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怒りを感じることの大切さと、どうポジティヴな行動へと導くか

日本語だと、「怒る」と聞くと、(たとえ不当な怒りだったとしても)怒りを感じた人が、自分より弱い立場の人に対して攻撃的にあたりちらすことのようにも思うのですが、実際、「Anger/アンガー(怒り)」という感情と、怒りを感じたことにより導かれる言動とは違うもので、分けて考える必要があります
「怒り」という感情は、人間としてごく普通の感情であり、不当な扱いを受けた時、危険な目にあったときなど、自分のために立ち上がりたたかったり、状況によっては一時的に安全な場所に急いで退避するための必要な力を与えてくれます

ちなみに、Woody Allen(ウディー・アレン)の映画の中の登場人物が「私は絶対に怒らないの。代わりに、(身体の中に)腫瘍をつくるのよ」という場面があるのですが、トラウマを専門にしているカナダ系ユダヤ人のGabor Mate(ガボール・マテ)さんも、怒りという感情を抑え込むことは、身体にも悪影響を及ぼすとしていました。
子供の頃に受けた虐待などの、その当時の状況では全くコントロールも責任もなかったひとたちが暴力を受けたり、尊厳の侵害を受けたとき、その正当な怒りは、さまざまな理由で、一時的、或いは状況によっては長期的に抑え込まざるをえないかもしれません。
でも、それは消えるわけではなく、どこかで眠っているように見えても、何かの拍子に無意識に飛び出てくるもので、そういった状態だと、「怒り」を感じることが怖い、と感じるかもしれませんが、しっかりと向き合い、正当な怒りであったことに気づき、認めると、自然と怖いものではなくなります。
場合によっては、加害者を裁判にもちこむ(=加害者が加害の責任をとる)ということも必要なのかもしれないし、プロフェッショナルな心理療法士との対話が必要になるのかもしれません。
「怒り」という感情は普通のもので、それにReact(リアクト/反応ー何も考えずに周りの人を攻撃する等)するのではなく、どうRespond(レスポンド/対応)するかが大切であるというのは、恐らく西欧一般の普通の考え方だと思います。

自分がコントロールできるのは自分の言動だけなので、ほかの人々がどういう言動を行うかや環境(経済的・社会的・自然等)については、コントロールをもっていないので、なかには(恐らく多くの場合は)、その人にはdeserve(ディザーヴ/報いや賞に値する)しないという状況にあたったとしても、その状況に応じて、自分にできる限りの最適な対応をすることを訓練するしかありません。

最近、パレスチナ地域のベツレヘムの牧師である、Muster Isaac(ムンター・アイザーク)さんが、興味深い対談をしていました。

アイザークさんの英語はとてもクリアーで流暢なので、どこで勉強したのかなと思ったら、アメリカとイギリスで、修士、博士課程を修了していました。
アイザークさんの間がある話し方にも、思慮深さだったり、悩む姿もうかがえます。
英語が理解できるということは、こういったニュアンスが分かることも含めて、本当に世界を広げてくれます。

パレスチナは、地球上でも大きな不正義にみまわれている地域ですが、そこに数百年にわたって住んでいる人々には、なんの罪もありません。
基本は、パレスチナは、数百年にわたる(移住者)植民地主義の最後の地域で、カナダやオーストラリアは、移住者である白人ヨーロピアンが、原住民を大量に殺害したり、狭い地域に押し込めて、資源や土地を原住民から奪い、経済等の様々な面で独占することに成功しましたが、パレスチナ地域では、原住民であるパレスチナ人はまだ占拠者であるイスラエル(主にヨーロッパからやってきた白人ヨーロピアン・ユダヤ人がつくった国)に抵抗し続けています。
ヨーロッパにいた(白人ヨーロピアン)ユダヤ人は長く迫害に苦しみ、一部のヨーロピアンユダヤ人が巧妙なロビー活動を行ったこともあり、当時の植民地大国イギリスからパレスチナ地域をユダヤ人の国の建国の場所として認める宣言をした結果、ヨーロッパでの迫害や殺害から逃れた大量の白人ヨーロピアンユダヤ人がパレスチナにやってきて、パレスチナ地域を独占するために、原住民であるパレスチナ人(イスラム教徒・キリスト教徒)を殺したり、狭い場所に押し込めて水等の資源を奪い、ひととしての尊厳をもった暮らしができない状況を数十年にわたって続けています。
ヨーロッパの国々は、ホロコーストや数百年にわたるユダヤ人への迫害の歴史を罪深く感じ、自分たちの罪を、パレスチナ人を犠牲にして支払う・気を軽くしているというのが今までずっと続いている状況です。

アイザークさんは、パレスチナのベツレヘムでイスラエル軍からのパレスチナ人に対する絶え間ない暴力の中で育ちます。
アイザークさんや周りの人々が望んでいるのは、「誰もが(宗教や人種等に全く関係なく)イコールで、誰もの命もディグニティ―(人として存在しているだけで、誰もが同等に特別な価値をもっているとする概念)も大切にされる場所」です。
でも、イスラエル側は、国粋主義的な教育を押しすすめたことと、植民地主義的な考えを元につくられた国だということもあり、パレスチナ人(もともと歴史的パレスチナ地域に住んでいたアラブ系の人々ー宗教はイスラム教徒もいれば、キリスト教徒もいる)は、劣った人々で、自分たちユダヤ系イスラエル人は優秀で文明的(Civilized)で、いつも正しくイノセントである、という作り話を信じ込まされている人々が多いそうです。
そんな中で、インタヴュアーが、ガザの悲惨な状況について、どう感情をコントロールしているかを聞かれて以下の内容を答えていました。
※直訳ではありません。

怒りを感じることは重要です。
フラストレーションを解き放つことは大切ですが、そのときに、正しい方向に怒りを導くことが大切です。
怒りの感情は、憎しみとは違います
今(ガザで)起こっていることについて、気持ちが揺さぶられ、怒りを感じていなければ、私たちのヒューマニティーに何か問題があるといえるでしょう。
怒りの感情を正しい方向に導くというのは、ムーブメント(完全停戦を求めるマーチをオーガナイズする、参加する等)を作ったりするエネルギーにかえ、絶望する気持ちに負けないことです。
怒りの気持ちにポジティヴになり、Constructive work(コンストラクティヴ・ワーク/建設的なこと)、例えばソーシャル・ネットワークで即時停戦をよびかけたり、何らかのアクションにつなげることが大切です。
それ以外に私たちにどんなオプションがあるのでしょう?
私たちは、現実から目を背けて「私たちには何もできない。どのみち、イスラエルは自分たちのやりたいようにやるだろうから」ということもできます。
私は、このやりかたを拒否します
怒りを感じることは重要です、なぜなら、それは状況を変えたいという気持ちへと私たちを動かします
もし、私が怒っていないのであれば、それは、私は現在のstatus-quo(ステイタス・クオ/現状の体制・現状維持)に満足しているということになります。
私は、虐殺を正常化することを拒否します。

アイザークさんは、数十年かかったとしても、パレスチナ地域に住むすべての人々が、宗教や人種に関わらず、イコールとしての権利や尊厳をもって生きられる場所となることを求めて行動しています。
たとえ、その日をアイザークさん自身はみられなかったとしても、未来の子供たちにつなげるために。

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