自分の知識は常に陳腐化している
サッカーに関してだったら
何時間でも話しつづけられる。
車についてだったら、ワインだったら、
昆虫なら。
時間を意識することなく
話をしたり、聞いたり、
ディスカッションしたりできる「対象」は、
誰しもひとつは持っているのではないでしょうか?
他界した私の叔母は
本が大好きで、
街の本屋さんにいくことが趣味。
家にテレビはなく、
読書に没頭することが日常でした。
本に親しみが持てなかった
幼少期の私に、
絵本を読み聞かせしてくれたことを
今でも覚えています。
やさしい笑顔で包み込むような
温かい時間。
残念ながら当時の私には
本の魅力が理解できずでしたが、
それでも叔母のぬくもりを
今でも思い出せるのは、
彼女が子どもでも分かるように
一生懸命、
大好きな本のことについて
非言語で表現し続けたから
ということ
なのかもしれません。
■ようやく
読書の魅力が分かり始めた
現在の私。
本のこともある程度
語れるようになりました。
運動についても語れますし、
ワインのこともちょっとは話せます。
ですがやはり一番は
スポーツビジネスに関する話題。
スポーツが生み出す「価値」が
社会がかかえる課題とどのようにつながっているのか
については、何時間でも
話し続けられる自信があります。
叔母のように、
誰でも理解できるような
巧みな表現力はいまだ乏しいですが、
訥々ながらも理論立てて
話すことができるようになった(と思っています)
そしてそれは言うまでもなく
日々の鍛錬の積み重ねの成果。
インプットとアウトプットをくり返し、
その累計によって逓増した表現力です。
■しかしながら振り返ること数年前。
私のサッカービジネスに関する
知識の浅さ、そして表現力の拙さは
目を覆うばかりでしたが
着実に伸びている
ということにも気づかされます。
そのときは自信満々に
でも今と比較するとあまりにもお粗末。
そう考えると今ある知識や経験も
数年後には陳腐化しているはずです。
大量にインプットして
アウトプットに自信を持てるようになると
勘違いが発動されて
失われる謙虚さ。
何時間でも自信を持って語れる一方で
語る相手は私の何倍もの知識量がある。
そんな前提は
持っておいて損はないと思います。
自分にとって自明のことを
自信満々に語られる苦痛。
痛みとともに奪われる貴重な時間。
コンサルを生業にしている私にとって
耳の痛い話ですが
避けることなく直視して
自戒を込めてしたためておきます。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!
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