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祖母の話

3月22日午前2:01、母方の祖母が亡くなった。
知らせがきたのは夜が明けてからだったが、
実はちょうど2時頃、なぜか目が覚め、しばらく起きていた時間があったので驚いた。

基本的に超常現象の類は信じないが、
魂のようなものが偶然を起こすようなことは
あるような気がしている。

突然の覚醒と、しばらく眠れなかったあの時間は、

「さようなら」

の時間だったのかもしれないなと思った。

私は基本的に親族と仲が良くない。

理由は1つだ。

幼い頃から私を枠にはめようとしているようにしか感じなかったからだ。

「ふざけるな」

両親だけでなく親族に対する苛立ちが、
私の孤独な戦いを揺るぎなきものにしたという点においては、感謝しなければならないのかもしれない。

けれど、彼ら彼女らに対する気持ちは、そのような皮肉を交えながらでなければ、浮き彫りにならない。

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亡くなった祖母との関係でも同じだ。
会う度に「公務員になれ」というその姿に、

「オレのことはまったく見えていないんだな」

と感じた。

父と母が銀行員だったことで、
大人になって「なりたくない職業」の
1位は銀行員、2位が公務員だったことは言うまでもない。

記者時代、中央官庁の国家公務員と膝を突き合わせて仕事をしていたことは、誰かの悪戯に思えるほど、嫌悪していた職業だ。理由もなく。

***

亡くなった祖母は晩年、認知症だった。
近年では、顔を見せる度に

「あら、素敵な人が来たわね。だぁ〜れ?」

と言っていた。

母をはじめ、認知症の症状が強くなってゆく日々だったので、大変だったと思う。そして、「今日」という日が近いことを、覚悟する日々だったと思う。私自身も、覚悟をしていた。最後に会ったのは今年の1月2日。

「ねぇ、素敵な人がいるけど、だぁ〜れ?」

と母に聞いていた。

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亡くなって思うのは、人は死ぬんだということだ。当たり前のことだ。でも身近な人がいなくなるという事実を目の当たりにしないと、「死」を考える機会は、日常生活にない。

連絡がきて、上司に「葬式などで休むかもしれません」と伝え、なんだか今は呆然としている。

意外だ。

とても煙たかった祖母。
私の個性に目を向けなかった祖母。
正直、嫌いだった。

私自身、私の人生は、アホかもしれないが、まだまだこれからだと思っている。個性を爆発させ、「ほら、見たことか。ふざけんな」と祖母に報告しようと思う。

さようなら。またね。

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