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”本当にこの人でいいのか”と迷ったら

誰かを愛する

って、やっぱり
最初は、なんらかの条件下にあると思うんだ。

自分の理想の人生に、合うひとはどんなひとだろうって、一生懸命考える。
しごとができる人、背が高い人、顔がタイプか、センスがいいか、学歴があるか、生活や身体の相性がいいかどうか。
それはもう色々無限に。

自分の幸せのために考えるから、考えれば考えるほど「この人でいいのかな」って きっと悩む。

わたしは、一度昔、理想の人と結婚したけど、色々な理由で別の道を行くことを決めた。
たとえば食事の嗜好やセックスに対する意識や、結婚観や子どもが欲しいか。当時わたしにとっては、それがとても大切なことだったから、望む未来という名の「条件」を選び、日本へ帰国した。

その決断に、わたしは一度も後悔してなくて、そのおかげで息子に出逢えたり、いろんな経験をさせてもらって成長できたり、「この人と一生添い遂げたい」と思える人にも最後、出逢えた。

でも今ようやくわかる。

自分の思う、条件を持つ相手だったから、その人を選んだのではなくて
その相手が、どんな条件であろうとも、自分の気持ちが変わらないと思えることこそが、本当に幸せなことなんだと。

そう考えてみると、たとえば今愛している人が、ガンになろうと、鬱になろうと、事故で半身不随でもし2度と、手を握ることはおろか、喋ることもできなくなったとしても。

わたしは別に、それでいいのだと思うよ。
自分の夢でもあった「子どもが欲しい」がもし、彼の意向で叶わなかったとしても、別にいいや。
と、最後にはそう思えたんだよね。

そんなふうに、別れる理由が、存在してない相手がいる。
そもそも最初から、条件で好きになっていない、一生横で、その全ての変化を含めて、一緒に経験し、歳を重ねてゆきたいとそう思ったのだから。

誰かを愛する、その最初に、その人の何かが失われたら一緒にいられないかもしれないと不安に思うなら、きっと「その人」じゃないのかもしれない。
でも、この人の何が失われても、一緒に乗り越えてゆきたいと思うなら、それが、自分も成長できる相手で、誰かを愛する本当の幸せということだと思う。

どんな道を選んでも正解だけど、誰かを愛するの中心は、いつも自分自身だから。

#誰かを愛する
#無条件の愛
#ツインレイ
#ソウルメイト

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