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なにがBTSの世界制覇を可能にしたのか〜K-Pop約30年の歴史を12ステップで考える

どうも。

今日と、週が開けての火曜日の投稿はこの人たちについてのものです。

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はい。BTSですね。ニュー・アルバム「Map Of The Soul 7」が出たばかりですけど、これ、ちょっと、僕はびっくりしましたね!もう、あまりのクオリティの高さに驚いたと言うか。

詳しいことは、週明けて2回めの投稿で話すとして今回はですね

韓国の音楽界がなぜ、BTSのような存在を生み出すことができたのか

これを、韓国音楽界の、約30年の歴史の過程でとらえてみようと思います。

やっぱりですね、こないだ

「パラサイト」がオスカーで作品賞に輝いたじゃないですか。で、来週にはBTSの世界的ナンバーワンも決定的でしょ。なので、どうしても気になるんですよ。「どうして韓国のポップ・カルチャーが、今、ここまで世界を席巻することができているのか」と。これ、ただ、「ポン・ジュノとBTSが素晴らしかった」だけで済む問題ではないと思うんですよね。彼らのような存在を生み出すための強力なバックボーン。それを抜きには語れないかなと。

そこで今回は、K-popだけに話を絞って、自分なりの時間をかけたリサーチと考察により、過去30年でK-Popがどういう歴史をたどっていまに至ったかを考えてみたいと思います。

なお、予め言っておきますと、Kポップのファンの方なら「普通に知ってるよ」ということだとは思うし、ウィキペディアに書いてあることの範疇は出ないことではあります。ただ、K-Popのことを時系列に必要なところだけを秩序立てて書かれた簡潔なものをあまり日本語で見ないので、やって見る価値はあるかなと思いまして、やった次第です。

では、早速行きましょう。

①軍事政権の空気を振り払い、新しい時代がほしかった

これは前回の上のコラムでも書きましたけど、韓国の場合、ここが大きいと思います。これ、ブラジルはじめ、南米も同じ経験をしているんですが、1960年代から80年代まで、南米諸国や韓国は表現の自由を奪われていた時代です。共に、韓国だったら北朝鮮、ブラジルみたいな国だとキューバ、ああした共産主義国家が他にできないように、右翼の軍人たちがクーデターで軍事政権を築き、それが20数年も続いた、わけです。

韓国の場合は、それが1988年まで続くことになります。1961年からの27年間。このような長きに渡って 韓国の人たちは満足な表現の自由もできなかった、ということになります。

②アメリカのR&B/ヒップホップに明るい未来を見出した

直接的には、これが大きかったんだと思います。しかも、後にK-Popを切りひらいてきたパイオニアの人たち、彼らがこぞってR&Bのマニアだったんです!

まず、現在に至るまで、韓国の音楽界の最大勢力であるSMエンターテイメントの社長イ・スマンは、軍政の終わり頃、80年代後半にアメリカ留学した際、現地でのR&B/ヒップホップ熱に感化され、これを韓国に広めたいと強く思った、といいます。

さらに


1993年に、韓国で突然変異で、「ミクスチャー・ロックを導入したアイドル」が登場し、現象的な人気になります。これは当時、そこそこ日本でも知られ、僕もすごく驚いたもの(そんな日本のヒット、日本にはまだ存在しなかった)でしたけど、それを成し遂げたのがソテジ・ワ・アイドゥル。リーダーのソテジも今や韓国ではレジェンド扱いなんですが、彼の後ろで踊ってた人、ヤンヒュンサクが、この10数年後、今度は裏方で大成功します。


ちょうど同じ頃に、当時の、「韓国製R&Bシンガーの先駆」としてJYパクという人もデビューして、あんまり大きな成功を得ませんでした。ただ、この人も10数年後に、この時代を遥かに凌ぐ成功を裏方として収めることになります。

ただ、日本の場合、80sの終わりにはもう久保田利伸いましたし、もろもろ彼のフォロワーもいたりして、レベルや層の厚さでは断然上だったような気が比較して聞いてて僕はしますね。ただ、上のソテジみたいな仰天する確変みたいな存在がこの当時の韓国にいたのと、「研究してなんとかよくしよう」とする執念みたいなものがあったのかなと思いますけど。

③キッズの反応の速さ

ただ、「レベルの問題」はあったとはいえ、「キッズの熱狂」に関しては韓国の方が日本より熱かったんじゃないかと、今にしてみれば思います。


1997年には、今のK-ポップの直接的な先駆と呼ばれるH.O.Tが現象的な人気となります。彼らを排出したのがSMエンターテイメントです。彼らの存在はですね、この当時に僕のいたNHK-FMでアジアン・ポップスの番組がありまして、その番組で司会をしていた関谷さんという方が僕の居室によくいらしゃってて、彼女からよく聞いてました。あと、「韓国のTLC」と呼ばれたSESも、これのちょっと後かな、現象的に売れました。

ここで、「日本にだいぶ追いついてきたな」という印象でしたね。日本もこの当時、アイドルだと安室ちゃんやSPEEDがR&B取り入れはじめてたし、99年には宇多田ヒカルやDragon Ashが現象的な人気になります。レネルでいえば、まだこのときも日本の方が上だったかと思います。ただ、日本の場合、ヒップホップが取り入れられたのが80sの半ばくらいと早かった割には本格的なブームになるのが90sの終わりくらいとかなり時間がかかったのに比べ、韓国はR&B/ヒップホップがキッズに根付くのが早かった、というのは確実にあったかと思います。その分、韓国は日本と比べロックに人気がなく、今もバンドの層もかなり薄くはあるんですが、その分、熱気がR&B方面にいったのかなと思います。

④政府の支援が加わった

そして、ここが非常に大事なんですが、韓国では1990年末、ITや文化を国が政策として保護する、という、日本では起こらなかったことを政府が率先して行いました。

そのきっかけとなったのが、1997年に起こったアジア経済危機。これで韓国は、国際通貨基金(IMF)から多額の負債援助を頼りにしなくてはならないほど経済が落ち込んだのですが、その際にキム・デジュンという人が大統領になりまして。この人は金大中という名前で、日本では70年代に「韓国民主化の闘士」として知られた人ですが、この人が危機対策として行ったのが、ひとつは「IT産業の促進」。これが効きました。この影響で、サムスンとかLGが世界的な企業へと成長する足がかりになったわけですから。日本がITにどうだったか、というと、まあ、言うまでもないですからね。

くわえて、「文化、エンタメ産業を売り出そう」と力を入れはじめた。これがお大きかった。1999年には文化産業振興基本法が制定され、2001年には韓国文化コンテンツ振興院が設立されます。エンタメがしっかり、政府の省庁に入ってしまったわけです。

この政府の支援に加えて、企業が文化の後押しに加わります。それを可能にしたのが、先に書いたIT産業を支えたようなところだったりもしたわけですから、すごく産業と文化の循環が良くもなったわけです。

⑤異例なまでの数に増えた音楽賞

そして、今の韓国の音楽産業の特異的特色としては「他の国にない音楽賞の多さ」、これがあげられるかと思います。それが増えだしたのが、この政府の振興策の後からです。

韓国の場合、90年代までに存在した音楽賞は、ゴールデン・ディスク大賞ソウル音楽祭の2つだけだったんですが、2000s以降、これが異常増殖します。それがMnet・アジアン・ミュージック・アワード、ガオン・チャート・ミュージック・アワード、メロン・ミュージック・アワード、「韓国のグラミー」と呼ばれるコリアン・ミュージック・アワード。今や前述の2つと合わせてこれらが「主要」と呼ばれているもので、細かいのまで入れていけば15〜20くらい音楽賞が存在します。

こういうアワードって、何が開催を可能にするかと言えば、「企業の協賛」なんですよね。韓国の文化産業でよく言われるところの「企業がバックアップ」の典型的な見本がコレです。しかも、国民がこれ、結果も似たようなものになってるのに、飽きずにこれらの中継を見ていて、まだ音楽賞、近年も増殖中です。こういうのがあると、それが大衆人気に支えられたものであるとはいえ、自ずと審美眼みたいなものも一般に肥えてもくるわけじゃないですか。中にはコリアン・ミュージック・アワードみたいに、Kpopでさえ受賞に苦労する、ヒップホップとインディ・ロックにかなり寄ったガチに批評的なアワードまでありますからね。これはすごくいい業界的システムだなと僕は思います。

⑥ブルー・オーシャン戦略

こういう「政府や企業の協賛」ということに加えて大きかったのがブルー・オーシャン戦略でした。これは、「競争相手があまりいない領域のものを積極的に海外で売っていく」という経済理論ですが、ここに韓国カルチャーが乗っかったというわけです。

これが、いわゆる「韓流」と呼ばれるヤツで、これがキム・デジュンを継承した盧武鉉が大統領の時代、2000s前半に開花しました。ドラマだと「冬のソナタ」、映画だと「JSA」とか「オールド・ボーイ」、「殺人の追憶」と出た頃ですけど、音楽だと

⑦現地密着も、音楽的には斜め上

それこそBoAとか、東方神起とかの日本でのブームにつながります。

彼らで特筆すべきは、「日本に住ませてまで、国外進出を狙った」ことですね。これはSMエンターテイメントが③で述べたSESの日本進出失敗で学んだことだといいます。この失敗でイ・スマン社長は、「既存で売れてるものををいきなり持っていくだけでは売れない」と踏んで、現地育成を思いついたようですね。これが成功したわけです。

ここまでの気合って、残念ながらそれまでの日本ができなかったことです。日本の場合だと、「大手レコード会社と国際的に契約したよ」「ビッグネームのプロデューサーと契約したよ」で終わってたところが、その後が丸投げで、「現地に留まって活動」なんてことしたら、「肝心な本国に穴があいたらどうするんだ」との心配をしてしまいます。70sのピンクレディが海外進出のあいだに日本での人気が激落ちしたトラウマが残ってたのかなとかって思いますけどね。ただ、韓国の場合、BoAも東方神起もどっちも日本での人気が韓国にフィードバックした。そこがラッキーでしたね。

それを可能にしたのが、現地で本当に影響力のあるところとタッグを組むというやり方でしたね。BoAも東方神起もエイベックスで、しかも丸投げにしないでやったでしょ?あれが大きかったと思います。そしてさらに大事なのが、日本市場を過度に意識しないでサウンドはアメリカン・スタイルだった。ここがデカかったですね。


今でもこれ、覚えてますけど、BoAのこれ聞いたときに「日本、逆転されそう」と思ったものです。これ、サウンドがブリトニーとかデスティニーズ・チャイルドを完全に意識したものでしたけど、今でこそ日本でかなりの知名度あるこうしたアーティストも、日本でのキャッチアップ、アメリカより2,3年遅れたし、ましてや邦楽でサウンドを導入しようなんて動きなかったんですよ。そこを大胆に取り入れてきた。これがどこまで意図的だったかどうかはわからないんですが、「日本の洋楽摂取のダボつきに乗じる形で現地(アメリカ)直輸入的なダンス・ポップをはやらせた」。そしてこれが日本でのKpopのイメージにつながった。ここが、日本と韓国の立場の逆転のはじまりだったのかな、と今にして思います。もう、「準洋楽」みたいな立ち位置になっちゃったわけですから。

⑧競争の公正さ

そして、ここからは、日本の芸能界に耳の痛いこと、書きます(笑)。

ここまでの展開だと、韓国ではSMエンターテイメントの圧勝の印象が強いように見えるんですが、2000s後半からはそうはなりませんでした。韓国はここから、3つのエージェンシーによる「3強時代」に突入したわけです。

2007年には、ビッグバン、2NE1と、かなり飛ばし気味な、アメリカのヒップホップと比較した場合でも、かなりエッジの強いファンキーな存在が出てきましたが、それを送り出したのが、②で書いたソテジ・ワ・アイドゥルのヤンヒュンサクが社長のYGエンターテイメント。

そして、もうひとつが、同じく②で書いたJYパクが社長をつとめるJYP。彼が出掛けたワンダー・ガールズが2007年にビルボードのシングルチャートで同国初のトップ100ヒットを記録します。

SMの方も負けてはおれぬとばかりに、スーパージュニア、少女時代、Shiny、EXOと出していくわけですけど、これで3強時代となったわけです。傾向としてはSMが「R&Bはやるけど、基本的にやりたいのは正統派アイドル」、YGが「アイドル以前にR&B/ヒップホップがやりたい」。所属アーティストに微妙に漂うヤンキーくささがそれを漂わせています。そしてJYPが「アーティストのイメージ以前に、面白い音楽やりたい」。僕の印象だとそんな感じです。ここがエレクトロからロックに至るまで、一番音楽的には柔軟で面白いです。

こういう競争ができたところも、Kpopにはラッキーだったと思います。この3強での争いがこの後10年くらい続きますが、これだけじゃないですからね。細かいのまであげれば、今、10以上、エージェンシーの数あって、「どこの所属か?」が「相撲部屋かよ?」ってくらい大事なものになってますからね。でも、これ、日本だと、できなかったことですよ。だって、圧倒的にジャニーズ独占市場なわけじゃないですか。あそこが、「日本でのみ通用するもの」を業界でひとりじめしてやって、それこそ、SMとかYGっぽいことしたそうなライジング系のアイドルがいるけど、ジャニーズにはなかなか・・みたいな状況が続くでしょ?あと、ハロプロとか秋元が女子市場特化で存在して、という感じで。でも、こちらでも圧倒的に独占されるものが決まっていて、競争原理が働かないじゃないですか。これでは、「音楽的な」活性」がどうしても起こりにくくなってしまうと思います。

⑨新陳代謝の速さ

あと、競争させるからなのか、K-Pop、新陳代謝がすごく早いんです。

90年代のとこであげた人たちと、00sであげた人たち、今、韓国でそんなに大きな話題になりません。兵役ついてた関係もあってビッグバンでさえ、今、そこまで名前聞かないくらいですからね。絶えず新しい名前が勢力地図に加わっているところも、Kpopの強いとこだと思います。

それ考えたら、ジャニーズって、SMAP以降、TOKIO、V6、Kinki Kidsって、「おい、今、何歳だよ」ってくらいまで人気持ちませんでした?ひとつの影響力強い人達の人気が持続すること自体はいいことですけど、やっぱりそういう人たちがたくさんシーンに長居しすぎてしまうと競争が活性化されないじゃないですか。しかも、音楽的に刺激的なこととかは、少なくとも僕の準ではしてないわけで。もちろん、あそこからも新しい人たち出てきてるのは知ってますけど、むしろそっちに特化してやらせるようなことすれば、もっと面白かったような気はしてます。

⑩欧米で伸ばせなかった要素が伸ばせた

そうしているうちに、2010sに入って、Kpopが今度は欧米市場にも入ってきたわけですが、ブームでいろんな人たち出てくるようになって、ボーイバンド、ガールズバンド自体がかなり進化しましたね。

欧米だと、ボーイバンド、ガールズバンドのブームって、2000s前半で終わってるんですよね。そこをKpopが、「いないなら、自分らで発展させる」みたいな感じで入ってきて。たとえばビッグバンだと、「ラップ要素、そこまであげるんだ」って感じで出てきて新鮮だったし、女の子でも2NE1と少女時代じゃえらく違うでしょ?そんな風に方向性を特定させずに、それぞれの個性でサウンドや魅せ方も発展させた。ここは大きかったと思うし、それこそ、この時代にサイモン・コーウェルが仕掛けたワン・ダイレクションとかフィフス・ハーモニーとかより上だったとさえ思います。グループもののアイドルなんて、欧米、せいぜい、それくらいだったでしょ?

そこで、はじめてBTSなんですけど、最初はわからなかったんですけど、過去のいろんなボーイバンドと比較すると、その特異性、わかるようになりましたね。しかも初期から、しっかり聴き直すとわかります。あれ、「ヴォーカル+ラップ+ダンス」の3つの要素の最大進化系だったんですね。

まず、ラップの要素がここまで強いボーイバンドっていなかったと思います。ビッグバンでもGドラゴンいますけど、BTSの場合、SUGAとJHopeと3人ラッパーがいて、ヴォーカルでもジョングクってレベルの高いシンガーが一人いて、声に特徴のあるジミン、Vと3人。その計7人が、「アイドルにお約束な全員ユニゾン、ハモリ」を極力やらないでしょ。あれが入ることによって、「ああ、昔ながらのボーイバンドだな」って風になりがち(SMがそうなりがち)なところをBTSってやらないんですよ。そこ、音楽的に新しいなと思ってて。

あと、いわゆる「3強の出身」ではなくて、JYPから分家してできたBigHitエンターテイメントが、ほぼ一アーティストに限定して力入れて育成したなんて話も面白いし、ソングライティングがある時期まで(今も基本的に)、pdoggっていう、韓国の若いソングライター、プロデューサーに一任されてたところも、サウンドの核がしっかりしていることも感じさせます。

この構成の美、Kpop内でも、しばらく抜ける人、いないんじゃないかと思います。

で、こういう大きな存在が出ると、「自分らも」と競争心が煽られるでしょ。そこから自然と「バンドブーム」と同じような効用が韓国のボーイバンド、ガールズバンドに起こってしまいもするわけです。

⑪欧米でカルト・ファンダムが出来上がった

今度はBTS以前にまた話を戻しますけど、2010sにKpopは欧米に進出しましたけど、必ずしも順調だったわけではありません。アジア市場ほど、欧米での人気が「チャート」という形ではねかえったわけではありません。ブラジルでも電気屋に行けばサムスンの売り場で少女時代のDVDがかかってるようなことはありましたが、具体的なヒットにつながったのは、2012年のPSYの「江南スタイル」のみでした。これもPSYがジャスティン・ビーバーと同じエージェンシーに入れたから可能なものであり、これに匹敵するような成績はなかなか残せませんでした。

ただ、その間に、草の根的にコアなKpopファンを育てることができた。これも大きかったと思います。それを後押ししたのがKコン。いわゆる「コミコン」に対してのKコンですが、「おい、マーヴェルなのかよ」な展開を、2012年のアメリカを皮切りに、色んな国で展開して、世界に潜在的なKpopファンを増やしていたのが大きかった。ここのところなんかは、大昔のメタル・ブームとかインディ・ロックのブームを思い出させたりもして。今、ロックでこういうのがなくなりつつあるからうらやましいとことでもあります。

⑫メンバーの英語疎通

それでも、なかなかチャートヒットにつながって、「誰でも知ってる」状態にはならなかった。そこにあったのは、結局は「言葉の壁」だったような気がしてます。

ただ、それは「英語で歌う」ことではなかったことも明らかになりました。だって、今のBTSでも、韓国語で歌ってヒットを実際に出しているわけでしょ。そこが問題ではなかったわけです。

どうやら大事だったのは、メンバー自身が音楽じゃなくて、それ以外のところでファンやメディアに英語で疎通できること、だったのかなということです。

その件でBTSで大きかったのって

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RMが英語話せたのが大きかったのかな、と思います。彼がスポークスマンになって話したり、他のメンバーの通訳になることによって、「彼らが何について歌っているのか」がファンに具体的に伝わりやすくなった。そこが大きいし、それがあったからこそ、歌に込めたものが伝わりやすくなり、たとえばLGBTだったりメンタル・ヘルスだったり、欧米の10代の子が関心あることに関しての話題が共有しやすくなった。これ、大きかったと思います。

彼らに続いて欧米ウケのいい、ブラックピンクもメンバー中、2人話せますからね。あと、SMが仕掛けてる、そもそもBTSより先に当たりそうだったEXOとか、今、力入れ始めてるNCT127で、そこら辺の事情がどうかはまだリサーチしきってないんですが、彼らもそもそもが「アジア全域の子からの選抜」がコンセプトなので、その対策、やってるものだと思われます。


・・・って、とこなんじゃないのかな、と思います。

では、1日おいて「Map Of The Soul 7」について書こうかと思います。











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