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「努力は報われる」は本当か?


私たちは「3つの記憶」があるとされています。最近の出来事を覚える「短期記憶」、過去のことを覚えている「長期記憶」、そして情報を一時的に保つ「ワーキングメモリ」 3つ目が聞き慣れないかもしれませんが、たとえば人と話をしているときに、相手の質問に答えられるのは、ワーキングメモリに「相手の質問」が記憶されているからです。

ちょっと話が飛びますが、何かを極めたい、うまくなりたいと思ったら皆さんはどうしますか?10,000時間の法則よろしく「猛練習」に励むのではないでしょうか?イチローさんが幼いころ、バッティングセンターに通うなど、お父さんと毎日のように練習に励んだ話は有名です。「練習すればうまくなる」 そう考えるのが一般的だと思います。

ですがこの法則に待ったをかけたのがプリンストン大学の研究。「練習の意味」に関する大規模なメタ分析では、練習がもたらす技術向上は、たったの12%しかなかったと報告しました。「勉強」に関していうとさらに下がって4%、私のように大学院で専門的な勉強をしている人に限定するとわずか1%という結果に。

努力をすれば報われる」という世界観は、社会心理学で「公正世界仮説」と呼びます。がんばっている人は報われるし、そうでない人は罰せられるという考え。中長期的な努力が喚起されるのはいいことですが、世の中を見わたしてみるとすべての人の努力が必ずしも報われていないことは明白であり、このような世界観をかたくなに信じるのは、むしろ弊害が多いかもしれません。

イチローさんは努力していましたが、「努力すればイチローさんのようになれる」とは、教え子や部下、我が子にだってなかなか言いづらい。ですが「努力なしにイチローさんのようにはなれない」だったらどうでしょうか?言うまでもなく、練習自体を否定する、もしくは無意味だと言っているのではなく、「スキルの差が練習だけでは説明しづらい」ということです。

努力が報われるという世界観は、私自身嫌いじゃありません。ですが現実はそうなってはいないことを直視しなければ、豊かな人生を保障できなくなるかもしれません。10,000時間というとわかりやすくて目耳をひきますが、やみくもに時間を浪費するより、いかに効率的な練習ができるかの方が重要だとも思います。

そこで冒頭にあげた「ワーキングメモリ」が効いてくる。そんな気がしています。たとえば「読書」にしても、最初は遅かったのに、時間をかけて読書を続けていると読書スピードが格段にあがって、なおかつ理解力も向上するというのは、ワーキングメモリが成せる業です。専門職におけるスキルも、ワーキングメモリが常時作動しているからこそ上達を促すという理屈です。

ワーキングメモリは限りがあり、朝起きたときが満タンで、徐々に減っていって夜はあまり残っていないというイメージを持っていただくとわかりやすいかもしれません。昼寝をしたり、瞑想したりすると回復するなどテクニカルな部分もあって、鍛えれば鍛えるほどワーキングメモリの容量は増えていくことも分かっています。

詳しいことは「自分を操る超集中力」に載っていますのでぜひそちらをご覧ください。私もこの本にかなり助けられました。4年前は年間で20冊ぐらいしか読めなかった本が、昨年は100冊越え。いまでは毎月10冊は最低読めるようになりました。これは、この本を読んだからだと断言できます。

ワーキングメモリをつかって効率的に。そのうえで猛練習できるのが理想です。質と量を追い求めて、私も日々がんばっていこうと決意をあらたにしています。

久保大輔




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