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「全体」の構成要素である「部分」をいかにマネジメントするか?


今年最後の打ち合わせ。
イベントの振り返りでした。

コロナ禍において
4ケタ万円の協賛をいただき、

数多くの芸人とJリーガー
をキャスティングした巨大コンテンツ。

表面的には及第点だったとしても、
本質的な課題は少なくありません。

プロデューサーとして何をすべきか。

組織のマネジメントにおいて
やるべきことと、やるべきではないことは、

一般論として
把握はしていたものの、

現場は生き物なので

そっくりそのまま、その方程式が
カチッとハマることはありません。

部分の集合が全体であり、
全体を常に意識した部分のコントロールが基本。

ですが、

一部分を極めて慎重に取り扱うことが
全体を統括することにつながる

という今回の判断は、
今回に限ってはマイナスではありませんでした。

自分で動きすぎ、やりすぎる。

メンバーを動かすのではなく
自分が動くことが今回の肝、

マネジメントのテーマでした。


■プロ野球の埼玉西武ライオンズ。

私が学生のころは
黄金時代でした。

秋山、清原、デストラーデ。

そのほかにもたくさんの
個性的なプレーヤーが活躍。

監督は森さんでした。

そして「部分」のなかで
際立っていたのは清原さん。

人気、実力、そして報酬面においても
超一流でした。

当時は
あまり伝わってきませんでしたが、

今になって明らかにされているのは
夜遊びなどの素行面。

無冠の帝王という称号は、

不運だけがもたらした結果ではなかった
のかもしれません。

そして驚くべきは、
10代のころから特別扱いを受けていたこと。

当時、選手たちは

自家用車で球場に入り、
試合をしていたようですが、

清原さんだけは

メディアやファンの喧騒を避ける
特別エリアの使用を許可されていました。

そのほかにも、
たくさんの特別待遇が用意されていたはず。

そしてそれは

「部分」を過大にマネジメントする
監督の方針
であり、

それが全体をコントロールする秘訣だった、
ということは、

築かれた黄金時代が
その正当性を立証しています。

結果がすべての世界。
ここに誰も口を挟む余地はありません。


■一方、

当時ライバルとして
森西武に立ち向かったのが、

東京ヤクルトスワローズの
野村さん。

同じキャッチャー出身で、
データを駆使した緻密な野球でリーグを制覇し、

日本シリーズでの舌戦は
子どもながらに興奮しました。

対戦は互角。

お互いをリスペクトしあって、
切磋琢磨した一時代。

そして野村さんがおっしゃっていたのは、
清原を甘やかしすぎた」として、

彼がその才能を発揮しきれなかった
(と野村さんが評価)のは、

彼に対するマネジメントに
問題があったからであり、

それが森さんの唯一の失敗だったと
述懐していました。

※記憶が定かではありませんが、
おおむねそんな感じ。


「部分」の追求は、
当時「全体」に影響は少ないように思えましたが、

森さんが退陣し、
清原選手が巨人に移籍したあとは、

チームはその勢力を
弱めました。

今となっては、

黄金時代の主力メンバーだった辻さん
が監督をつとめ、

優勝を果たすなど
かつての輝きをとり戻していますが、

一時期の失墜感は、
素人ながらに印象的でした。


■話を戻すと、

今回のイベントをプロデュースして
得られた結果は、

長期的な視点で考えると
実はマイナス面もあったかもしれないという考察。

即物的に、短期的成果を
なんとしてでも獲得しなければならない、

という状況下であれば
それもいたしかたない面は否めません。

ですが、部分を過大評価して、

メンバーにあずけるべき仕事も
すべてマネジメントが担うという意思決定は、

長期的に見ると

チームの弱体化を促進する
可能性があります。

とにかく結果がほしかった。
その気持ちが強く出過ぎて

結果はでたけれども
この結果が将来のチームにどう影響するか。

結果に安心することなく
次を見すえて動いていきます。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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