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「正しい努力」を知る努力をする


10000時間の法則。

何かを習得しようと思えば、
10000時間の努力が必要だという理論です。

ですが言うまでもなく、
トレーニングの密度は無視できません。

適切なやり方、方法論
学んだ人とそうでない人では、

同じ10000時間でも
習熟到達度に差が生まれるはずです。

そしてもうひとつ、
私たちが見落としがちなのが、

すべての人が平等であるべき
というこだわり。

10000時間の努力で

世間を驚かす
優れた作品をつくりあげた人がいたとして、

「オレも同じようにがんばればできる」

と考えるのはいささか
強引な理屈です。

幼少期からサッカーに夢中だった私が、

努力をすれば
マラドーナのような天才になれる


と考えるのは、

極めてやさしい性格の持ち主にしか
肯定されない願望でしょう。

同様に、

マラドーナのようになりたかったら、
努力しなさい!

という親サイドから指摘も

間違いではないにしても、
無理のあるロジックです。

ただしくは、

「努力なしに、マラドーナにはなれない」

いたずらに誤った仮説にとらわれると、
やってもやっても花開くことのない

「スジの悪い努力」

に人生を浪費してしまいます。


■「才能」

に関して言及してみましたが、

生まれた環境も、
私たちに不公平を強いています。

どこのデータだったか記憶にありませんが、

いわゆる学歴がいい人の家庭は、
少なくない割合でお金持ちです。

学歴社会が根強い日本では、

大企業に就職して
高い給与を得ている人の割合も同様に、

お金持ちの家庭に生まれた人たち。

塾などに通う教育費
を負担するためには一定に収入が必要で、

子どもが成人に達するまでに
その負担を続けられるのは

一握りのお金持ち、
という成り行きです。

貧しい家庭に生まれる子どもは、
相対的に進学率が低く、

学びたくても学べないという環境に。

サッカーがやりたくてもできない子どもも
たくさんいると思われます。

なんでも現在の日本で
7人に1人が「(相対的)貧困」

海外の難民キャンプにいる
飢餓に苦しむ子どもたちのことを

絶対的貧困といい
日本でそのような子どもがいたら大問題ですが

相対的貧困の子どもは
全体の15%にあたるというから

けっこうな驚きです。
※相対的貧困についてはこちら


■少し話が逸れてしまいましたが

人類はみな
平等でなければならない、

と訴える人はゼロではありません。

でも冷静に考えれば
平等でも公正でもないのが現実。

才能、環境、ノウハウ、経験、

いろんな要素が
公正ではない世の中を形成していますが、

その事実を顧みることなく、

休むことなく、寝る間も惜しんで、
家族を顧みることなく働いても、

会社が必ず報いてくれるかどうかは
また別の話です。

努力をしたら必ず
モーツアルトのようなピアニストになれる

と信じるのではなく、

努力なしにはモーツアルトにはなれない
と解釈して、

スジの悪い努力をしないために

何を学ばなければいけないか?
誰に教わるのか?どこで経験すべきなのか?

角度、切り口を変えて、

「正しい努力の仕方」
を身につけるための努力

をすべきでしょう。

平等な世界を目指すことは
私たちに課せられた責務。

そんな志をもってなお

平等ではない世界に生きている
という自覚を常に忘れずに、

その中で
いかに勝てるかを模索することが、

今を全力でいきる
ということなのではないでしょうか。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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