見出し画像

代表選考にみる「平凡への回帰」


東大卒、超大企業に勤務、おまけに長身でイケメン、さらにめちゃくちゃ優しい。これで女性にモテないとしたらその理由は、「ハイスペックすぎて近寄りがたい」といった感じになるでしょうか?しかしながらフェアに考えれば、彼の存在が気にならない女性はけっこう少ないと思う。相対的にモテるはずです。

相手の印象を、見た目や職業などによって作り上げる。私たちの思考はそんな心理が働きます。暗い夜道に裏通りを歩いているときに声をかけられた相手が警察官か、普通の人か。なんとなく安心するのは前者であり、ちょっと怖いのは後者ではないでしょうか?前者が「警察官の格好をした悪人」だとしても、経験というフィルタが人を安心させます。

話を戻します。少し下品な話をすると、冒頭の男性は選択肢がたくさん。より美しい女性、知性のある女性、スタイルのいい女性など、男性同様にハイスペックな女性が選ばれ、男性と結びつく可能性は否定できません。一方、私のようなごくごく普通(かそれい以下)の男性は、よほどがんばらない限り東大卒の男性に勝てる確率は低いでしょう。

ここでダーウィンの進化論について考えてみました。

●生物の個体は微妙に違う
●個体の特徴は遺伝する
●個体には生存に有利なものがある
●有利な特徴を持つ個体は増殖する
●不利な個体は淘汰される
●有利さは環境によって異なる

生物はかくして、世代をこえて淘汰をくり返し、いまに至ります。もし上の例のようにハイスペック同士の男女が結婚して、残された普通以下の男女が一緒になり、それぞれの子孫が親の遺伝を受け継ぎ、それが繰り返されるとどうなるでしょう?予想されるのは極端な「二極化

ちなみに「優生学」というのをご存知でしょうか?「より環境に適した人種や血統を優先して、より多くの機会を与える」というもの。積極的にロースペックの個体を淘汰し、ハイスペックの子孫をできるだけ多く残せば人類はどんどん進化していくから、これこそが「人類の目指すべき正義」ではないか、という思想です。

19世紀末、この考えが大流行。背後には、欧州に依然として存在した、貴族と労働者をへだてる階級格差がありました。既得権益を守る貴族たち。ハイスペックな血統は子々孫々栄えるべきで、それこそが人類全体の繁栄のため、という傲慢なアイデアでした。

ナチスがこの思想を本気で信じたおかげで虐殺につながりましたが、50年ほど前まで米国ですら、知的障がい者や性犯罪者の遺伝子を残さない「断種」が法的に認められていたのだから、ナチスだけが悪者ではありません。米国だけではなく世界中でかつてこのような法律が存在し、そのベースには優生学の考え方が横たわっていたとされています。

しかしながら「そうは問屋が卸さない」として、倫理的な議論以前に、優生学の統計学的な正当性が否定されていたことは有名な話です。回帰分析という手法を用いれば、実際のデータは理論上の推測よりも「平均値に近づく」ことが明らかになり、「平凡への回帰」が認められる。つまり人類は二極化するような進化をすることもないし、遺伝や人種にもとづいて人間を差別するメリットもないということが実証されているのです。

この「平凡への回帰」という現象、なぜ起こるかと言えばそれは、身長、知能、性格などの生物の特徴に限らず、すべての現象がさまざまな「バラつき」をもっているからです。たとえばオリンピックの代表選考会。予選で世界記録をうちたてた選手が代表となり、でも五輪で散々な結果だったという例は枚挙にいとまがありません。スポーツの結果においても「バラつき」があるという証左。

選考レースでは近年まれに見る最高のコンディションであり、そうした状態(奇跡)が五輪本戦でも偶然つづけて起きるという、虫のよすぎる結果を期待しているに等しい。統計学的にはそんな言説があったりもしますが、プレッシャーにうちかつ精神力などの変数を考慮して、「安定して記録を出しやすい」選手を代表にするという現在の選考のあり方を完全否定するのはいささかしんどい。

ですが学ぶべきは「バラつきを持つ現象に対する理論的な予測が、じつはそれほどうまくいかない」という点であり、だからこそきちんとデータをとって回帰分析を行い、その関係性を分析する必要があるということでしょうか。選考会だったら、一定期間、ランダムな環境下での記録を無作為に抽出、その平均記録を選考基準にする。統計学的にはそんな手法が好まれるのかもしれません。

久保大輔




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?