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映画「Pain And Glory」感想 自分のスランプをネタにして突破口を見だしたアルモバル久々の傑作

どうも。

立て続けて映画を見てるんですが、今日はこれで行きましょう。

今年のカンヌ映画祭でも話題になった映画、スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの新作映画「Pain And Glory」です。

アルモドバルといえば、1999年の「オール・アバウント・マイ・マザー」(1999)以降の立て続けのヒットでスペインを代表する巨匠のイメージがついてますけど、今回はどんな作品なのでしょうか。

早速あらすじを見てみましょう。

話はまず、映画監督サルバトーレ・マロの幼少時の姿を映し出します。彼には美人の母親ジャシンタ(ペネロペ・クルス)がいて、彼女と父親との思い出がフラッシュバックされます。

それから現在、サルバトーレ(アントニオ・バンデラス)は、スペイン国内では「映画監督といえば」でいの一番に出てくるくらいの大物でしたが、ここ数年、作品が作れない創作上のスランプに陥っていました。

そのスランプの原因の一つになっていたのは、彼を慢性的に襲う体の痛みでした。それが何によるものなのか、よくわかっていません。

このスランプ期間中、サルバトーレは、かつての自分の映画の常連出演者に会っていきます。まずは偶然、出演常連だった女優、スレーマ(セシリア・ロス)に会います。


それから、サルバトーレはかつての主演常連俳優だったアルベルト・クレスポ(アシエル・エトシェアンディア)の元を訪ねたりもします。そこで彼は勧められるがままにドラッグを体験しますが、そこでの陶酔体験から彼は、幼少時の様々なことをより具体的に思い出していくことになります。

その思い出の中では、彼が両親とともに洞穴のようなところに住んでいたこと、彼が少年時代は芸術的な天才で、歌がかなりうまかったり、知的レベルが高かったりしたことなどが思い出されます。

そんな時に、サルバトーレのかつての愛人フェデリコ(レオナルド・スバラリオ)が訪れます。フェデリコはすでに結婚して家族も持っていましたが、久しぶりの再会で彼は、一回限りではありましたがサルバトーレと愛の行為を交わしました。

すると話は、幼少時にサルバトーレ一家にしばし訪れていた、たくましい体の、当時美青年だった左官屋の話が克明に思い出されていきます。

サルバドールは、頻繁に連絡を取り合うようになったスレーマの手助けを受け、これまで自分の奥底にあったものを掘り返していきます・・。

・・と、ここまでにしておきましょう。

これはですね

主演のアントニオ・バンデラスがカンヌの主演男優賞を受賞したくらい評判のいい作品でした。前にカンヌの記事をここで書きましたけど、その時も「パルムドールの候補の一つ」と書いてたほどです。

で、僕自身の感想ですけど

「ボルベール」以来の傑作だと思います!

ただ、

これまでの表現とはどこか違います!

というのはですね、これ、アルモドバルの作品の一つのウリになっているアクロバティックなストーリー展開がないんですよね。彼の脚本って、本当に手が込んでて「実は・・・」「えーーーーっ!」ってパターン。で、しかもそれが、ちょっと変態入ってたりもして、そこでもう一ビックリ、みたいなものが多いんですけど、今回は、その要素がそんなに強くありません。

まあ、あらすじでもわかると思うんですけど、彼の映画の場合、ゲイ色は毎回強く、今回もそれはしっかり出てはいるんですけどね。


ただ、今回の映画の場合は、そうしたダイナミックな話の展開はひとまず抑えめにして、それ以上に、アルモドバル本人のパーソナルな内面性をより強くストレートに出して、それをバンデラス扮する主人公に、形を変えて表現させてますね。つまりこれ

フィクションの形を借りた、アルモドバル本人の部分的な自伝と言えるものなんですね。

そして、そうすることで、アルモドバル自身が、作品に対する、より自身の本音の部分にある内面性をより強く投影できるようにもなっています。

さっき、「ボルベール以来」と書いたので、年数にしては12、13年ぶりの傑作ということになりますけど、その間、アルモドバルでいい作品がなかったわけでは決してないです。2011年の、同じくバンデラスが主演した「私が、生きる肌」も、アルモドバルらしい、男の持つ偏執的な怖さを描いた優れたホラーだったと思うし

前作「ジュリエッタ」も、アルモドバルらしい作風ではあったと思います。これも、女性の間での人間関係とか、途中でドラマティックな話の転換があるところとか、やりきれない切なさが残るとことか、そうした意味においてはすごく彼らしい映画でそれなりに満足もできました。

が!

なんか、「パターン通り」になりすぎて、彼自身の内側からあふれる、訴えたいものを感じないな。

その、歯痒さみたいなものは、この10数年、ありましたね。特に「ジュリエッタ」を見たときにそれ強く感じましたね。その意味では、印象的なシネマグラフィを誇る彼の作品の中ではあまり印象に残らないなと思っていました。

そのことがおそらく本人も自覚があったんでしょうね。今回は

アルモドバル本人が、何を考え、何を感じているのか、ひときわわかりやすいものになったと思います。

しかも「作品が作れなくなった映画監督」を主役に据えてる時点で、もう本人じゃないですか(笑)。しかしまあ、こんなある意味情けない創作者の直面する問題を、正直にさらけ出せるものなんですね。この形を借りることで、劇中のバンデラスのみならず、監督本人のリハビリにしてしまっているんだから。

そして、そのスランプの克服の最良の道も、「結局は自分自身の原点に戻ること」であることをちゃんと描いていることもいいと思ったし、強い教訓にもなり得るものですね。そういうとこも含めて、「自分自身の中にある真のインテンシティ(思いの強さ)」がストレートに出た映画だと思います。ここから彼の新しい時代が始まるかな。

ところで

このトレイラーでも一瞬出てきますが、この映画の中で、ロザリアがすごく彼女だとわかりやすい歌い方で、この映画に歌で貢献しているのも、音楽ファン的には見逃せないところでもあります。







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