ねるねるねるね
03/25/2019編集済
仕事のために、なにかをしなければいけない時、ひとりだと
かなり苦痛なので、取り掛かるまでとても大変なのだけど、色を落としていくと、それが不思議と塗り替わる瞬間が来る。
これが「表現」のすごいところだと思うのだけど、
なにもない場所に、とつじょ「かたちあるものが現れる」体験というのは
すごく特別というか、不思議で魔法みたいで、
そして
何も無かった場所に芽が生えるとか、何も無かった土地に突然いのちが吹き込まれるとか
なんかそういう、奇跡っぽい営みなのだ。
色やかたちがすこしづつ現れていくそのさまは、【表現】というすべての活動と同じ喜びが芽生える活動なのだ。
たとえばモデルとして写真を撮られるとき、声を収録するとき。
カメラの前に立つときは、自分の存在を感じることができず、
何もないはずの場所に、撮られた写真として見ると、それがくっきり、自分の身体や顔として姿かたちが表れたときに、同じ感覚になったことが何度もあった。
ああ、ないと思っていたが、美しいものがうかびあがってきた!
なんだこれ!可愛いじゃないか!美しいじゃないか!
そういう感じ。絵描くといつもそうなる。何もないとか、ものすごく苦しい感情とかを吐き出すために色を落とすと、
なにこれ・・・わたしの感じていた怒りは、この美しい有様よ…。
と脱帽することもある。
むかし、よくお菓子で、ただの白い粉が、
水をかけるとピンクのあわあわになったりとか、
別の白い粉を混ぜると、ブルーのねるねるねるねになったりとか、
ああいう楽しさによく似てる。
文章をかくのもそれに似ている。
自分の記憶や、感じたことや、思ったことなんて言うのは
形がないぶん、あってないような幻感がすごい。
それをこうして言葉に起こしていくと、
魔法のように、朧げだったものが、それが突然いのちを吹き込まれたかのように起き出して、嘘か真か現実に変わって、
きらきらと踊り出すような
そんな感じがする。
それでちなみに、わたしはこれまでつねに、
すきなことをして、お金をもらったりしていて、
絵を描いたりモデルをやったり
ひとの話しをきいてウンウンと頷いて、
それでお金をもらってきた。
こんなに幸せなことってないよなあ。と思ったのだけど、
それは、ねるねるねるねだったということが
わかったある日。
見えない物が、べつのかたちとなってあらわれる、ねるねるねるねをやって、わたしはお金をもらってるのだ。
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