追悼・リック・オケイセック(ザ・カーズ) パンク/ニュー・ウェイヴにヒットで扉を開いたロック職人
どうも。
全米映画興行成績の日ですが、ちょっとあまりにショックで、どうしても語っておきたいので、この話で行かせてください。
ザ・カーズのリック・オケイセックが急死しました。ニューヨークの自宅で倒れていたのが発見されて通報されたのですが、もう亡くなっていたとのことです。遅咲きの人だったので、年齢が70を超えていることは知っていたのですが、今回の報道で、75歳だったこともわかりました。
いやあ、これ、僕にはダイレクトでショックですよ。カーズって、「子供の時の好きなアーティスト」の、頭から数えたほうが早いバンドでしたからね。
僕の場合は出会いがこれでしたね。1981年の「Shake It Up」。でも、インパクトとしては
1984年の「Heartbeat City」。このアルバムが大きかったですね。このアルバム、カーズでは2番目に売れたアルバムで、かなり長い間、チャートのトップ10に入ってましたからね。それはこの頃、カーズがミュージック・ヴィデオに力入れてて、この「You Might Think」「Magic」のMV、かなり話題を呼びましたからね。特に前者は、第1回MTVミュージック・ヴィデオ・アワードの大賞作ですから!この2曲に続いて、もう一人のフロントマン、ベンジャミン・オールの歌ったバラード、「Drive」もビッグヒットして、「エイティーズの人気バンドの一つ」のイメージも決定づけられましたね。
「Drive」ではリックにも大きなことがありまして。
MVに出演していた、当時かなり人気のあったモデル、パウリーナ・ポリスコーヴァと結婚しまして。昨年別れるまで30年近く一緒にいました。
で、僕らに当時タイミングが良かったのはですね、この翌年に
このベスト盤「Greatest Hits」が出て、これもかなり売れました。カーズは1978年のデビューで、僕が知る81年の時は4枚目。それまで毎年のようにヒットを出していたことがわかりました。
このように聞いていくと分かると思うんですが、メロディックなパンクロックにアナログシンセをかぶせたサウンドでヒットを連発してたんですね。僕なんかは、根本がロック野郎なんで、「なんだ、こっちの方がよりロックしててカッコいいじゃないか」と思いましたからね、あの当時。
そして、徐々にロックのこれまでの歴史も把握するようになってきたのですが、要はカーズって、この頃、「パンク/ニュー・ウェイヴを商業ベースに乗せることに成功した、アメリカで最初のバンドの一つ」だったんですね。今日もロックを遡ってルーツから聞く人で、「パンクのはじまり」ってとこ、「セックス・ピストルズやクラッシュ、もしくはニューヨークからラモーンズが・・」って習いません?それ、ムーヴメントとしては正しいと思います。ただ、その理解ですとですね、、イギリス国内での理解で止まってしまうんですよね。1977年にパンク・ムーヴメントが起こっても、それは実際にはアメリカでは大衆的にはすぐに広がらなかったんですよね。ピストルズも全米ツアー、空中分解してるでしょ??アルバムもそんなには売れてません。でも、そんなアメリカでも、「気分的にパンク/ニュー・ウェイヴなものはなんか欲しい」という気分はありまして、そこに結果的にタイミングよく応えたのがカーズとかブロンディだったのです。
ただ、その時の”シーン”に夢中だった人からしてみたら、「なんだ。自分たちの見てるシーンにいないくせに、美味しい汁吸って金儲けしやがって」とまで言ったかどうかは知りませんが、そういう気持ちを持たれても仕方がないポジションにはあったんだろうな、とは思います。あの当時のパンクスの話って、なんか複雑で、あのクラッシュでさえ「売れようとしやがって」みたいに叩く人、いたって聞きますからね。物事、極端すぎだと思いますけどね。仮にそうでなくても、彼らからしてみたら、例えば売れるにしても、クラッシュとかザ・ジャムとか、「シーンを代表する人たち」が売れた方がまだ嬉しいわけですよね。それがそうじゃなくて、悔しかったのは今にしてみたらわからないではありません。
加えてカーズの場合、不利だったと思われるのが
リックとベンジャミン、70年代の前半に一度フォーク・グループ、ミルクウッドとしてデビューしてて、カーズが再デビューだったんですね。なので、パンクスからしてみれば、年齢的にはカーズのデビュー当時、もう30歳をを超えてたし、「自分らの世代じゃない」立場にはあったんですよね。
ただ、とはいえ、リックもベンも音楽的には非常に有能かつ鋭敏な人で、カーズも実際は、ボストンでのパンクに似たシーンで結成されています。事実、ドラマーのデヴィッド・ロビンソン、伝説のロッカー、ジョナサン・リッチマンが率いたUSパンクの元祖、モダン・ラヴァーズのメンバーでしたからね。そしてリック自身、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リードへの憧れが強い人ですからね。
さらに言えば
カーズでも、先日特集したイギー・ポップの、僕が彼のキャリアの第2位に選んだアルバム「The Idiot」から「Funtime」をカバーしてますからね。パンク/ニュー・ウェイヴに対しての本気度は立派に高かったのです。
ただ、長いこと、パンク/ニュー・ウェイヴの入門書にカーズが選ばれることって、なかなかなかったんですよね、悲しいことに。やっぱりどっか、「やっかまれてた」というのがあったと思うんですよね。カーズは1987年に解散して、そのまま音沙汰なくなってましたからね。
が!
そんなカーズの状況が一転する出来事が起こります。その予兆として
ニルヴァーナが「My Best Friends Girlfriend」のカバーをしてます。これ、カートがなくなるかなり直前のドイツ公演ですけどね。
ただ、それ以上に決定的だったのは、やはりこれです。
1994年、リックがこのウィーザーの名作アルバム「Weezer」、またの名を「Blue Album」のプロデュースを手掛け、最注目が集まります。
あと、ウィーザーついでに言えば、初代ベーシストのマット・シャープの別プロジェクト、レンタルズが輪をかけてカーズっぽかったんですよ。当時レンタルズもウィーザーに負けないくらい人気あったので、それがカーズ再評価をさらに進めた感がありましたね。
それから
スマッシング・パンプキンズも1995年からの「メロンコリー」の時期にカーズの「You're ALl I've Got Tonight」をカバーしました。これ、僕がカーズで一番好きな曲だったりするんですけど、この時はパンプキンズもカッKおよかったなあ。
そして2000年代前半にも
「カーズのもろパクリ」とも言われたファウンテンズ・オブ・ウェインの「Stacy's Mom」。これが2003年にアメリカで大ヒットしました。
これが何を意味するか
やっぱり、「カーズでニュー・ウェイヴに目覚めたキッズがアメリカには多かった」ってことです!
ここにあげた彼ら、みんな僕と世代近いんですけど、これ、昨日の投稿でもたまたま話しましたけど、「一方でKISSとかチープ・トリック聞いてた子が、カーズとかブロンディとかディーヴォ、B52sあたりでニュー・ウェイヴ意識するような感じになる。それこそがアメリカのオルタナ世代の初期の世界観の構築」なんです!
USのオルタナを語る際に、こういう人もいるでしょ。「アメリカではまず、80sにブラック・フラッグやマイナー・スレットの流れがあって・・・」みたいな。それももちろん大事だし、パンクの草の根をアメリカで見る意味では重要です。実際にそういう人も多くいたとは思います。でも、「それだけがルーツ」と信じることは、実情を見誤らせる危険性も同時にあるわけです。90s末期くらいから急速にカーズやらブロンディが再評価された背景には、こうした「ストイックだけど柔軟性に欠けたジャーナリズムが見落としてたポイント」があぶり出された感じを僕は感じてましたね。実際の話、そういうUSハードコアのパイオニアの一つ、バッド・ブレインズの初期の重要作の一つをプロデュースしてるの、他ならぬリックだったりするんですけどね。
さらに言えば、2000sにはこれもありました。
ザ・ストロークスが2011年に、カーズの「Just What I Needed」をカバーした時に、パルプのジャーヴィス・コッカーが飛び入りしたんですね。
ストロークスの場合は、2003年のセカンド・アルバム「Room On Fire」でかなりカーズを意識していました。「12:51」が顕著でしたけどね。あの、アナログ・シンセ調のギターのサウンド、その後も度々出てきますからね。
そんなことがいろいろあり
カーズそのものも2011年に、奇跡の再結成をするわけです。残念ながらリックの長年の相棒のベンはすでに癌で他界してたんですけどね。その前に、リックの代わりにトッド・ラングレンを代理に立てて「ニュー・カーズ」という名前でツアーしてたりはしていましたけど。
そして
2018年、かなり遅まきながら、カーズはロックの殿堂入りを果たしました。
今から考えると、今回、リックがこうやって世を去ってしまう前に、しかるべきことがいろいろ起こってよかったな、とも思うんですが、もう少し本人に評価される時間があってほしかったなと思うのと、年齢がだいぶ高齢になったとはいえ、まだ可能ならば音楽活動はやってほしかったですからね。新作が出ると聞いたらもちろん喜んで聞く準備はできてましたからね。
あと、今回の死因、まだわかってないんですけど、昨年に離婚をしているわけじゃないですか。そのことからくる孤独が心理的に影を落としてないことを祈りたいですけどね。
では、最後に、「やっぱり、この2曲がないとシメられない」と思われるもので。改めてご冥福をお祈りします。