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ソフィアの闘病日記⑬

2021/9/9

今日は、ソフィアが通っていた病院からお花が届きました。この病院は、数年前に近所にできた動物病院で、今回ソフィアが初めてお世話になりましたが、毎日開けてくださっていたので、毎日点滴に通うことができました。結局、1週間しか通えなかったのですが、ソフィアのためにお花を贈っていただき本当に感謝でした。

ソフィアとの出会いは2006年4月。ソフィアという名前は、ソフィアに出会う前から神様に示されていました。当時は、トイプードル全盛期で、ペットショップに行っても猫はいないので、予約するしかありませんでした。私は、メールでもできる子猫の予約をしに、わざわざペットショップに行きました。アメリカンショートヘアがいいなと思っていたので、申し込み書に記入し、2ヶ月くらいの子猫の大きさを尋ねると、丁度2ヶ月の子猫がいると言われて、見せられたのがソフィアでした。耳が垂れている猫は見たことがなく、目が大きくとても可愛く、すぐに私のネックレスにじゃれていました。また、とても元気でペットショップの中を駆け回っていました。この子も売り物と言われましたが、予算の3倍の25万円でした。1時間くらい悩んだ末、分割払いで購入し、その日に1週間分のキャットフードと猫砂、猫砂ケース、おもちゃを持ってタクシーで連れて帰りました。
ソフィアは、とっても可愛くて元気で、私によじ登り肩の上に乗ったりしていました。

ソフィアは、生まれて1歳までは毎月、健康診断していました。3ヶ月目に、後ろ足にコブができて、びっこをひくようになりました。病院では、骨肉腫かも知れないと言われ、私はその場で泣いてしまいました。病院では対応できず、東大の動物病院を紹介されました。

東大病院で診察を受けると、このコブは、骨軟骨異形成症で、主にスコティッシュ・フォールドに発症する遺伝性の病気で、軟骨や骨に異常が起きる病気とのことでした。関節内では、骨の表面を軟骨が覆って、滑らかな動きができるようになっています。骨軟骨異形成症では、成長段階でこの軟骨の構造に異常が起こります。重症度は、症状をほとんど示さないものから、関節部がコブ状に腫れて正常に関節が動かないものまでレベルはさまざまですが、すべての「折れ耳型」のスコティッシュ・フォールドで骨軟骨異形成症を発症するようです。先生からは、特に治療はなく、病気と共に生きるしかないと言われました。私は、骨肉腫に効くサプリメントを与えたりしましたが、その後、ソフィアは成長するにつれて、コブがなくなって走れるようになりました。

ソフィアは、それ以外は慢性的な下痢のため、病院で下痢止めを処方してもらっていました。それについては、5歳くらいの時に、病院から消化器系の弱い猫用の療養食(ヒルズプリスクリプションID)を紹介してもらい、それからは下痢はしなくなりました。このキャットフードのおかげで医者要らずで長生きできたと思います。(26缶残っていた缶詰は、病院に寄付しました。)

10歳の時、歯に歯石ができて、病院に行きましたが、歯石を取るには全身麻酔で、超音波で取るしかないと言われ、血液検査をしました。しかし、受付で待っている時にソフィアの叫び声が聴こえ、相当無理やり検査をされたようでした。家に帰り、私に話すように二度と病院に行きたくないと言うので、結局キャンセルし、猫用の歯磨きをするようになりました。私自身も10歳のソフィアに全身麻酔をして命取りになる可能性もあるので、心に平安がありませんでした。ソフィアも病院に行くくらいなら、歯磨きのが良いと思ったのか、毎日「お口あーんして」というと口を開けてくれて、歯磨きが日課となりました。毎日の歯磨きで、歯石は1ヶ月後に自然に取れました。


15歳7ヶ月、ソフィアはほとんど大きな病気もせず、スコティッシュフォールドの寿命10~13年を3年も超えて、元気に過ごしてきました。ソフィアが居る生活が当たり前で、20年くらいは生きられるのではと思っていました。なので、今回慢性腎不全になり、早く気がついていればもっと長生きできたのではないかとか、すぐに幹細胞点滴の病院に行けば良かったなど、自分を何度も責めました。しかし、私がソフィアに何をしてあげたから、できなかったからではなく、生と死の主権は神のみにあることを知らされます。そして、なぜ、このタイミングでソフィアが天国に召されたのか、少しずつ神様が私に示してくださっています。



ソフィアと共に最後のShabbat(安息日)を過ごせたこと祝福でした。安息日は、神が6日間でこの世を造り、7日目に休まれた日です。この時は神が定めた時であり、金曜日の日没から土曜日の日没です。私は毎週金曜日は、ハラーブレッドを焼いて、葡萄ジュースとワインジュースをミックスした飲み物を用意し、キャンドルを灯し、創造主である神にイエスキリストを与えてくださった恵みに感謝し、お祈りします。ソフィアは、体はしんどいのに、いつも通りソファの上に座ろうとしてくれました。(ソフィアは、力が出ずにソファに登れなかったので、助けてあげました)


ソフィアが天国に召された翌日は、ユダヤ新年および角笛の祭りのイブでした。この日から購いの日を経て、仮庵の祭りに入ります。イエスキリストが生まれた時は、神が定めた仮庵の祭りであり、クリスマスではありません。そして、イエスキリストが再臨される際にも角笛が吹きならされます。この時を私達は分かりませんが、神が定めた時になされます。神の時をないがしろにしてしまうと、イエスキリストの再臨の時も見誤ることになります。


最初に造られた人間アダムの罪により、死がなかったエデンに死がもたらされました。このため、私達人間も、自然界も全て滅びることになりました。しかし、神は神の子であるイエスキリストを与え、私達に救いの道、死から解放される道を与えてくださいました。その救いの道は、イエスキリストが神に遣わされたお方であることを信じることです。そうすると、私達には聖霊が与えられ、神様とこの地上においても一体となり、神様の摂理(聖書の真理)が驚くほど明らかにされます。


この数日、私の回りで様々な変化があり、神様が時を動かされているのを感じます。全ては、主の時に敵っているのだと知れることは、大きな慰めであり、祝福だと思いました。

〔伝道者の書3:1-11]

すべてのことには定まった時期があり、
天の下のすべての営みに時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒やすのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、笑うのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
裂くのに時があり、縫うのに時がある。
黙っているのに時があり、話すのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦いの時があり、平和の時がある。

働く者は労苦して何の益を得るだろうか。
私は、神が人の子らに従事するようにと与えられた仕事を見た。神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

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