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ドキュメンタリー「ビースティ・ボーイズ・ストーリー」〜「時代の変わり目」を自ら象徴した、稀有な悪ガキの友情物語

どうも。

ここ最近になって、アップルTVが見れる状況が整ったので、いろいろ見始めているのですが、こんばんはこれを見ました。

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この「Beastie Boys Story」。白人のヒップホップの先駆にして、90sカルチャーの象徴となって伝説化しているビースティ・ボーイズのドキュメンタリー。監督を手掛けたのは、彼らの名作MVを多く手掛けてもいる鬼才スパイク・ジョーンズです。

これは彼らの奇跡を振り返った

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2012年に逝去したアダム・ヤウク亡き後に残されたアドロックとマイクDの二人が「講演会」と言う形で、ビースティの結成の経緯から活動を終えるまでの話を二人の思い出とともに振り返る、と言ったものです。内容そのものは「今回初めて知るようなこと」というのは、正直なところありません。

が!

それでも十分に楽しい!

上に、

普通のドキュメンタリーより、愛すべき内容です!

これ、何がいいかって、

彼らがどういうところで異端であり、突出していたかが、はっきりとわかる内容になっています!


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ビースティ・ボーイズというのはご存知の方も多いように、もともとは80年代初頭にニューヨークでパンクに興味を持った少年少女が作ったパンクバンドだったんですよね。それが、ことのほか旺盛だった好奇心上、ヒップホップに興味を持って、バンドでラップをやろうとしてたら、「DJもできるメタル野郎」のリック・ルービンに出会って、さらに当時、新興のヒップホップ・レーベルだったデフ・ジャムのラッセル・シモンズと出会って、彼の腕利きで、当時、駆け上がってブームとなっていたランDMCの前座をやり、そこから

本来、「パーティのおバカ野郎」をからかうつもりで書いた「Fight For Your Right!」が大ヒットを記録して、87年にはアルバムが全米で長期1位になる大ブームに。

まだ20歳を超えて間もなかった「若けのいたり」も手伝って、日本のこの一部伝説となった「11PM」でのヤバいパフォーマンスを始め、世界中でパーティ・アニマル状態になって悪名を轟かせてしまいます。

ただ、「こういう生活に疲れた」「本来の自分たちを見失ってしまった」と自分を見つめ直した結果

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デフ・ジャムと喧嘩別れして、ニューヨークからLAに移って、1stの名声を生かしてLAの豪邸に住んで、その生活で見つけた才人プロデューサー、ダスト・ブラザーズと2nd「Paul's Boutique」を作ったら

これが大コケ(笑)!

これで借金がかさんでしまい、豪邸を引払い、LAで身の丈にあった生活に戻って、さらに

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自分自身でもう一回、今度はジャズ・ファンク風のバンドをはじめてみて、そこでマニー・マークと、マリオ・カルダートをサポート・メンバーにして迎え、「もう、パンクも、ヒップホップも、自分らの好きなものなんでもやっちゃえ!」で作った

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3rdの「Check Your Head」を出したら、これで新しいファン層がつき、クラブ・ツアーが大成功。

94年に4th「Ill Communication」を出したら、このスパイク・ジョーンズのMVがあたり

94年のロラパルーザではヘッドライナーとして大成功。これで、人気も、批評的にも、彼らは特大の成功をします。

・・・と言う、話の流れです。これ自体は驚くことはないんですが

僕自身にとっても、彼らの存在がいかに大事だったかを改めて思い出しました!

何を隠そう、僕、ヒップホップで最初に好きになった曲って「Fight For Your Right」だったんですよ。ランDMCの「Walk This Way」でもそんなにピンとこなかったのに、この曲はとにかく大好きで。この曲のおかげで、それまで何がいいのかわからなかったヒップホップへの偏見が消えましたからね。

これ、以降、リヴィング・カラーとか、レッチリとか、いわゆる日本で言うところの「ミクスチャー」というものに好感を抱くようになっていたのも、ビースティのこれがあったからだと思います。で、セカンドのコケた時もよく覚えてて。あれはのちにものすごい数のサンプリングをやったことが伝説化してカルト名作、さらには最高傑作節まで出されてるんですが、僕はそこは同調はしてなくてですね、むしろ

やっぱサードがですね。これが未だに大好きですね!今の耳で聞いても、音の一つ一つがすごく尖ってるし、計算した痕跡のない縦横無尽さが溢れ出てて好きなんですよね。アルバム通してのテンションのみなぎりが只者ではないというか。僕は幸いにして、大学のサークル内にビースティのファンが意外に多かったこともあって、このアルバムを早くから聞いて「カッコいいよね!」となっていて

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これなんて、発売日に買って聴き倒しましたからね。今でも、一般的に最高傑作はこっちでしょ?日本でも、ジワジワと人気が出て、むしろ、彼らが始めたレーベル、グランド・ロイヤルが面白がられ始めた時に人気が出て、98年の「Hello Nasty」で大ブーム、という感じだったかと思います。

こうした、彼らの活動の軌跡がですね、この当時のカルチャーそのものの変革と全く歩調が同じだったんですよね。

だって、グランジがメタルを追いやってロックに下克上を起こしたのだって、「Check Your Head」と同じ92年だし、ドクター・ドレーとかアイス・キューブみたいな西海岸のギャングスタ・ラップがMCハマーのポップ・ラップにとって変わったのだってその年でしょ?タランティーノの「レザボワ・ドッグス」もその年ですよ。クリントンの民主党がレーガンとブッシュ父の「強いアメリカ」の共和党政権を終わらせ他のもその年ですよ。80sっぽい膨れ上がったバブルっぽさを、市井に根ざしたマニアックな感性が駆逐したんですよ。もう、バブルが憎くて憎くて仕方がなかった僕としては胸がすく爽快感だったし、ここに名前あげたほとんどの人がヒーローでしたよ。さらに言えば、その時に就職決めて、会社的には都合の悪い社員になった原因にもなりましたよ(笑)。

 しかもビースティの場合、最初は「バブル・カルチャー」側に足を踏み入れてしまっていたタイプでもあるわけでしょ?そこから目覚めて、知的に進化して、違う形で大物になり直した意味でもすごいんですよね。そんなアーティスト、長い歴史で見ても、ちょっと他に思いつきませんからね。

 僕も、音楽の世界で仕事して、ものすごい数の、ビースティに憧れる不良っぽい人たち、たくさん見てきてますけど、申し訳ないけど、足元にも及ばない場合がほとんどでしたね。やっぱり、軌跡を可能にしたのは、並外れた知的さと、音楽、カルチャーへの並外れたマニアックな好奇心。やはり、これがないとダメなんですよね。そのことも今回、改めて思い出しました。

そして、やっぱり

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そうした「奇跡への道程」を共にしたアダム・ヤウクへの、アドロックとマイクの二人の、変わることのない強い友情の気持ち、これが徹頭徹尾、随所に感じられることが何よりも愛おしいです。ここも含めて、改めて「不世出の三人」に対しての僕の感謝も、改めて確認できた次第です。








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