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追悼・大伴良則さんのこと

どうも。

2日続けて訃報というのは気が滅入るものですが


音楽評論家の大伴良則さんが亡くなってしまいましたね。これは僕個人としてもかなり結びつくことなので、追悼しないわけにはいきません。

 大伴さんは、僕の人生で初めてお会いした音楽ジャーナリストの方です。「初めてお会いした」どころの話ではないですね。僕が大学卒業して社会人になった最初の3年間に関して言えば、「恩師」に近い存在でした。

 出会いは1993年5月のことです。僕がNHKに入社して、音楽FM番組部に配属されたのが5月のことでした。その部署では「クロスオーバー・イレブン」という長寿ラジオ番組をやっていたので、挨拶に伺ったんですね。その時に選曲で曲を選んでいたのが大伴さんでした。

 先輩ディレクターの「色々話するといいよ」という言葉に甘えた僕は、もちろん存在も存じ上げてた方だったので興奮して、その場で、2時間くらい話したのかな。ずっと音楽の話をし倒しました。個人的には「ホール&オーツの解説を書いていらっしゃった方だ」、という興奮が一番強かったように思います。話しているうちに大伴さんが大学の20年くらい上の先輩だったこともわかったりもして。「僕が慶應の学祭で裸のラリーズと頭脳警察、呼んだんだ(笑)」なんて話も、その時におっしゃってましたね。あと、その当時に僕が好きだったオルナタティヴ・ロックとかR&B/ヒップホップの話とか、かなり一方的にしたりもして。音楽業界の昨今の裏話とか、もちろん音楽そのもののこととか。かなり話し込みましたね。

 以来、時間があると僕は、毎週火曜の昼だったクロスオーバー・イレブンの収録に特に用事もなく足を運んでは、仕事の傍らで大伴さんと音楽談義をさせていただきました。50〜70年代のソウル・ミュージック、60s、70sのロックも一部かな、かなりのことを大伴さんから教えていただきました。そういう行動を続けていたので、同僚の先輩たちから「大伴の弟子」とまで言われるようになっていました。

 2年目には大伴さんが「ポップス・ステーション」という昼の生放送の番組のパーソナリティ担当をすることになったので、レギュラーではなかったのですが、たまにディレクターを担当することもありましたね。その番組で外部サポートとしてやってくる、僕と5歳くらい年の違いの大伴さんの本当のお弟子さんの構成作家さんとも仲良くなって、よく食事などにも行ったりして。

 僕のNHK時代というのは非常に特殊で。普通、テレビ局って、若手って顎でこき使われるのが常なものなんですけど、僕が配属されたFM班って、定年間近のおじいさんしかいなかったんですよ。だから仕事がその人たちにあわされてもいたから、日中仕事ほとんどなかったんですね。だから、周囲としては「その余った時間を生かして他のテレビ班の見学にでも言って欲しかった」と、後から指摘されたりもした(早く言えよ、って感じですけど、笑)んですけど、僕は、居室の一つ上のフロアにあった「音楽資料室」というところと、大伴さんいるスタジオに行ったり来たりの生活でした。それが95年まで3年間続きましたね。

 そして95年の後半に、僕がようやくメインでディレクターやらさせてもらうようになって、その時の特番の一つを大伴さんに進行をお願いしようかと思ったのですが、その時に意見が対立してしまったんですね。それはある、レジェンダリーなアーティストに関してのものだったんですけど、僕としては、もうひたすら尊敬の念しかない、一番頼ってた人だったんですけど、でも、そのアーティストのその当時の一般評価通りに内容を進めないことには番組として成立できなかった。だから、お声掛けした手前、すごく恐縮ではあったのですが、「お断りする」という事態を起こしてしまって。ちょうどその頃からディレクターとして、後、裏でライター業もやり始めていたから、「自分らしい意見で」ということに強くこだわり始めていた時期だった、というのもあるのかと思うのですが、今振り返るに「巣立ちのタイミング」だったのかなとも思ってます。

そこに、僕自身が担当番組ですごく忙しくなったこと、「クロスオーバー・イレブン」の担当部署が変わったことも重なって、疎遠になってしまったんですよね。

そこから99年の夏。僕がNHKを退社することになった時、僕がスタジオで残りの仕事をしてた時に、大伴さん「辞めると聞いたので」と言って、会いに来てくださって。僕の方こそ、感謝しても仕切れないくらい、自分の一部を作っていただいた方なので僕から挨拶に伺わないといけなかったのに。すごく恐縮と感謝の気持ちでいっぱいになりましたね。

会社辞めた後、1回だけ大伴さんに電話をかけたことがあったんですけど、それが最後の会話になりました。その後も、耳に入ってくる情報では、大伴さんはNHKの番組には近年でもよく出演されていらっしゃったようでご活躍だなと遠くから思っていたのですが。

 出会い方の割に、その関係がうまく活かされなかった、もう少し発展的に活かせることができたらよかったのになあ、と思うことが少なからずありました。でも、僕の中では教わったことは意識的ではないにせよ、どこかにあると信じています。改めて個人的なお礼と、洋楽の浸透に長年尽力してくださったその貢献の大きさは変わることはないと思います。謹んでご冥福をお祈りします。ありがとうございました。


 


















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