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ネットフリックス「もう終わりにしよう」感想 鬼才チャーリー・カウフマン、期待の新作は?

どうも。

今日は映画評、行きましょう。これです。

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ネットフリックスの映画「I'm Thinking About Ending Things」、「もう終わりにしよう」です。これ、「マルコビッチの穴」「アダプテーション」「エターナル・サンシャイン」の脚本、「脳内ニューヨーク」の監督でもある鬼才チャーリー・カウフマン期待の新作として、僕もかねてから楽しみにしていた映画です。今回、どんな作品になったでしょうか。

さっそくあらすじから見てみましょう。

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この作品ですがヒロイン(ジェシー・バックリー)に役名はありません。ストーリーは彼女と、恋人のジェイク(ジェシー・プレモンス)の一夜の出来事を描いたものです。

ある雪の寒い夜、ヒロインはジェイクと車の中で、やや気難しい話をします。ネタは詩の批評や車の中でかけた50年代のミュージカル「オクラホマ」のこと。これを延々と話していきます。

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ジェイクは突如車を止め、ヒロインを連れて雪の中、外に出ます。そこは彼の実家で母親(トニ・コレット)と父親が紹介されます。両親はヒロインを暖かく迎えますが、ジェイクのはずかしい昔話をするうちにジェイクが不機嫌になり

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精神的にちょっと不安定な母親が急にキレはじめたりもします。

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ふたりはまた車に戻り、ダラダラと話を続けます。時の経過と共にジェイクの機嫌は悪くなりますが

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二人はローカルのダイナーでテイクアウトをします。ここの店員は詮索好きの不気味な感じです。

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ふたりは車の中での話がかみあわなくなったうちに、ジェイクが車を急に止め、外に飛び出してしまいます。そして、その先には・・

・・と、ここまでにしておきましょう。

これ

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これまでも数多くの摩訶不思議な作品を出してきたチャーリー・カウフマンですが

これ、読んでて、意味わかります?

そして、これ、ごめんなさい。

今回の、僕はちょっとキツかったです。

好きな監督、脚本家なので、こういうのはツラくはあるんですけどね。今回の場合、映画のあらすじを追うこと自体はきつくないんですよ。そんなに難しい話ではないです。さらに言えば、「その話から、解釈、答えを見る人に委ねるタイプの映画」は僕はむしろ好きな方です。最近、あまり見なくなったタイプですが、昔のフェリーニやタルコフスキー、60年代のフランスのヌーヴェルヴァーグに慣れてると、この手法は自然だし、そういう類のものの中ではむしろ易しい方だとも思います。

が!

今回、僕の中でこれ、ひっかかるのが

カウフマンの頭の中で明らかに解釈、答えがありそうなものを、難しいヒントの中から探させる感じがなんか好きになれない!

ずばり、それなんですよね。

今回の映画、劇中の会話でふたつのことがモチーフになってます。

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ひとつは50年代の有名ミュージカル「オクラホマ!」。

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そして、もうひとつが1974年の映画「こわれゆく女」ですね。これ、アメリカのインディ映画界の鬼才ジョン・カサヴェテスの代表作で、カサヴェテスの上映会があるときは必ず上映される代表作の中の代表作。奥さんのジーナ・ローランズ、「きみに読む物語」で痴呆になってしまうあのおばあさん演じた人ですけど、やっぱ美人だなあと、こうやって写真を見て思い出す次第です。

この2つが、ストーリー上、象徴的な意味合いを明らかに持っていると思われるのですが、

引用ネタのハードルが高すぎて、何を意味したいのかわからない!

こう話す僕でさえ、「オクラホマ」は見たことないし、「こわれゆく女」を見たのも25年以上も前で記憶も曖昧です。そんな状態の中、この2つがどういうイメージなのかを具体的に想像できる人、世の中に100人、いや1000人中数人のレベルでしょう!

車の中の文学批評的なやるとりも、まあ、人によってはやる人もいるから不思議ではないんですけど、いきなりあれを映画でやられてしまうと、「うわっ」と拒否反応を示す人も少なくないでしょう。

なんか、すごくカウフマン個人の考えに近づくことが求められているようで、それを共有することを制限しているような、そんな映画に見えてしまうんですよね。

カウフマン、もとから「頭の中」を描く作家ではありました。

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「マルコビッチの穴」も「エターナル・サンシャイン」も、文字通り「人の頭の中」、「人が頭の中で何を考えているか」を描いた映画ではあるんです。こういうやり方って

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フェリーニが「8 1/2」で描いた手法です。あの映画で用いた「頭の世界の中」を描くことをカウフマンは延々と求め続けているような作家だと僕は捉えてきています。ただ、それは「登場人物の頭の中」の話であり、「彼(カウフマン)自身の頭の中」の話ではない。その「第三者性」が感じられたから、これまではそれが嫌味ではなかった。

だけど、今回のカウフマンの映画はそういう客観性がなく、彼自身が考えていることを当てさせるような、そんな雰囲気が、少なくとも僕にはしました。割と鼻につきやすいタイプの監督だとは思っていましたが、今回は、これまで彼の作品が基本的に好きな僕でさえ、それを感じましたね。

あと、10歩譲って、今回のこの映画表現を受け入れたとしても

これまでの作品と比べて記憶に残るような作品か?

そう考えても、僕はこれ、ちょっと弱い気がするんですよねえ。「長いキャリアの中、一作、こういう作品があってもいい」と思える作品だとは思うんですケド、「カウフマンのキャリアの中でベストか?」と問われると「?」ではあります。

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たとえば「脳内ニューヨーク」なんて、話の中身はわからなくても、「自分はすぐにでも死ぬんじゃないか」と悩み続けるフィリップ・シーモア・ホフマン見てるだけで楽しめるし、記憶に残るんです。そういう魅せるところがこの映画にはありません。トニ・コレットはすぐれた女優さんですけど、今回の客演でそんなにインパクトに残る演技してるかと問われてもそれは疑問だし。

せいぜい

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ヒロインのジェシー・バックリーというこの女優さん、彼女のことはこの映画で覚えました。良い女優さんだと思います。そこは収穫だったかな。

普段、好きな人の映画だからこそ、モヤモヤしたものが残る一作でした。


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