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「規律が自由をもたらす」の真意とは?

FROM ボブ・バーグ

オーウェリアンやオーウェル的という言葉はご存じだろうか。これらの言葉が指すのは、ジョージ・オーウェルが書いた『1984年』という小説の中で描かれた情報統制的な世界観だ。

この作品の具体的な描写に絡んで、オーウェリアンという言葉は、”真実とは全く逆のことを広めて偽の情報を植え付ける”といったような意味になる。真逆のことを信じさせる、という意味も持ち、抑圧的な政府を指すこともあるものだ。

実際にこの作品の中でも、「戦争とは平和である」「自由とは隷従である」「無知とは力である」なんて言い方が出てきて、人々に戦争や無知をいいものだと信じこませ、自由の価値を感じさせないようにしている。

「規律が自由をもたらす」は正しい?


ただ実際には、このようにオーウェル的に聞こえるものの、よく考えるとそうではないフレーズも存在する。そうしたフレーズの一つが、『規律こそが自由をもたらす』というものだ。

直感的には、「律するわけだから、自由じゃなくむしろ不自由になるんじゃないか」とお思う方もいるだろう。やりたいことを自由にやる状態と、何かに縛られてやりたくないこともやらねばならない状態、これらを比較すれば「規律こそが自由をもたらす」なんて言うのは間違っているように聞こえる。

まあ、確かにそういった考え方もあるだろう。でもこの考え方が通じるのは実は一時的にだけで、後には真逆になってしまうものなんです。

規律が自由をもたらすことの例…


たとえばあなたがネット上のイベントでだれかに出会ったとき、その人にどんな質問をするだろうか?初対面の人にどんな質問をするべきかということは、状況やタイミングによって異なるものだ。それに、相手のことを全く知らない状況では、限られた時間でどういった質問をするのが一番正しいのかを判断することはとても難しい。

それに、自分がするべき質問をただ暗記しておくだけではいけない。その質問をしっかり自分のものにして、自然に聴けるようにしておく必要がある。「次の質問は何だったか…」「これで合っているだろうか…」と考えながら、質問をすることに精一杯になってしまうと、相手の答えをきちんと聴く余裕がなくなってしまうからだ。

まずは土台を固めよう


だからこそ、そうならないように事前に質問の準備をしておくこと。そうすれば「次はどう質問しようか…」と考える必要はなくなるし、それによって相手に注目して会話ができるようにもなる。つまり、自分を厳しく律することで、むしろ”自由に”ふるまう余裕が生まれるということだ。

ほかにもたとえば、プレゼンをおこなう場面を考えてみよう。事前準備をすればするほど、実際のプレゼンではアドリブを交えて気楽に話をすることができるようになるだろう。これと同じことだ。基礎や土台をしっかり作っているからこそ、自由にふるまう余裕が生まれる、こういうわけなのだ。

つまり、いい基礎習慣を身につければ、あなたはより自由にふるまうことができるようになる。まさに「規律こそが自由をもたらす」のだ。これは決して、オーウェル的ではなく、真実である。

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