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尊重するけど無関心という姿勢

心理学で言われる認知の歪みのひとつに「過度の一般化」というものがあります。たったひとつかふたつの事例をもとにして、それを汎化して捉えてしまい、物事を見誤ってしまう例です。

「先生は私のことをまったく見てくれない」

そんな学生の感想は、いろんなところで聞こえてきそうです。ですが一対多の関係性で、すべての生徒を手厚く見守ることは物理的に不可能です。先生も生徒もすべからく、使える時間は1日24時間しかありません。

生徒に詳しく状況を確認すると、「メールで質問をしても、催促しないと返信がない」という一例を話してくれるのですが、じゃあ他には?と重ねて聞いてみるとそれらしい事例が見つからず口ごもることがありました。

「まったく」という副詞をつけて強調していますが、実はたった一例をもとに「私を見てくれない」先生として一般化してしまう。これは極端な事例かもしれませんが、私も胸に手をあてて考えてみると、このような認知の歪みを知らず知らずのうちに起こしてしまっている可能性を感じました。皆さんはいかがでしょうか?

仕事柄、サッカークラブの選手やスタッフと交流することが多いのですが、ここでも認知の歪みを発見することがあります。サッカーの試合に出られる選手は11人。1チームに登録されている選手が30人いたとしたら、3分の2は試合に出られない、出られたとしても限られた時間のみ、という選手になります。

全選手に平等に出場機会を分け与えることはできません。ですが試合に出られないことが数試合あったところでモチベーションが下がってしまう選手は、ほとんどいませんがゼロでもありません。そしてその多くが「過度の一般化」による諦め、自信の喪失、最悪は「批判」という事態に発展してしまう

人間ですから、「好き嫌い」があって当然。そしてそれは尊重されるべきでもあります。ですが認知が歪んでしまうと、「好き嫌い」が「良し悪し」に強制翻訳されて、評価が変わってしまう可能性があります。「この人は合わない」という色眼鏡で対象と接していると、認知が歪み、過度の一般化を発動させて、「この人は無能だ」と評価するわけです。

会社員や学生の関係性になると、このような現象はより強く発展して、組織運営に支障をきたすことが少なくありません。プロサッカー選手は、個人事業主でもありますので、他者に関心を向ける時間があるくらいなら自分のために時間を使い、「俺はこれが好き」「あなたはそれが好きなんですね」といって尊重するけど無関心という思考を持ちやすいかもしれません。

では自分はどうか?自分の周りや組織はどうか?周囲を見回しながらあらためて考えてみました。皆さんはいかがでしょうか?

久保大輔




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