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言語化した経験は「哲学」になる


久しぶりにハマっている
サッカー本。

サッカーが大好きな割に、

戦術とかフォーメーションといった
専門知識はからっきしな私にとって

読みやすく、
引き込まれる一冊でした。


話の中心は「哲学

とある伝説的な選手が、

現役時代に体現し、
監督になって論理化したスタイルは、

多くの選手、監督、コーチ、
関係者をひきつけ、

彼がこの世を去った今なお、
脈々と受け継がれている。

教え子が監督になり、
それぞれの解釈によって進化した戦術は、

ときに抗争の火種にも。

勝敗のみならず、
会見におけるプライドのぶつかり合い、

選手の移籍にも
多大なる影響を及ぼし、

ときにクラブオーナーの進退問題
にまで発展する。

このバックグラウンドを
知悉したうえでサッカーの試合をみると、

いろんなドラマが垣間見えて、

サッカーの魅力は
まちがいなく倍加するでしょう。

ますますサッカーが好きになりました。


■それにしても

自分の仕事を、
感覚で進めるのではなく、

緻密な言語化と共有を図りながら
作り上げていく様
を知って

考えさせられることばかり。

仕事に限らず、
私たちは生きているだけで

無数の意思決定をくり返します。

朝何時に起きるとか、
朝ご飯を食べるか食べないか。

電車で本を読むか読まないか、
問題を先送りするか前倒しで処理するか、
上司と飲みに行くか断るか。

それぞれの判断が、

今の自分を形づくり、
お金や評判といった成果につながっている

といっても過言ではありません。

ということは、
それぞれの判断の質を上げることができれば、

ポジティブな未来をつくることができる
とも考えられます。

だからこそ私たちは、

本を読んだり、
先輩や上司に教えてもらったり、

自分よりも経験が豊富な人が持つ情報に触れ、
意思決定基準の質を高めようとするのでしょう。

そしてそれら
個別具体的な情報は、

抽象論理に昇華させることによって、
汎用性を帯び、

これから訪れるさまざまな未来の出来事に、
うまく対応できる力になります。

哲学とは
それら抽象論理の総合。

現役時代、数多くの試合で
すぐれた選手たちと対峙して得た「引き出し」

監督として、
試合をコントロールして得られた「引き出し」

未来に訪れる
似たような場面で再現できるように

引き出しにいれる情報は
「言語化」されています。

体験は言葉に残して
経験にして蓄積するからこそ

自分にとっても他者にとっても
使える「哲学」になるんだと思います。


■経験豊富な会社経営者が、

「いつか通った道」

という言葉をよく使いますが、
これは体験を論理化していることの証左。

レコードは
インテリアとして購入する人がいたりして、

いわゆる「ジャケ買い」需要
が存在しています。

レコードは「音楽を聴くもの」
という常識的な考えしかできなければ、

音楽無関心層の需要を
取りこぼす可能性があります。

レコードを

「視聴」と「インテリア」に
因数分解する「引き出し」があれば

どんな商品でも

ジャケット(パッケージ、包装、箱など)の
デザインに力を入れよう

という発想にいたるはず。

これはまさに「論理」の横展開。

レコードが売れる原因のひとつに
「インテリア」という言語を付与してストックしているからこそ、

たとえば

ワインのエチケット(ラベルのこと)デザイン
に凝る、そのために経費を惜しまない

という経営判断ができる。

現場の経営はもっと複雑で、
こんなにシンプルなものでは決してありませんが、

目に見えることだけじゃなく、
目に見えない「骨組み」の共通パターンを読み取り、

言語化している経営者と
していない経営者を比較すると

前者の方が

「いつか通った道」

を感じることが多い
という理屈です。


■サッカーと違って

ビジネスや人生の質を上げる
論理は、

良質な書籍にしたためられ、
数多く世に出回っています。

しかるべき書籍に手を取り、
しかるべき情報を取得して実装させる。

そのためには、
自分ですべて判断するのではなく、

しかるべき人に頼ること。

ときに「??」といった、
現時点での自分には理解できない
話や論理が飛び出してきますが、

理解できないから目を背けるのではなく、
理解できないからこそ積極的に手に入れにいきます。

なぜなら、

しかるべき人は、
しかるべき経験と哲学を有しているから。

いつまでも謙虚に、
自分は何も知らないと心得て、

常に学びを求めていきます。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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