まばたきの一瞬でさえ正しく生きられない僕たちは
2022年7月13日にXIIXの新曲「まばたきの途中」の配信が開始された。
直前のツアー「in the Rough 1」では、バンド編成ではなくメンバーの2人のみというシンプルなかたちでのライブを行っていたが、そこで得た自信を今度は別アーティストとのコラボで表現しようということで新曲が配信されることとなった。
今回はその第1弾であり、女優の橋本愛とのコラボレーションとなる。
橋本愛といえば、朝ドラの「あまちゃん」や大河ドラマ「青天を衝け」などの代表作があり、女優業を中心とした活動をしている印象があるが、昨年の「FIRST TAKE」の「木綿のハンカチーフ」で見事な歌声を披露していた。
XIIXと面識はなかったそうだが、曲作りのなかで橋本の歌声とイメージが重なるようになってオファーを送り、橋本がそれを快諾するかたちで今回の共演が実現したそうである。
これまで自分のバンドでは、頑なに他アーティストと制作してこなかった男と演技というまったく違うフィールドの女性が歌で共演をする…どんな曲になるのかまったく想像がつかなかったが、両者への信頼度から不思議と不安はなかった。
そうして、僕は配信日の0時ちょうどに音源の再生ボタンを押す。
どこかモダンな雰囲気の前奏が新鮮味を与えながらも、そこはかとないオシャレなメロディはまさにXIIXといった感じで、開幕からグッと心を掴まれた。
何となく気怠そうな斎藤の歌声に、ある種の既視感を感じながらも、1番は馴染みある構成で進んでいった。
ここまでは「in the Rough 1」でも聞いていたこともあって、まあ予想の範疇。
圧巻だったのは、2番からの橋本のターンだった。
声や歌い方ももちろんそうだが、斎藤との親和性が半端ではないのだ。
我らがギタボの歌声は透明感と棘を兼ね備えた唯一無二ものであり、どんなにキレイな花びらを持っていても、安易に触れると茎に隠れている棘にやられてしまう…そんなイメージを持つ危うさが魅力であった。
対して橋本愛は歌声は美しいんだけど、それだけでは測りきれない深みのようなものを感じさせた。
それが棘なのか透明感なのかはわからない…けれども、確かな魅力を構築しており、"橋本愛"という唯一無二の歌声が存在していたように思う。
何とか例えを考えるとすれば、山々をどこまでも流れていく広大な清流や建物溢れる街並みを鮮やかに彩る時雨ような…そんな瑞々しさを感じていた。
唯一無二×唯一無二の行き着く先は新世界か破滅かの2択であると相場が決まっているが、今回はどう考えても前者であった。
棘のある花に確かな養分を含んだ水が与えられ、より美しい大輪を開くことに成功したのだ。
だからこそ、余分な修飾語など必要がないほど、ただただ耳心地のよい時間となった。
曲調としては、十中八九男女間の心情を歌ったものだと予想しているが、男だ女だを越えて超越したものがそこにはあった。
どちらの良さも決して損なうこともなく、むしろ底上げして2乗されていくような…そんな感覚が正しかったように思う。
もはやそこからのラスサビは言うまでもないだろう。
徐々に重なっていく2人の歌声…主旋律の斎藤の歌声にそっと織り込んでいくように橋本の歌声が合わさる。
最後は橋本のロングトーンでの歌声が響き渡り、曲に彩りとさらなる美しさを加えて、有終の美を迎える。
まさに最上の共演。これ以外の選択肢がないと思えるほどの上質なコラボを見せてもらった。
…だが、それでいいのだろうか?
美しさにかまけて、大事なものが見えてない気がする。
この曲にはもっともっと秘めた何かがあるように思えてならない。
そう考えた僕は、今度は歌詞に目を向けてみる。どんなに薄っぺらい感想が出てきても、文字に起こしてみることにした。
"昨日までの二人はどこにいるの 朝日が差し込み抜け殻2つ"
それだけで何だかただならぬ関係であることは感じられるのだが、
"Everyday everytime everywhere 正しくいられたら 壊さなくてよかったけど"
その関係すら危ういことが推察される。
つまりは決して堂々と人前で名乗れる関係ではないということだ。
不倫関係…なんて意見も見かけるが、何となく歌詞にドロドロ感が薄い気がするので、もう少しだけ真っ当な関係のように思える。
個人的には恋愛ではないが、特別な男女の関係…というのがしっくり来た。
簡単につついてたら割れてしまうし、だからこそ執着してしまう。正しくあれない僕ら人間の愚かさの縮図のような立ち位置なのかもしれない。
"今だけは Stay with you"
この言葉が全てを物語っているのだろう。
きっとこの曲にでてくる登場人物はすぐに終わりが来ることはわかっているんだろう。それもまばたきぐらいの一瞬の速さで。
だが、それも視点が変われば、大きく印象も変わる。
"わかっていたよ始めからもう わかっていたよ始まりすら来ないこと"
もはや始まってすらいない…そんな相手に人はどうして執着してしまうのだろうか。
愚かを通り越して、無意味にも思えてくるが、だからこそ一層執着心も強くなるのかもしれない。
"1秒1瞬1度きりの指先で まばたきのような永遠を感じてね"
人は時間の長さだけでは測れない何かがあると言うが、きっと当人同士にとっては一瞬でさえ永遠に感じる何かがあるのだろう。それを幸せとは呼ばない方がいい気がするけれど。
悪戯な呼吸も柔らかな呼吸も一瞬で焦げつく眩い夜空に、夢見るのは正夢か悪夢か。
欲深い人間ほど見るのは後者な気がするが、それも見方次第では当人にとって満足な結末なのかもしれない。
バカにできないのは、僕たち人間はみんなそうで、どこかしら愚かだから。
その現実をよそ見してるからこそ、後先考えられない人間を非難したいのかもしれない。
儚いからこそ美しい。
禁じられているからこそあえて踏み込む。
間違っているゆえに選んでしまう
正しくありたい人間からすると、どれも意味を持たない言葉なのかもしれないけれど、選べる人間はある意味で強い。
多分僕らが間違いを選ばないのは、誰かに非難されたり、間違いを犯して人生がフイになることを恐れているから。
それも人間のあるべき姿だ。僕らは本能だけでなく理性で生きてるからこそ、自分を律し、集団のなかで秩序を生むことができる。
正しくあろうとすることもまた美しい。
人としての真っ当な生き方は、理不尽だらけの世の中で勇気を与えてくれる。
だけど、おそらくそれはどこまでいっても作り物で養殖だ。
人間は間違える生き物なんだ。
だからこそ、欲にまみれた姿はどこまでも自然で魅力的で目を引く。その純度が高ければ高いほど美しさも際立つのだ。
"目をふさいだその瞬間に 口に出したその瞬間に 砕け散るのさ ふさいでいさせて泣いてないで"
表現は美しいが、行いはどこまでも愚かで、ただただ延命措置をしているにすぎないことは当人にはわからないのだろう。
そこまで人を突き動かす何かが凝縮された
"1度きり閉じ込めた まばたきのような永遠を"
この曲から垣間見ることができるのかもしれない。
"クロマチックの夢が覚めてしまうまで"
曲中の随所に出てくる「クロマチック」という音楽用語には、隣り合った半音違いの音は共存できず、歪な不協和音となる…といった意味合いがあるらしい。
最も近くにいるはずの存在とともに歩むことができない。まさにこの曲に似つかわしい表現だ。
MVではボーカル2人が同じ画面に映ることは終ぞなく、最初から最後まで交わらない様が描かれていた。
だからこそ、認識の差はあれど、大多数の事実からすれば歌詞の世界観は"間違い"なのだろう。あくまで社会という天秤にかければという前提ありきではあるが。
正しくあることは難しい。ほんのまばたき一瞬でさえも。
楽しい出来事や真っ当な思いも、過程や気持ちが変われば、一瞬で正しさを吹き飛ばしてしまう。
それはある種、世の中の理やそこに生きる人々に間違いにされてしまうといっても過言ではないのかもしれない。
僕らは獣ではなく人間なので、きっと誰かが不幸になることはしてはいけない。
それがどこかの見知らぬ誰かでも、目の前にいる大切な人でも、現在の自分でも。
怒りや悲しみというマイナスの感情を生み出してしまう以上、自分にも他人にもそれが増幅されないような配慮は当たり前に必要なのだろう。
ただ、けれど、だって。
同じように喜びや楽しみも求めてしまう僕らにとって、今このとき気持ちの赴くままに突き進んでいく…これもまた当然の事柄なのだ。
そこには誰かの悲しみなんて不確かなものは混在していないし、するはずがない。
あるべき姿に戻ることが正しいことと、逆に仮定してしまうのならば。
相対的に人間は不幸になるしかないのだろうか。
けれども、あえて…あえて、極端なことを言わせてもらうとすれば。
正しい不幸と間違った幸せ…人が本当に望む姿は一体どちらなのだろう。
今の僕には恐ろしくて答えを出せない。けれども、
堂々と"間違い"を叫ぶ歌を作り、そして歌い切った3人に敬意を表したい。
もしいつか答えを出せたのならば、
大好きだけど嫌で嫌でたまらない不協和音を愛することができるのかな。
だとしたら、それも悪くないのかもしれない。
それがどこまでいってもノイズにしかならないとしても。
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