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息子が とても とても 小さかった頃 #2

新生児と実家での1ヶ月

暑いのも寒いのも苦手な母は、夏場冷房ギンギンに冷やして生活してた。
新生児は体温調節もできないので、冷房を控えてもらった。当たり前だけどとても暑かった。

記憶と記録

ご機嫌な時はとてもかわいい。手も足も小さくぷよぷよしていた。うんちの時は真っ赤になっていきんで、ぶはっと出すのですぐわかる。おしめを外すと条件反射のようにおしっこピュー。

退院2日目から自宅へ戻るまで、授乳と排尿排便、体重、体温などの記録した。余白には毎日「ゲロ」事件の記述。
授乳後にぶはっとされて、おしめ替えで横にしたら吐く。おしめ替えの時におしっこをピュー。
ゲップ後にベビー用の体重計で体重を測る。そして、息子は吐く。たぶん乳も足りてない。

こんな…

頻繁な授乳とおしめ替えで睡眠がうまく取れない。授乳もゲップも下手くそだし。
元々わたしは汗をかきで、発汗で体内の水分がどんどん失われる。母乳には当然ながら水分が必要で、当時は経口補水液なんてなかったので、冷茶やジュースをたくさん飲む。そのうち胃がやられふらふらになった。息子は成長が遅いような気がして、不安が大きくなっていった。

ちゃんと育つんやろか?

授乳のたびに4回吐いた日、朦朧として横になろうとしていた。気がつくと息子がギャン泣きしている。ま横に枕を落としていた。母は孫を抱え小児科へ連れて行った。その後をノロノロと追う。医師は吐き気どめを処方、胃腸の病気などはないとの診断。

おかしくなりそうだった。

母は名無しの孫をマメタ、マメタロウと呼んでニコニコしながら世話を手伝ってくれた。わたしはなんと呼んでいたのか?記憶がごっそり抜けている。

記録では、退院2日目に元夫が名前の候補とともに実家に来たとある。色々呼びかけた記憶がある。その反応で最終3案に絞り、一番反応が良かった名前に決定し、出生届を出した。(生後13日目)
名前が決まってからは、最初の音にチャンづけで呼ぶようになった。

今思えば、授乳&ゲロに執着しすぎの育児メモ。生後1ヶ月でようやく吐かなくなり、汗疹、お利口だった日のメモが残っている。沐浴させたり、あやしたり、もっとたくさんかわいいなと思ったはずなのに。

小児科での1ヶ月検診、母子手帳には
 『発育良好 異常なし』


自宅へ戻る日が来た

神経衰弱のわたしと息子を支えてくれた実家の母。当時の写真を見ると、母はひと月で痩せて目が落ち窪み、笑顔のない疲れた顔をしている。息子とわたしに自宅まで付き添い、帰りの新幹線の窓。母がかすかに笑顔で手を振っている。すっかり忘れていた。泣きそう。


手を振る母

息子の小さい頃の話というよりも、自分の未熟さと後悔と懺悔の記録


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