実力も運のうち~アホは差別されて当然か?
昨日、何となくNHKを見てると、動物園の飼育係のドキュメンタリー(大昔の)をやっていました。
白くまの子熊を、家族のように可愛がる飼育係の話です。
いや~、最近の世界の動物園の常識からして、こんな風に熊の仔をペットみたいにして扱うの、ダメなんじゃないの?とか思って見ていたんですが。
しかし、考えてみると
「動物をペットみたいに扱うのはダメ」
とか言うんだったら、うちの猫さんだって、ペットみたいに扱うの。ダメなんとちがうんでしょうか?
猫さんの自然権を奪ってるよね…。
動物園の熊とかライオンをペットみたいに扱っちゃダメだ!!そうですよね。
じゃあ猫と犬はペットみたいに扱われて当然なんでしょうかっ?!
そんなわけで、ちょっと以前に話題になったマイケル・サンデル教授の「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
って本を読んでいます。
この本が世に出たときに、紹介されてるのを読んだり聞いたりしたところによると、
一流大学に進学するのだって、教育の環境が必要で、結局教育にお金をかけれられる人しか行けない。家にお金があるかどうかは、実力とは関係のない運なんだから、結局それは平等ではないよね?
とか言う話だと思っていました。
どうも実際にこの本を読んでると違うみたいです。別に、整った環境の中で育ったかどうかで実力を発揮できるかどうか決まる。って話では全然なさげです。
え?
みんな、ホントにこの本読んで紹介してるの?
って感じです(笑)
世の中には、人種差別とか、性差別とか門地による差別とか、そういうものに反対してる人ですら、アホを差別するのは差別に入らないと思ってる。
っていうのがサンデル先生の主張のようです。
成功している人は、ひたすら頑張って、勉強して、その結果として成功を得ているのであって、アホの人は頑張ってないし十分勉強してないと。
そういうふうに世の中では喧伝されているお陰で、アホの人は、自分がアホで成功できないのは、努力の足りない自分のせいだと思い込まされている。あるいは、自分がそう周りに思われてるに違いない、と思っている。
でも、実際のところ、それは生まれ持ったその人の特質なのであって、それこそが運で決まっているのだと。それを声高に「自己責任」と言うのは、果たして民主的か?能力の専制ではないのか?
と、いうことだらしいです。
そんなわけで、今のところそういう事例を次から次からあげてるところを読んでいます。
前に、「ウォール街のランダムウォーカー」って本を読んだんですけど、あれもどれだけ株価がランダムに動くか、って話をこれでもかってくらい延々本の9割ぐらいを占めてましたから、この本も「どれだけアホは差別されてるか」の話で9割くらい占めてるのかな?
とか思いながら読んでいます。
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