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最近、よくわからなくなりつつある、アメリカの音楽の評価基準

どうも。

この話がうまくまとまらず時間がかかっていましたが、しましょう。

ここ2週くらいですかね、アメリカで「この国の音楽の価値基準、ブレブレじゃないのかな」と感じることが起きてるのでそのことについて書こうと思います。

まずひとつは

コートニー・ラブがポッドキャストのインタビューでテイラー・スウィフトの音楽を「無難で重要じゃない。興味がない」とただ言っただけでメディアが大騒ぎして、コートニーを血祭りにあげたんですよね。

コートニー、昔から毒舌で有名でそのたび批判も起きるんですけど、これは強烈な違和感ありましたね。だって、この程度の感想を持つ人なんて、世間に何人だっているでしょ?「世間的に重要じゃない」とは僕は思いませんが、僕とてテイより自分にとって大事なアーティストな彼女と同世代、もしくは年下にはいくらでもいるし、聴いててスリリングな感じも特には覚えません。具体的に言ってしまえば、ラナ・デル・レイ、ビリー・アイリッシュ、ヘイリー・ウイリアムズ、ミツキ、フィービー・ブリッジャーズ辺りの方が断然好みです。別に彼女たちを対抗軸に置きたいわけではないですけど、やっぱ、どういうタイプのリスナーを訴求するタイプなのかのちがいというのはどうしてもあります。刺激がほしい人とか陰キャ的な人が、そこまで熱心にテイラー聴くとは思えません。

なんですけど、スウィフティーズの怒りっぷりはひどくて「あんな権威のある人が重要じゃないと言った」とか震えててですね。僕、5人くらいかな、アメリカの、しかも子供じゃなくて良い年した大人、しかもひとりは僕より年上でしたよ、スレッズで口論しました。まず、コートニー、有名ってだけで何の権威もありません。なぜ彼女の一言くらいを無視できないくらい自信がないのか。

あと、そのときの口論でも言ったんですけど「大学のときにエコー&ザ・バニーメンとかジュリアン・コープの追っかけするようなダークなニュー・ウェイブ少女だった人が、どうやったらテイラーの音楽で幸せになれるのか」と

売れているからと言って、好きじゃなかったり興味なかったりする人は普通に多いし、そんなことは当たり前です。なんで、そんな単純なこともわからないのか。

そもそも、テイラーが音楽批評で真正面から取り上げられるようになったのも決して早くはなかったんですよね。その証拠にピッチフォークがリリース直後の彼女のアルバムをレビューするようになったの、2017年からですからね。その前作の「1989」が現象になったからでしょうけど、それまではレビューやってません。あとで慌てて旧作レビューしてます。というか、インディ・ロック聴くタイプの人の反応って元々こんな感じでしたから。ポップ中心に聴いてきた人たちのつけてきた自信ってすごいなと思いますけどね。

そして、二つ目行きましょう。これは前から僕がよく言わないコーチェラですね。

コーチェラがポップ化してること自体は10年代の後半くらいのことです。ただ、その落差ですよね。去年にブリンク182とか今年にノー・ダウト出して「ロック出した」とかって言われてますけど、昔のコーチェラって、彼らでさえ出たことないくらい敷居が高いフェスだったんですよ。全盛期におけるエモ・バンドとかもそうですね。マイ・ケミカル・ロマンスとかフォールアウト・ボーイとか。パラモアでさえ、アイドルだった頃はそういう扱いでしたから。

でも、もう、それどころの話じゃないですね。そういう敷居取っ払ってからは、「なんでもあり」がなんでもまかり通る感じになっています。

今年はとくにこれで感じましたね。

このレネー・ラップのライブにケシャがゲストで出た瞬間ですね。

レネー、基本がアイドル女優ですけど、音楽はオリヴィア・ロドリゴと似た作りにして頑張ってる感じでしたけど、ケシャ呼ぶというのはゲストのセンスとしてどうなのかなと。彼女の全盛って2010年頃でしたけど、あの頃に彼女がコーチェラなんかに出ようものなら大ブーイングだったろうし「コーチェラ、大丈夫か?」となってたでしょう。それが何もなかったように大盛況。完全に2015年くらいまでのコーチェラの客は消えてますよね。

このラナ・デル・レイの2週目に出たカミーラ・カベーロ、これに関してはズバリ、不評だったと判断してます。ただ単にラナが彼女の最新シングルが気にいってるだけで、ステージに上がっただけでしたね。この一週前の、言わば精神的な師弟関係にあるビリー・アイリッシュをゲストに迎えたのとは大分事情が違います。共通点と言えば、二人とも舌禍癖があり、それで世間を賑わすくらいですね。

ヒップホップ調のカミーラの曲がラナのセットと全く噛み合ってなかったのも不審がられてましたね。

これもカミーラそもそもがダンス・ポップのアイドルな訳で。ビヨンセがヘッドライナー飾ったときは、あの時点ではどちらかというと「ビヨンセなら、ダンスポップでも立派だし、いいだろ?」みたいな感じだったところが、もうそのレベルも関係なく誰でも呼べるようになった、ことの現れかな。カミーラ、ソロ・デビューの「Havana」こそよかったものの、その後がなあ、ってとこでしたからね。

そして、3つ目がロックの殿堂ですね。

今年の殿堂入りのアーティストが、ちょっと目を疑いましたね。

今年、ノミネーションの時点で、ただでさえ「候補として弱い」と思ってたところに、こんなに殿堂入りされる意味があるのかさえわからなかったんですけどね。

これ、僕が問題にしたいのは「ロックじゃない人な殿堂入り」ではありません。メアリーJブライジやドライブ・コールド・クエスト、妥当だと思います。むしろ、これからはR&B、ヒップホップの批評的評価が高かった人を選ぶべきだと思います。シェールはエンターティナーのイメージが強いですけど、デビューがそもそも60sのフォーク・ロックだし90sまでヒット曲出してたり、今、ゲイ・アイコン化してるでしょ。そういう観点からとアリだと個人的には思います。

僕が問題視したいのは

フォリナー
ピーター・フランプトン
デイヴ・マシューズ・バンド

この3つですね。

ロックの殿堂って、始まってしばらくはロック批評のセオリー通りな選び方してたんですよ。パンク/ニューウェーブ史観だったし、それゆえにラモーンズやブロンディ辺りも早期で伝統入りしてきました。70sや80sに人気のあった、いまだに名盤選では選ばれにくいアリーナ・ロックのバンドは選ばれにくい傾向がありました。

ここ数年になってようやくジャーニーやボン・ジョヴィという、批評家目の敵の代表みたいな人たちが殿堂入りして。でも、この辺りはたしかにベスト盤の驚異的売れ行きや10億ストリーム超えるロングセラーのヒット曲がそれなりの数あったりするので僕はそれでもアリかなと思うんですけど、上の3つはそれには該当しません。

緩めた基準の上に結果的に便乗する形になっただけです。

しかもデイヴ・マシューズなんて名前見ると、その前の年に殿堂入ったシェリル・クロウ同様、「オルタナが嫌いだったグラミーが90sに例外的に認めてたアダルト向けじゃん」と思わざるを得なくてですね。

こういう人たちが殿堂入って、ジョイ・ディヴィジョン、ザ・スミス、サウンドガーデン、スマッシング・パンプキンズが入ってないって、他の国のロック批評ならあり得ないですね。

僕は「ダサいロックよりかは、刺激のある他ジャンルを」な考えなんですけど、他ジャンルが入るのを嫌う人に合わせた結果、ダサいロックを入れてる羽目になってます。

まあ、こっちの場合はまだ、コーチェラと違って他ジャンルの選び方が子供っぽくはないのですが、逆の方向に歪み来てる気がしますね、

なんかですね、見ていて、ポップの波の台頭への対応がアメリカ、下手すぎるんですよね。最近、「日本の方がこの点ではうまいんじゃないか」とさえ思うようになってきています。

それはやっぱり、思うに、日本には「アイドルを良いソングライターが手掛ける文化が昔からあって慣れてるからかな」と思います。だからアイドルの評価ひとつとっても「この歌手なら、こういうソングライターがついているから」と昔から良いものとそうでないものな区別がついてたし、歌唱力も判断基準にできてるところもあったり。本物として評価すべき人とそうでない人が感覚的にわかってるようなところがあった気がします。

ところがアメリカだと、もうガチガチに「曲を書いてもらってるような人は良くない」みたいな、ちょっと固すぎる評価軸がありましたからね。それがR&Bやカントリーがロックよりも低く見られがちだった要因にもなってました。こちらは楽曲の外部委託がむしろ普通だったんで。ところが最近売れるもので、その価値観が崩れてしまった。これがアジアやラテンのアーティストなら、なおさらですからね。

「ではポップに対応しよう」となったとき、その価値判断基準がわかってないから、結果、ばらんばらんになってしまう。僕はそれがアイドルでもKポップでもレゲトンでも「良いものとイマイチなもの、そんなのあるに決まってる」と思うから選別して良いものだけ聴こうとしてるんですけど、その作業をアメリカの大きな音楽業界はやってない気がしますね。

そこに行くと、日本の方がだいぶマシに見えるようになってきてますね。日本も90sとか00sの頃はメガに売れるアーティストのファンが今のスウィフティーズみたいにうるさいところがあって表向きに言いにくいようなところがありました。ところが、今、そのテのアーティストが以前ほど売れなくなったからなのか、あんまりそういう高圧的な言論統制強いるような雰囲気は感じないですね。

僕の勝手な仮説ですけど、SMAPの解散くらいからなのかな。アイドルの年齢が上がるところまで上がってそれが永遠に続くようにさえ思われてたところが40代でとうとう限界来てしまった。それで昨今の問題でしょ?そういうとこも微妙に影響ある気がしてます。

それから

YOASOBIの盛り上がりが、僕のTL上では少なくともいまひとつなんですよねえ。

だって、「世界でブレイク」「NMEでも表紙になった」「コーチェラにも出た」と、「これでもか!」なネタ満載なのにも関わらず、音楽業界の記事ほどには盛り上がっていないと言うか。むしろ、業界の知り合いのライターの方が盛り上がってて、それが熱心な音楽リスナーにまで降りてない感じですね。

明らかにか差があるんですよね。宇多田ヒカルだとちょっとしたリリースでも大騒ぎになるTLが。あとコーチェラにしても、TL住人の大半の人が騒いでたの、新しい学校の方で、「なんでメディアはYOASOBIしか注目しないんだ!」とイラついてる投稿の方をむしろ目にしてます。

彼らに関しては、素直に「自分たちの聴いてきた音楽と違う」と言う人が多い印象かな。ボカロ生まれの音楽だと、典型的なJポップ多い印象ですしね。僕の最近の考え方だと「慣れてない人多い分、外国人の耳に新鮮に聴こえるところもあるだろう」とは思うので今のところ静観してます。ただ、ここまで、僕が普段から邦楽に関してすごく信用しているTLでの反応が薄いと聴く姿勢には影響は出ますね。

こういうの見ても、なんか「落ち着いてるな~」と感じますね。言いにくい雰囲気がないというか。テイラーをめぐるアメリカのリスナーとはえらくちがいます。

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