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その街の音を鳴らせ。

僕は地方都市・新潟で、企画や広告デザイン、プロダクト制作に携わっています。20代の後半から、40代半ばの約20年の間、ずーっと新潟を拠点に制作仕事をしています。

30代前半に『美少女図鑑®』のポテンヒットがあってから、東京仕事や全国横断の案件も、いくつか経験して実感したのは、大都市と比べての「地方都市の限界」ってのは、やっぱりあるんだな、ってこと。

「予算」や「スピード感」については、みんな感じてることで、みんな言ってるんだけど、あまり言われることがないのは「見ている場所」の違い。

例えば、おじさん達が言う「この街(新潟)を良くする」って、だいたい都会に寄せて行くことでガッカリするし、若い子の考える「格好いい」ってのは、有名になることに向かっていく。

それって「都会の列の後ろに並ぶこと」だから、それが目的になっちゃダメなんだけど、それが全然、通じない。例えば「東京で流行ってるものをうちで売ってます」とか「大きなイベントをやって、人が集まった」みたいなことがゴールになる。

それって「都会に行けば、当たり前のこと」だから。東京に行けば、毎日、どっかで誰かがやってる。

僕が考える「豊かな生活」に必要なものってのは、その街でしか生まれないものを、自分たちで面白がりながら作っていくこと。もっと言えば、それが徐々に広がっていくこと。

そのために、ある程度の予算が必要だし、有名になることも重要。そこを間違ってる人が多い。

例えば、何かの企画をするとして、資金を集めるとか、許可を取るという段階で「ウィンウィンで行きましょ」とか「絡ませてください」と登場してくるおじさん達には、この話は通じない。

僕は、地方都市が、東京みたいになる必要ないと思う。何かのイベントをして、それに人が集まらなかったら、そのイベントが不正解ってこともないと思う。

クオリティのあること(実りのあること)は、誰かの深いところに届くだろうし、それは、自然と広がっていくものだと信じてる。青いようだけど、40歳を過ぎた今も、僕は、それを信じている。

音楽で言えば、シアトルやグラスゴーのように、その街でしか生まれなかった音楽があって。鳴らない音があるように。その街で、自然に生まれる気分がある。

そういう気分を多くの人に伝えていきたいし、面白いことを増やしていきたい。何かが、この街で生まれるなら、僕は、その場に居合わせたいと思う。

僕は、この街が好きだけど、多くの人が言う「地方活性化」とか「街を元気に」ってのが気持ち悪く聞こえるときがある。

冒頭に書いた「都会に寄せる」とか「人を増やす」って意味で使ってる場合があるから。

そういうときに出てくる「地方」と「街」って言葉は、つまり「自分の会社」って意味ですよね。「自分の会社を活性化っ!」とか「自分の会社を元気に!」が田舎には多い。ただ、悲しいことに、地方都市には、そういうおじさんの活躍の場は多い。

それこそが、僕の言う「地方都市の限界」だと思う。予算やスピード感より深刻な問題。

そして、こういうことを考えたり、言ったりするから、この街で浮いていくのだろうと思うけど。でも、そういう僕にしか鳴らせない音があると信じている。

2018年07月24日の日記からの転載

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