見出し画像

[雑記]20200219 閲覧履歴にもとづくおすすめ

という私にとってはノイズでしかない情報が入るようになった。今や世の中にあるほとんどのWebサービスはそういう感じで、そうじゃないものを探す方が珍しいかもしれない。GoogleとAmazonは一回でもクリックしたらそれに関連した広告を延々と流し始め、FacebookやTwitterはしれっと広告を挟み込んで強制的に見せてくる。単機能ゆえのシンプルさと軽さがよかったYouTubeもInstagramも、YouTubeはGoogleに、InstagramはFacebookに買収された途端に広告が入り、余計な機能がどんどん増えてどんくさい動きになった。

おすすめしてほしいと頼んだ覚えがないおすすめをどれくらいの人が望んでいるんだろうか。本来なら自分の欲しい情報にワンステップで辿り着けるのに、勝手なおすすめや広告のためにツーステップになる面倒臭さたるや(おすすめと広告は本来質も役割も違うものだけど、こちらに対する結果や強いる行動はほぼ同じなので並列している)。

どんなサービスでも基本的につくる人たちは使う人にとっていいものや便利なものを提供しようとされているはずなので、「おすすめ」という場合は恐らくWeb上でも市井の本屋や店にふらりと出かけて、どこかの棚(少しでも興味があるであろう場所)を覗いた時に得る偶然の一冊や商品との出会いを提供しよう、という善意の思いがあってのことなのだろうなとは思う。というか思っていたい。個人的には、そういう先回りってあんまり意味がないなって認識だけど。おすすめや広告の抽出に使われるAIが参照する情報の大半は閲覧履歴であり、私にとってはそんな精度の低い情報はないと思うから。少なくとも現時点では、私がなぜその商品/テキスト/ニュースを閲覧したかという理由までは読み取れない。私がものを探し、記事を選ぶ時にまず重要だと思った要素が読み取れない時点で、そういう判断になってしまう。

ごく簡単な例で言えば、仕事に必要で探した物、私が興味を持って探した物、家族に頼まれて探した物。理由も自分にとっての優先度もまったく違うのに、私が私のアカウントで検索すると同列の「閲覧履歴」にまとめられてしまう。だから私が本当にほしいものに届きづらくするノイズを単に増やしているにすぎないし、いい結果にあんまりならないのでただ面倒くさい。それでも仕事では必要なので使わないわけにもいかないのでもどかしい。そんな中で写真をアップする/きれいな写真を見る、といった行動や選択基準がガッチリ固まっている(あと仕事で使わない)Instagramだけは、変な新規広告主が参入した時とFacebookで変な広告をうっかり踏んだ時以外はだいたい意に沿った広告が出るしイライラする頻度は少ないので、こういう機能はサービスが扱う内容や役目に依る影響が大きいということも理解はしているつもり。

といういろんなことを差し引いても、勝手に判断されたり強制的に見せられたり(しかもそれがいろんな要素が混ざりすぎて的外れだったり)するのはやっぱりちょっとなって。そしてそのたびに「私の何がわかんねん」と言いたくなってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?