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貯めることの大切さと、使い切ることの爽やかさについて

あたらぼの活動がひと段落し、年末のむなしさよりも、今は新年への期待が少し上回っていて、穏やかな気持ちでこのエントリを書いています。

少し前やることに追われていた時にふと考えたことがあり、文章にしてみようと思いました。それがタイトルにある「貯めることの大切さと、使い切ることの爽やかさ」です。

◆人とエネルギーの関係


人生で何かを起こすには「エネルギー」が必要です。

・モチベーションを保って原動力にするやる気エネルギー
・行動するための体力エネルギー
・これまでの蓄積経験から交換可能なスキルや知識エネルギー

などなど。

ヒトは自分が持つ何かのエネルギーを交換して別のエネルギーにします。それはお金だったり、モノだったり、次のキャリアだったり。

たくさん持っているほどお金になる可能性も、モノになる可能性も、次のキャリアに化ける可能性も大きいため、みんな大きなエネルギーを持っていたいと考えます。

日々自己研鑽し、人に会い、体力づくりをし、知識やスキルを磨きインプットします。あれもこれも持っていると素敵ですが、なかには持つこと自体に満足してしまい、エネルギーを蓄えるだけ蓄えて交換しない人もいます。

一方でエネルギーをため込まず、どんどんアウトプットし、使い切っていく爽やかさを持った人たちがいます。貯め込まない人はエネルギーがどんどん循環していくので身軽ですし、見ている側も爽やかさを感じます。

人間のケースでお話ししましたが、実はモノも同じ性質を持っていると思っています。

◆モノとエネルギーの関係


10年くらい前に訪れた香港での出来事です。

ダウンタウンエリアの買い物に飽きた私は、中心部から少し離れた場所にある宿泊ホテル周辺をぶらぶらしていました。

このエリアで目に付いたのは、新しい高層ビルにある気の利いたショッピングセンター、そしてすぐ横にある昔ながらの小さい店がひしめき合う商店街。面白そうだったので両方を散策することにしました。

ショッピングセンターは夜遅くまで開いており、たくさんのものを揃えてお客様の要望を満たします。便利さと少しの高級さを求める人たちで程よくにぎわっていました。

一方の商店街は、夕方16時くらいになると夕飯の支度をする人たちで一斉に賑わい始め、お店によっては17時半くらいに最後の一品を売り切る。

いったん決めた分を売りきってしまうと、気持ちよく閉店する店が続出。どんなに人気だろうと追加で作ることはしません。お客も売り切れならとあっさりあきらめます。

特にお惣菜のお店は「売り切ってしまえば店じまい」が顕著。夜まで商品を陳列して営業するお店が気の毒に見えるくらい。どんどん店が閉まっていきます。

陽が落ちて暗くなるころには、ほとんどのお店が閉店していました。
活気もあって、メリハリもあって、実に気分の良いものでした。

いつ何時行っても、たくさんのモノがある安心感は、ありがたい。

ですが、いつもモノが溢れていることに対して少しの違和感を持っていた私にとって、見事に売り切って店を閉める商店街の潔さは、いまだにその光景を思い出せるほど強い印象を残しました。

◆貯めることだけでなく、使い切ることを念頭に置いて動く


貯めること(stock)の大切さは、「備え」や「便利さ」と繋がっています。明確な目標があって貯める(インプットする)場合は、早く「使い切るエネルギー」に変換されるので、過剰にため込まれることはありません。

ただし貯めることのモチベーションが「漠然とした不安」だった場合は、貯めるスパイラルに陥りやすく「持っていること自体」に価値を見出してしまいがちです。

その一方で、使い切ることの爽やかさ。もちろん本当にすべてを使い切って、燃え尽きてしまっては大変です。余力を残しつつ、自分のその時できる分を出し切ってゼロにする体験にもう少し注目したいというお話です。

程よく貯めながらも、上手に使い切ってゼロにしていく爽やかさ

日々モノや情報であふれかえった状況に疲れを感じるとき、あの香港の商店街の光景を時々思い出し「使い切る爽やかさ」に思いを巡らすのです。

そういえば数年前、支払いの際に小銭入れに入っていたお金をきれいに全部使い切り、空っぽになったことがあります。

その時に感じた爽やかさ!

貯めることにばかり意識が行きがちな私ですが、2024年は「爽やかに使い切る」を意識して物事に取り組んでいこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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