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映画「シカゴ7裁判」感想 半世紀経っても変わらないようなこの不公正な感じは何なのだろう

どうも。

今日は久々に映画レビューいきましょう。これです。

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ネットフリックスで先週公開が始まった映画「シカゴ7裁判」。これも混沌とした1,960年代の末を表した作品だとして、かねてから評判で「オスカー候補」との事前下馬評も立っていたほどの映画です。果たしてどんな映画なのでしょう。

まずはあらすじから見てみましょう。

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ことの発端は、1968年8月に起こった、シカゴでの民主党大会。この大会でを前に、保守・共和党のニクソンに勝てる、しかもベトナム戦争反対の立場をとる候補に勝ってもらいたいと、若い民主党支持者たちが必死の主張を展開しデモを起こしてました。

しかし、その際に、警察が乱入。彼らは催涙ガスを巻くなどの強行手段に出たためにデモ隊が激昂。暴動が悪化してしまいました。

その5ヶ月後の1969年2月

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この8人の男性たちが騒乱罪の罪で起訴されてしまいます。うち5人は実際に逮捕までされていました。

この映画は、その際の有名な裁判を描いたものです。

この中でもっとも注目を集めたのは

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アビー・ホフマンとジェリー・ルービンの2人でした。かねてから過激な活動家として2人は有名で、とりわけ、世間のバッシングをものともしないアビーは、得意な話術で、人を食ったユーモアで不遜な態度を取り続けます。

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また、起訴された8人の1人はのちに政治家に転身したトム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)も含んでいました。彼らは、自分たちの行った行為の無実を欠片も疑っていませんでしたが

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裁判官のジュリアス・ホフマン(フランク・ランジェラ)はとにかく生意気な若者が大嫌い。もう、裁判の前から彼は被告たちに不利な裁判をしてやろうと手ぐすね引いて待っている状態で

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それにはシュルツ検察官(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)が引いてるほどでした。

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裁判は被告のひとり、黒人のボビー・シールに弁護士があてがわれない(そのため1人マイナスでシカゴ7とも呼ばれる所以に)あからさまな人種差別も行われていました。そんな不利な出来レース裁判を、クンスラー弁護士(マーク・ライランス)をはじめとした弁護チームの必死の協力で、シカゴ7とシールは無実を訴えようとしますが・・・。

・・・と、ここまでにしておきましょう。

これは

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監督を務めたのはアーロン・ソーキン。彼はもともとがテレビでは「ホワイトハウス」、映画では「ソーシャル・ネットワーク」とか「マネーボール」とか、いわゆる「内幕もの」の作品の脚本家としてすごくリスペクトされている存在です。彼の作品というのは、とにかく対象とした世界での調査が細かく、話の運びと手際の良さが光る感じでしたけど、2017年には「モリーズ・ゲーム」から監督に昇格。そこでも、「ポーカー・ビジネス」という、ちょっとわかりにくい題材で、オスカーの作品賞ノミネートに近い位置までいく好評を収めていました。

 そんなこともあり、信頼してたんですけど、これ、

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法廷ドラマとしては、近年でも屈指の傑作です!

とにかく、「何がどう起こったか」の時系列のまとめが非常にわかりやすく、話に無駄がないのですごく見やすいんですよね。テンポもいい。このあたりの感覚は、編集の才能に優れたデヴィッド・フィンチャーと仕事していた感覚がいきていたりするのかな、とも思いましたけどね。

 それから、役者一人一人のぶつかり合いと駆け引き。これに見応えがあります。

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アビー・ホフマン。この人は60sのカウンター・カルチャーのヒーローとして有名な人なんですけど、これを、かの「ボラット」をはじめとしたシュールでお下劣な風刺コメディでおなじみのサッシャ・バロン・コーエンが熱演しています。この人、真面目な役もできる人なんですけど、ここでは風貌の激似と、得意の話術が活かせる怖いもの知らずという、いかにも彼が得意そうなキャラクターを本当にいきいき演じています。オスカーの主演男優へのノミネートを確実視してる人もすでに多いです。

それから

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信じがたいまでの悪徳裁判ぶりで憎まれ役になるホフマン裁判官役のフランク・ランジェラ、この裁判官の汚い裁きに正義感で敢然と立ち向かうクンスラー弁護士役のマーク・ライランスも素晴らしかったですね。ふたりともハリウッドの名脇役ですけど、持てる力を存分に発揮した熱いぶつかりあいでしたね。二人とも助演男優賞のノミネート、いけそうな気がします。

あと、ちょっと冷静で引いた演技の検察官役のジョセフ・ゴードン・レヴィットもよかったですね。

 ただ、「モリーズ・ゲーム」のときも気にはなったんですけど、ソーキンの場合、「テレビや演劇としてはいいけど、映画的演出が少し地味かな」というのは、少し感じもしました。名脚本家らしく話の進めと役者のアンサンブルはうまいんですけど、映像のコーディネイトのセンスはあまり感じさせない人です。それが今回、ネットフリックス映画になったことで、さらにテレビ映画っぽさを強調してしまったところはないではありません。その意味で、まだ「監督としてのカリスマ性」みたいなものには欠けるところは否定はできないかな、とも思いました

が!

 今回のこの映画、そうしたウィークポイントを補ってあまりあるポイントがあります。それが

50年前と現在の、皮肉な共通点

ここがもう、絶妙ですね。

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50年前は、この映画でも見られるように、若者がベトナム戦争に反対するだけで危険扱いされたんですよ。それがロックでも聞いてマリファナなんて吸おうものなら極悪扱いですよ。「そういう人に対してなら差別しても当たり前」。そういう考えです。今回の映画でも、ボビー・シールが、黒人で、かつ、当時の黒人過激派のブラック・パンサーの党員というだけで弁護士もあてがわれず、それに異議申し立てをすると罰せられる。そういう、いわれない不正が公然と認められていた時代です。

実際問題、

まさに1969年の名作映画「イージー・ライダー」では、最後、田舎道で保守的な奴らに主人公のキャプテン・アメリカ、撃たれて殺されたわけですからね。

それが50年たった今、どうかというと

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ブラック・ライヴス・マター(BLM)とか、antifa(アンチ・ファシズム)とか、人種差別やファシズムに対しての真面目な抗議なのに、権力者が部分的なとこだけとって「社会の脅威」扱いしてるでしょ?50年前と何が違うんでしょう?歴史から何を学んだんでしょう?これはすごく現在に訴えかけるポイントになっていると思いますよ。

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