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芸術は常にヒューマニティーと結びついている=政治からは切り離せない

チェコ共和国の最初の大統領となったVaclav Havel(ヴァーツラフ・ハヴェル)さんは、「教育は、さまざまな現象の間にある隠されたコネクションを見つけることのできる能力だ」といった内容のことばを言っています。
ハヴェルさんは、もともと劇作家であり、芸術を通した反体制運動も行い、劇が体制によって中止されたこともありました。
チェコ共和国が成立するまでの長年の反体制運動や革命に加わっていたことで、ハヴェルさんは、何度も投獄されています。
芸術は、さまざまなバウンダリーを越えて、人々の心に響き、それは、ほかの人々にも共鳴していき、それを止めることはできません
だからこそ、人々を抑圧する体制は、世界中のどの地域でも、どの時代でも、芸術家を牢獄に入れたりして、彼ら/彼女らの芸術をどうにかして黙らせようとするのでしょう。
人々を抑圧する体制側にとっては、ヒューマニティーで人々がつながることは、一番恐れていることです。
なぜなら、人々がヒューマニティーに気づき、つながってしまえば、この抑圧的な体制は崩壊するしかないからです。

世の中には、「芸術と政治は切り離されるべきだ」というもっともらしいことを言う人々もいますが、中国人アーティストのAi Weiwei (アイ・ウェイウェイ)さんが、Middle East Eyeの対話で言っていたように、芸術はいつもヒューマニティーと結びついており(政治的な)アクティヴィストでない芸術家は死んだ芸術家だ、というのは事実だと思います。
アイ・ウェイウェイさんは、この対話の中で、自分のアートは政治的なstruggle(ストラッグル/たたかい)と全く関係ない、という芸術家の宣言は、既に、とても政治的な宣言であるとしています。
なぜなら、ヒューマニティーや判断・考えることから自分を切り離すことはとても難しいstruggle(ストラッグル/たたかい)だからです。

ヒューマニティーは、世界中でつながっています。
難民問題、人種差別、女性・子供への暴力や搾取等は、すべてつながっています。


アイ・ウェイウェイさんは、「Human Flow (日本語タイトルは、ヒューマン フロー大地漂流 のようです)」という23か国、40以上の難民キャンプを追うドキュメンタリー映画を2017年に公開しました。
この映画をとった理由は、アイ・ウェイウェイさん自身が、詩人だった父が体制にとって都合が悪い存在だった為、20年近く中国内の強制労働キャンプに収容されたのに伴って、自分も自国内で難民のように育ったことからきています。
詩人だった父は、20年以上、詩をつくることを許されなかったそうです。
これは、この当時の多くの中国人知識層に起こったことです。
この経験から、アイ・ウェイウェイさんは「発言の自由」の大切さを痛感しています。
発言の自由は、政治的な宣言をもつべきだということではなく、自分の独自の見方や、自分独自の声(意見・発言)をもつことだ」とし、現在の中国共産党のように全体主義を推し進める人々には、自分のような、皮肉や批判的な目をもちユーモラスであることは、体制にとって危険とうつる、としていました。アイ・ウェイウェイさんは、「敵の目(=体制側)にうつる自分の姿から、自分の力を知る」といいます。
なぜなら、体制側が、アイ・ウェイウェイさんに力がないと思っていれば、牢獄に入れたりせず、ただ単に無視すればいいだけだからです。

アイ・ウェイウェイさんは、難民問題が歴史的・社会的・経済的な問題であることも深く理解しています。
世界の9割近い地域が数百年にわたり、一握りの植民地宗主国(西ヨーロッパの白人・キリスト教国)によって植民地されたことが、現在起きている難民問題の根本的な大きな理由ですが、西側諸国はそれを無視しています。
旧植民地は資源を搾取され貧しく、また植民地宗主国が勝手に国境を決めたり、支配をたやすくするために特定の民族を優遇することにより、地域の原住民たちをお互いに憎しみあい疑いあって争うように仕向けた時代も長く、植民地支配が終わったからといって、政情の不安定さは残ります。
また、旧植民地国の多くは、鉱物資源(ダイヤモンド、金、石油・ガス等)をもっており、それらを支配するために、西側諸国の介入(西ヨーロッパの力が弱まってからはアメリカが大企業を通してコントロール、鉱物資源を国有化しようとすれば、西側諸国がさまざまな理由をつけて侵略・政権交代のクーデーターを起こし西側諸国のいうことを聞く傀儡政権をたてる)が今も続いています。
西側諸国(=元植民地宗主国)が、元植民地国がいつまでも自分たちが搾取できる労働力・資源であることを巧妙に行うことから、いつまでたっても元植民地国が貧しく政情不安定な状態となり、それが難民が西ヨーロッパを目指して移動せざるをえない状況をつくりだしています。
その上に、気候変動は、実際に気候変動を引き起こしているの大きな原因は西側諸国であるものの、飢饉や洪水で苦しんでいるのは、この気候変動にほぼ関係していない元植民地国の人々です。
アイ・ウェイウェイさんは、これらの事実も映画で照らし出したものの、現在のところは、現実には何も寄与していないように見える(=政治的な変化はまだ見られない)、としていました。
個人的には、現在多くの若い人々や老人たちも、気候変動についてアクティヴに動いており、一見何も起こっていないようにみえても、さまざまな地球上の場所で変わり始めているように感じます。
多分、こういった変化はじわじわとしみわたっていて、ある瞬間に表に出てくるのではないかと思っています。

アイ・ウェイウェイさんは、映画をつくった効果(=難民問題・気候問題に対するヒューマニティーを誰もが共感して、地球上の誰もの自由や生きる権利が尊重され、政治的な変化も起こる)が感じられないとはしながらも、それに対して諦めの気持ちで苦々しく思っているわけではありません。
また、現在の中国のような統一国家は誰にとっても良いと思えず、自分の意見を発言する方法を見つけ(アイ・ウェイウェイさんは、中国内ではインターネット上の発言も消去されたり多くの制限がある)、発言し続けるのが自分の義務でもあると思う、としていました。

アイ・ウェイウェイさんは、「私の人生は何らかの役目を果たすべきで、それが他の人々を助けることになることも願っている」と言っていました。

アイ・ウェイウェイさんの人生への姿勢は、ハヴェルさんともつながっている気がします。
ハヴェルさんも、アイ・ウェイウェイさんのように、自分の信念に沿って、歩き続けました。
ハヴェルさんの以下のことばには、それがよく表れていると思います。

「私はオプティミスト(楽観主義者)ではありません。なぜならすべてがうまくいくかどうかについては、確かだとは思いません。私はペシミスト(悲観主義者)でもありません。なぜなら、すべてが悪い方向で終わるかどうかについては、確かだとは思いません。
私は、ただHope(希望)を私の心にもって歩き続けています
(私にとっての)希望は、人生とWork(ワーク/仕事・芸術・政治的アクティヴィズムー自分の信念に沿って行うすべてのこと)は意味があると信じている感覚です。周りの環境がどうであっても、結果がどう出ようとも

ハヴェルさんは、同じく、以下の見解も述べていました。

Human rights(基本的人権)は、ユニヴァーサルでIndivisible(インディヴィジブル/分割できないもの)です。人々の自由も同様に分割できないものです。もし、それ(基本的人権と自由)が世界のどこかの誰かに認められていないならば、それは直接的・間接的にすべての人々に認められていない、ということになります。だから、私たちは邪悪なことや暴力を目の前にして沈黙のままいることはできません。沈黙は、単にそれら(邪悪なことや暴力)を促進することになります

アイ・ウェイウェイさんは、インタビュワーから、若い人々にいろいろなアドヴァイスを求められることがあると思うけれど、どんなことを言っていますか、と聞かれ、旅をすることをすすめている、と答えていました。
アイ・ウェイウェイさん自身も20代、30代は、自分が何者なのか、自分が生きている理由はなんだろうと考えて苦しい時期を過ごしたそうですが、自分が知らない言語や文化、想像もつかなかったような人々との関わりのある旅を通して、さまざまな見方や自分のことも知ることになったそうです。

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