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世界はつながっているー 弱い立場に追いやられている人たちほど、社会や経済の仕組みを知り、仲間と手を合わせて立ち向かい、そのシステムを越えるものをつくる必要がある ③

蓄積した富や、もっている資産やものに値する人はいない。
それは、生まれ落ちた場所による偶然。
地球上にあるすべてのものは、私たち(=世界の大部分を占める労働者)が共同で生み出しているもの。
資本主義は、「自由意思での取引(例/労働力と給金の交換等)」というまやかしの言葉のもとに、資本をもっている地位に偶然生まれた人々が 、実際に富を生み出して社会に役立っている人々(=労働者)から盗んでいる仕組。

Capitalistm(キャピタリズム/資本主義)は、とても少数の搾取を行う人々(=資本・富をもつ階級に生まれ落ちた人々)と、大多数の搾取される人々(=実際に労働を行い、社会に貢献するサービスや製品といった、価値のあるものを作り出している労働者たち)で成り立っています。
資本主義を正当化するためによく使われることばは、「voluntary transaction(ヴォランタリー・トランザクション/自由意思での取引)」「Consent(コンセント/合意)」です。
ギリシャ人経済学者でアクティヴィストであるYanis Varoufakis(ヤニス・ヴァルファキス)さんは、ドキュメンタリー映画、「In The Eye Of The Storm」で、これらに疑問を投げかけています。

Production(プロダクション/生産)と資本主義との関係性は、Liberty(リバティー/自由 ※1: Freedomとはニュアンスが違う)とシンクしていません。

「盗み(領主が小作人が耕した畑の作物の多くを奪い取る等)」は、人間の歴史では長く行われていることではあります。
権力のあるものが自分の意志を、権力のない人々に押し付けるいじめのような関係性ですが、資本主義では、この「盗み」は、「合意」されている、ということになっています

封建主義の時代は、この「盗み」は、「神」が領主にこの権利(小作人が耕した作物の多くを奪い取る)を与えた、という言い訳が主流でしたが、これが「盗み」であることは誰の目にも明らかです。
領主は、権力のある地位に偶然生まれ落ちただけで、その作物から得る富に対して何も貢献していません。
実際にこの社会にとって欠かせないもので、富を生み出しているのは、小作人です。
小作人が資本を所有していないのは、領主と同じで、偶然、資本のない地位に生まれ落ちただけです。

植民地化・資本主義・産業革命がはじまると、農作物は非常に安く植民地国から奪えるので(植民地国で労働力と土地を搾取)、植民地宗主国の小作人たちの多くは農地から追い出され、何もない状態で放り出されました。
ちなみに、植民地国として支配されていた地域の人々は、植民地宗主国にとって儲けとなる作物を栽培することを強要され、植民地化される前は飢饉は起こらなかったのに、植民地化されている間、多くの地域が何度も深刻なレベルの飢饉を経験し、多くの人々が飢餓で亡くなりました。

小作人たちは、なんの資本ももっていません。
彼らがもっているのは、労働力だけです。
多くは、産業革命で新たにできた工場や鉱山等で、過酷な条件で非常に少ない給金で働いていました。
資本主義では、これらの労働者は、自由意思で、労働力とお金やものを取引する契約に合意しているとしていますが、それは事実なのでしょうか?

例えば、砂漠で道に迷い、死にかけているときに、誰かが水の入った水筒を差し出して、「この水をあげるので、あなたがもっている財産のすべて(貯金、家、車、貴金属等すべて)を私にあげるという契約書にサインしてください」と言われたら、これは自由意思での取引なのでしょうか?

もし、「私は、あなたにこの契約を結ぶことを強制していません。もし、この水を受け取らなければ、あなたが死んでしまうという事実は、私にはなんの関係もありません」というロジックを示されると、多くの人々は、これは、頭に銃をつきつけられて、もっているものを全て渡せ、と脅されているのと同じで、自由意思での合意ではないと認識するでしょう。

真実に自由意思での取引への合意であるというには、誰かが契約書をあなたに提示しているときに、あなたがどのぐらいの選択肢をもっているか、ということによります。
自由であること、自由意思での合意が成り立つには、まず、Property(プロパティー/所有物・財産・資産・不動産等)の所有権、食料や水・着るもの、生活に必要最低限な住まいといった(生きていくために)必要最小限のものについて、フェアな分配があることが必要です。
日本で起こっていることを考えると、ギグ・ワークでの労働力の取引や女性や子供の性の商品化を通した取引も、自由意思での合意ではないことは明らかでしょう。

誰が何を所有しているか、ということは、誰が何を誰に対して行うか、ということを決定します。

資本主義では、本質的に、このプロパティーの所有権は非対称に分配されています。
とても少数の資本家(昔はフォード等の製造業の所有者や大きな農地の所有者、今はグーグルやフェイスブック等のクラウド資本家)に対して、圧倒的に大多数の資本をもたず労働力を切り売りしてなんとか生き延びる選択しかない労働者たち、という構図が資本主義の力学です。
ほとんどの労働者は、自由意思で労働契約に合意するという選択肢をもっていません。
ある意味、最初から、少数の搾取をする力をもった人々が、大多数の搾取される人々をその場所にいつまでもキープし、搾取し続ける仕組を維持することで成り立っているともいえます。

ほとんどの資本は、その資本を所有しているけれど、全く働かない人に集中しています。
残りの大多数の人々は、実際にサービスや製品といった富を生み出していますが、その(正当な)見返りはほぼ受けていません。
お金がどのくらい自分に回ってくるかは、他の人々がつくった富の価値を抽出する力(権力やコネクション等)をどのくらいもっているかに、かなり左右されます。

2017年には、全世界で新たに生み出された82パーセントの富は、約1パーセントの大富豪たちへ渡りました。

現在の社会での、一番毒性の高い嘘は、「富は個別に、個々人によって別々に生み出され、国家が介入して税制を通して集産化する」というものです。
事実は、この地球上にあるすべてのもの、個々のアイテムは、共同的に作られ、その後、個人的に私物化されています。

たとえば、Wi-Fiは、オーストラリアの国家のもつリサーチ機関(税金で基本的に賄われている)で開発され、地球上の人々は、この技術の恩恵を無料で受けています。これは、スマートフォンの開発、サテライトの開発等、多くの発明・開発にもいえることです。
発明も、地球上の多くの人々が培ってきた基礎研究の道のり上にあるもので、一機関や数人だけがつくったものは、存在しません。
だから、「Self-made man/woman(セルフメイド・マン/ウーマン/(何もないところから自力だけで)成し遂げた人)」というのは、存在しません。
イーロン・マスクのテスラにしても、同じことで、彼はセルメイド・マンではありません。

でも、人間の心は不思議なもので、以下のような(偽の)確信をもつようになります。

もし誰かが何かを所有していたり、富を蓄積していれば、その人は、それに値する。

同時に(圧倒的大多数の)富やものをもっていない人々が、自分より富やものをもっている人々をうらやんで憎むのは、的外れです。

まず最初に、自分の持っている富やものに値している人は、ひとりもいません。
これは、ただ単に生まれ落ちた場所(国、家族、経済状況、コネクション等)という偶然によります
あなたが、何をしたかということには関係ありません。

ポイントは、私たちは、私たちが共同で生み出すもののパイを分配することについて著しく効率の悪い社会に住んでいるということです。
これは、自然とヒューマニティーの関係性についても言えます。
成長し続けるという資本主義の基本の考えだと、石油企業が海で石油流出を起こし、多くの企業がクリーン・アップに関わり、その地域にそこで働くこれらの人々の宿泊や食費が生じれば、国民総生産を高める(=経済成長)ということになります。
資本主義で経済成長をはかるために使われる国民総生産という基準は、環境に与えた悪影響や、それによって生じる人々の健康への影響等は全く考慮されません。
もともと、国民総生産という規準自体が、植民地宗主国同士の領地争いの戦争で勝つために、戦費調達(※2)という目的で考案されたものなので、この規準が現状にそぐわないのは、明らかでしょう)

私たちは、この馬鹿げたシステムに対して怒り、みんなで力を合わせて、人間性のあるより良いシステムをデザインすることに力を注ぐべきです。

【参考】
※1ː さまざまな解釈があるものの、Freedom(フリーダム/自由)は、障害や妨害、抑圧なしで行動できる力。Liberty(リバティー/自由)は、社会の中で、人生や日々の生活、言動において、権威から押し付けられた圧政的な制約から自由である状態
※2ː イギリス国営放送のBBC Radio4の、経済やGDP(国民総生産)についてとても分かりやすく、物語を交えてかたるプログラムがお勧めです。下記から聴けます。
Understand: The Economy
https://www.bbc.co.uk/programmes/p0dbsqv0


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