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映画という共通言語から学ぶ「新しい関係性」:「絵の中のぼくの村」ワークショップ・レポート

1996年にベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した映画『絵の中のぼくの村』。昭和20年代の田舎のでの少年時代を描いた同作のとあるシーンの「5分後」のシナリオを考えるワークショップが、合同会社アートロジー企画の元、2021年3月7日にオンラインで実施された。大人と子ども、子どもどうしの関係性や、そこで起きる多様な「ケア」が描かれた同作を鑑賞したあとの教育関係者やケアワーカーなどの参加者による同ワークショップ内容をレポートする。

タイムテーブル

イントロ|映画を見てみよう!(5分)
ワークショップ(1)|個人で心に響いたシーンを選んでみる(30分)
ワークショップ(2)|グループでシーンを1つ選ぶ(50分)
ワークショップ(3)|「5分後」のシナリオづくり(30分)
ふりかえり|シナリオをつくってみて(20分)

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イントロ| 作品が揺らす自分の感情

まず冒頭では、改めて『絵の中のぼくの村』を見直す時間が設けられた。決められた5分間の枠を改めて見直す。そのとき注意すべきは「自分の心に響いたシーン」。内容は下記のようなシークエンスになっている。

双子の主人公・征彦が風で川に落ちた帽子を拾うために川に入るとおぼれてしまう。そのとき、川のなかで「相撲を取ろう」という不思議な声を聞く。もう1人の双子の主人公・征三が助けに入り、事無きをえる。その後、川で釣りをしていた主人公たちは、黒い精霊に出会う。そのすぐあと、友人のセンジが森から出てくる。センジに何か言おうとした征彦の口を征三がふさぐ。その夜、おぼれた主人公は熱を出してしまい、家で両親に看病される。熱が出た理由を、征彦は精霊の声を聞いたからだと思う。

ワークショップ(1)|絡み合う参加者の問い

その後、参加者はアートマネージャー・西田祥子のファシリテーションのもと、オンラインホワイトボード・ツールMiroのなかに、自分が気になったシーンを書き込んでいく。「誰/何」が「どこ」で「何をする」シーンかを指定しながら、自分の動いた感情を振り返ることになる。たとえば、ある参加者は、次のように映画のなかの様子を自分の体験とむすびつける。

「双子」が「川」で「魚釣り」をするシーン
川がきれいで、地元を思い出した。自然が豊かでいい!双子がかわいい。あれだけの自然の中で遊ぶ体験をもっといろんな子にしてほしい。

改めて気になったシーンを考えるとき、参加者はそこで自分の感情の機微を見つめることになる。目の前に映る映像の要素から、過去の経験や普段感じている思いなどが、表出することになる。このプロセスは、他者と向き合う前に自分の感情を把握するという意味で重要となる。こうしてワークショップは、個々人が映像から映し出された自分を見つめ直したのちに、グループでの作業へと移っていく。

ワークショップ(2)|全体と5分間から見える違い

2つのグループに分かれた参加者は、それぞれのファシリテーターのもと、自分たちが面白いと思ったシーンについて語りあい、その後のシナリオを考えるためのシーンを選んだ。それぞれのチームによって選ばれたシーンは、「森からセンジが出てきた」ところと、「川のなかで、精霊の声を聞く」ところ。

まず前者のシーンを選んだチームでは、映画全体のなかで、センジというキャラクターの謎に興味がある参加者がいたのだという。センジが精霊なのでは?という意見も飛び出した。映画全体の物語を理解したうえで、ひとつのシーンを切り出してみると、伏線になりうるカットが改めて心に飛び込んでくるのだろう。

また、後者のチームでは、映画全体に「死」のイメージがあることに触れた。田舎だからこそ自然が多くあり、そのなかで遊ぶ子供たちは実は死と結びついている。子どもの視点から世界を描いた映画の本質が浮かび上がったようにも思える。また双子のやりとりに象徴されるように、一般的にケアされる存在とされる子どもも、またお互いにケアを行いながら生きている。

興味深かったのは、映画全編を鑑賞していない参加者がいたことだ。結果として5分間だけ見た参加者の想像力は、映画全編を何度も見た人だと逆に気づけないところもあったという。鑑賞者によって作品の着眼点が異なるという事実が改めて提示されるかたちとなった。そのまま、それぞれのチームは、次のシナリオを構想していく。

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Miroで使われた映像のシーンについて記録するためのワークシート。シーンを明確に指定しながら、自分の感情を記録できる。

ワークショップ(3)|「5分後」を想像するという行為

それぞれのチームでは、5分後にどんなことが起きるだろうと、参加者それぞれが想像を膨らませていった。まず「川のなかで精霊の声を聞く」シーンを選んだチームは、好奇心旺盛な主人公2人の行動に思いを馳せた。たとえば、精霊を探しに川や森に行くかもしれない。映像のなかにはないシーンが各人の心のなかで描かれていく。さらに5分間のなかでは描かれていない人物があのシーンにいたら、どんな反応をするだろうと考えた参加者もいた。

一方のチームでは、センジが去ったあとの主人公たちの会話に想像力をふくらませていた。

「なんであんとき口塞いだんや?(征彦)」「センジが消えてしまうやろう(征三)」

この会話には、作品のなかでほのめかされている「センジが精霊かもしれない」という仮定がある。それを口にすることで、正体がばれたセンジが村から姿を消してしまうという恐れを主人公たちは抱いたのではないか。物語のなかで、センジは周りからうとんじられている。ただ、主人公たちとの心の距離は近い。だからこそ、少年の想像力のなかで、友情と超自然的な存在がつながっているのではないかという解釈だ。

いずれのチームからも感じられたのは、キャラクターの気持ちを考えることの楽しさだ。映画というメディアでは、当然ながら全ての時間や視点が描かれるわけではない。そこを自分たちで補完することで、作品がもつ気づかなかった側面を捉えることができるのだ。

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シナリオをつくるためのワークシート。参加者が思い思いに自分が考える「5分後」を書き込む。

ふりかえり|作品を共通言語にすること

今回のワークショップで試みられたのは、解釈が分かれる映画のワンシーンを共通言語として、参加者それぞれの想像力を重ね合わせる行為だった。映像から得られる情報は限られているからこそ、そこには鑑賞者が補完する部分が多い。その補完情報を持ち寄ることは、自分自身の感情を言語化することにもつながる。

ある参加者はこんな感想をふりかえりで残していた。

映画の全体について振り返るのは、しゃべりづらい側面もある。一定の時間を切り取ることで議論が深まり、他人と意見を共有することで映画全体の見方が変わる。つづきを想像するパートもあることで、対話の面白さがさらに深まったなと思った。

今回のワークショップの題材として選ばれた『絵の中のぼくの村』では、征彦が家族によって看病されているシーンが印象的なように、他人を案じる様々な姿が描かれている。参加してもらった、障がい当事者と関わりがあるケアワーカーや親といった人々が異なる目線から議論することで、異なる時代のなかから現代につながるケアのヒントを得られたように思える。

映画もふくめたあらゆる作品は、鑑賞者の数だけ様々な解釈を許してくれる。名作と呼ばれる過去の作品であっても、それは同じである。今回は、主人公を取り巻く様々なキャラクターとのコミュニケーションをより深めて考えるワークショップを実施した。今回のような対話型のワークショップだけでなく、音声ガイドや字幕、解説動画により、新しい関係を切り開く糸口として作品がもつ可能性は、大きく押し広げられることになるのである。

「絵の中のぼくの村」監督 : 東陽一
https://theatreforall.net/movie/villageofdreams/
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■ この記事は、令和2年度戦略的芸術文化創造推進事業『文化芸術収益力強化事業』バリアフリー型の動画配信事業によって制作されました。

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