動物実験の話

新薬の開発において要求されていた動物実験を、FDAが必須項目から外したらしい。日々動物実験をする側の人間だけれども、これは良いことなんじゃないかと思っている。培養細胞で実験系があるのならそれでやってしまえばいいし、今後はオルガノイドの系も充実してくるだろう。必要なら動物実験をするし不要ならしない、そういう時代はいずれ来る(来た?)。なにも動物愛護の視点に限った話題ではない。


とはいえ、マウスを配って組織を回している研究所にいる身分としては将来のことを考えさせられる。日本で所属していたラボもリソース管理と分配を業務にしていたし、当時のボスは今も別の場所でリソース業務に従事している。欲しい時に欲しい系統を購入できるなんて相当に便利なんだけれども、それを維持するコストというのはおそらく年々上がっている。ショウジョウバエと違って精子やら受精卵の凍結ができるので場所は小さくできるのだけれど、生体を買うよりもはるかにコストがかかるので誰にでも買える感じではない。弊所でも凍結胚から起こしてもらうとけっこうなお値段がかかる。

生体にせよデータにせよ、リソースを集めて管理するのは維持コストがかかる。中身を充実させていかないと研究費は降りないので必然的に規模は拡張されていく。データベースの容量あたりの管理費用が下がる可能性はあれど、それでも人件費はかさみ続ける。リソース業務を適切なコストで走らせ続けるというのはおそらく経験と技術が要求されるジャンルなんだと思う。競争的資金は終わりがあるのでリソースものには使いにくい。なので昨今の研究費のトレンドとは相性が悪い。

イギリスのSanger Instituteもマウスどころか動物飼育施設を閉めてしまった。日本でもマウスを気軽に維持して研究できる施設・研究所がどれだけあるのやら。右肩下がりの時代にとっくに入っているのだろう。利用者が減れば減るほど単価は上がる。CRISPRで毎度自前で作ればいいじゃないかというと、それはそれでけっこうリスキーな気がする。急いでいるとあまりバッククロスしないだろうし、loxPを仕込むのもまだ大変なのである。

じゃあもうマウスじゃなくていい時代なんじゃないかと言われると、ある意味で正しいしある意味で間違っている。まず培養細胞の結果がマウスでは再現されないことがよくある。これも一種の恒常性なのか、KOやら薬物の影響は個体レベルでは概してバッファされる。さらに言えばデータのノイズが大きくなるので期待したほど有意差がでない。多細胞生物はそれほど要素還元的に振る舞わない。

一方でマウスで得た結論がヒトでは違うという話もざらにある。違う生き物だから仕方がないというのが半分、ラボマウスの遺伝的多様性の低さが半分。多くの動物実験が1つの純系統を選んで行うので、ヒトで言うならば特定の個人から大量にクローンを作って実験し続ける状態なのである。薬が効いたとて、系統=個人の遺伝的特性がどれほど関与したのかは分からない。この問題は培養細胞でも起こり得るので、例えばiPSの株ストックというのを目下のところ各国で大量に作っているのである。昔こそKOマウスをバッククロスして別の系統で表現型を見るなんて論文があったけれど、今の時代にやると(よっぽどの強い仮説がない限り)爆死する。当時も爆死してたんだろうけど。そもそもバッククロスしているあいだにポスドクが辞める。

ヒトのための実験動物として不動の地位に甘んじてきたマウスも少しずつその名声を下ろす時がきたのだろう。もちろんアドバンテージが完全に無くなるとは思わないけれど。それはさておき哺乳類のモデル生物としては段違いに世代が早くて知見が多いので便利ですよとは言いたい。



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