラスカと、いろんなキャラの濃い女性のニュー・ウェイヴ・アーティストが次々と出てきたわけです。

アイスランドでは10代でビヨークもパンクを歌っていました。

そして、それは日本でも同様です。

ジューシー・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」、矢野顕子の「春先小紅」、この2曲は1980、1981年のヒットですけど、歌謡番組見るような人の間でも誰にでも普通に知られたくらいの当時のベストテン・ヒットですからね。

ただ、この2組が「ニュー・ウェイヴを聞く人なら誰しもがマストで通るアーティストなのか」と言われたら、それはそうじゃないと思います。

PHEW、ZELDA、戸川純あたりですね。戸川純はtik tokで海外の人に今、発見されてるところですね。

⑤メインストリームで大きくなったアメリカの女性ロッカーたち

今度は80年代のアメリカ行きましょう。

デボラ・ハリーのブロンディが

1979〜81年の間に4曲の全米1位を出すほど影響力の強さを発揮しますが、ただ、ここで燃え尽きた感じもありました。

80s通しで人気あったといえば

並行してスタートしたソロ活動で本家フリートウッド・マックに負けない成功を収め出したスティーヴィー・ニックス

オペラやミュージカルの世界から半ば改造する形でロックに進出してアリーナ・ロッカーにグラミー賞もたくさん撮ったパット・ベネター

そしてハートですね。70年代にひと時代作った後、一度低迷したんですけど、80s半ばからのヘア・メタルのブームにうまく乗る形で復活。90s初頭までかなりの人気を博したものでした。

後、彼女も忘れてはいけません。ティナ・ターナー

彼女の場合はブラック・ミュージックの中では昔から少しオルタナティヴの存在だったというか。アイク&ティナ・ターナーの時代からソウルの文脈でも語れる人ではあるんですけど、60年代末から70年代の頭はロックのカバーで売れ、ザ・フーの「トミー」の映画でも爆発的な歌唱を聴かせ。その当時はかなり渋い売れ方だったんですけど、40代でソロで復活して一大エンターティナーになった当時では異色の人です。

あの時もマイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーと同じようなくくりで捉えられがちだったんですけど、今振り返ってあの当時の彼女の曲、プロダクション、相当ロック寄りだったんですよね。そういうこともあり、2023年の彼女の死去の際、欧米圏では「ロック・クイーン」との称号で讃えられていました。

この項目でここまで紹介した彼女たちがこの時点で皆30代だったんですけど、当時20代で台頭してきたのがニュー・ウェイヴのバンドたちだったんですよね。

ゴーゴーズやバングルズという、西海岸のニュー・ウェイヴのバンドシーンから登場したガールズ・バンドが全米チャートで1位を取る事態も出てきました。ゴーゴーズはデビュー・アルバムで、バングルズはシングル2曲で達成します。

これ成功の規模の数字だけで言ったら③で話したイギリスのニュー・ウェイヴの女性アイコンより大きいと思います。その意味では当時の世に対してのインパクトそのものは確かに大きかったような気はします。

ヒットの規模としては大きくなかったですが、後々のことを考えるとエイミー・マンのいたティル・チューズデイやB52sあたりは評価されてしかるべき存在だとも思います。

https://www.youtube.com/watch?v=PIb6AZdTr-A

シンディ・ローパーやマドンナも、実はニュー・ウェイヴといえば、ニュー・ウェイヴなんですよ!

二人して、ソロで世にでる前までは、ニュー・ウェイヴ・バンドのシンガーでしたから。感性的なところでニュー・ウェイヴと繋がっていたことは、1984年当時に中学生だった僕でも感じられたことではありましたね。

ただ、シンディとかマドンナだと、売れた規模が桁外れだったし、もはや出自がどうのこうの問われる感じでもなくなってましたね。マドンナに至っては作品が進めば進むたび、ダンス・ミュージックを追い求めるようになるからとりわけロックとの接点が見出しにくくもなります。

ただ、2人に共通して言えるのは、他のどのニュー・ウェイヴのアーティストより、女の子たちを勇気づけるエンパワメント感覚、これは間違いなく一番強かったと思うし、その後のガールズ・ポップ全般にとっての起点になっているところはあると思います。

でも、こうやって80sのアメリカのロックの女性アイコン見てて思うのは、存在はそれぞれすごく大きかったんですけど、なんか軸が見えずにぼやけてる感じで、今日の音楽に対しての影響がどこか低いのは否めないんですよねえ。この時代だけで完結してしまっているというか。それはイギリスにおけるバンシーズとかケイト・ブッシュとかコクトー・ツインズ、エヴリシング・バット・ザ・ガールあたりが古くならずに聴ける感覚とは明らかに何かが違うんですよね。

それはゴーゴーズやバングルズがデビュー当時のニュー・ウェイヴ・バンドとしての生きの良さを失い、ポップな要素ばかりが強く求められるようになった歴史などを考慮するに、この時代の課題が見えるような気もします。

⑥80年代後半、日本でも女性のロックのブーム

 そして日本ですけど、80年代、とりわけ後半に世界でも稀な大きな女性のロックのブームがやってきます。

 日本の場合、④で紹介した和製ニュー・ウェイヴの人たちももちろんいたわけなんですけど、どちらかというと一般人気があったのはそちらの系ではなかったように思います。

この当時、なぜかわからないんですけど、日本の女性のロックだとか自作自演系のアーティストを大学生が推す、という現象がありまして「学園祭の女王」というのが流行った時期がありました。白井貴子や山下久美子がそういう言われ方をしていた時期がありました。

この当時は世がアイドル大全盛期だったので「子供がアイドルに夢中だけど、少し違いのわかる大学生ならロック」というマーケッティングだったのかもしれません。

 そして、1985〜86年に大ブレイクしたのがこの人たちでした。

レベッカですね。Nokkoをフロントに擁した彼ら、この当時に女性フロントのバンドでミリオンセラー記録するという、これまでになかった記録を打ち立てるんですけど、登場タイミングがすごく絶妙でしたね。

「学園祭の女王」的なポジションも押さえながらも、サウンドはこの当時のMTVで流行ってた洋楽のニュー・ウエイブに、まさにシンディ・ローパーやマドンナが流行りかけてた頃にそのエッセンス取り入れて。それで歌詞がガールズ・エンパワメントの日本版の趣で。またちょうど日本のアイドルが聖子ちゃんの結婚などもあって陰り始めてたタイミングでもあって。そういうのが一気に集まった感じがしましたね。

この辺りから

こういう風に連鎖反応的に渡辺美里や中村あゆみなどとロックな女子がウケはじめましたね。

ガールズバンドで現象にまで高めたと言えばプリンセス・プリンセスでしょうね。

この当時、やはりブームだったのか層が厚くいろいろ出てきまして

https://youtu.be/jQILVt98cmU?si=4Ne8y7prhMcrbghO


SHOW-YA、GO-BANG'S、ジッタリン・ジン。この辺りが代表的なものですが、まだまだたくさんいたものです。

サウンド面に関していうと、良くいえば多様性がある、悪くいえば一貫性がなくアイデンティティが見えにくくはありましたね。それが80年代的ではあるんですけど。女性版のスプリングスティーン風なサウンドから、ニューウェーブからヘアメタルまで混在してたみたいな感じで。

ただ、これだけ一気にいろいろ出てきた割に、今日への継承がいまひとつ強くない。この点において⑤でのアメリカの展開に似てるんですよね。音楽的だったり、精神的な意味での影響がその後に薄く、ちょっと消費されてしまったかな、という印象があります。

その背景には、当時人気が急落したアイドルの穴埋め的なポジションを求められたこともあるだろうし、あとシーンの当事者たちが90年代にうまく乗りきれなかったというのもあったように思います。80年代から90年代のロックって、体育系部活が文化系のそれに変わるくらいの温度差があるんですけど、日本のガールズ・ロックも例外ではなかった気が、今振り替えるとします。






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