単独ライブノベライズ『出来の悪い街~③バット職人~』

 この何もない街に移り住んでどれくらい経っただろうか。当時はまだ少し若かった。郊外にある工房というものに憧れて、あえてこんな辺鄙な場所に構えたのを覚えている。息子が生まれたばかりだったということもあって妻からの反対も大きかった。その反対を押し切ったのは、頑固な職人というものに憧れを抱いていたからだ。そんな私の顔にも皺は増え、妻の腹回りにはさらに肉の層が重なり、小さかった息子は自転車に乗って一人で野球場へ向かうまでになった。そうか、あれからゆうに10年は経っているのか。
 私はバットを作っている。料理などで使う銀色のアレではない。不良が他校に殴り込みに行くときに携えているアレだ。本来の用途はもちろん野球である。私の腕前はどうやら業界内でも評判のようで、今までも多くのプロ野球選手のバットを作ってきた。一流になればなるほど道具へのこだわりは強くなり、そうなると私のものづくり精神もくすぐられるから自然と力がこもるものだ。一方で、あの高給取りのアスリートたちが私を頼って遠路はるばるやって来るのを思うと、なんだか天上人にでもなった気分になる。私が奴らの命運を握っている感覚にすら陥るのだ。こうした両極端な理由から、私はこの仕事を辞めることができない。
 シーズンオフになると、お得意先にしている選手からはもちろん、私の評判を聞きつけた若手の選手からのオーダーも多くなる。しかし私は全員のオーダーを受けることはしない。彼がどんな選手か、どのくらいの実力や才能を秘めているのかを判断し、場合によっては断りを入れることもある。そうしたほうが彼らのためでもあるし、何より気難しい職人って格好いいよなぁと思いながらやっている。そんな私の審美眼にかなった男が、この東という選手だ。

「今日は来れてよかったです。風間さんのような裏方さんの仕事ぶりを見ると、僕たちが心置きなくプレーできているのは支えがあるからなんだなぁって強く思えます。いつもありがとうございます。」
「ちょ、お前、照れるじゃねぇか。やめてくれよぉ~。…どうだい、ジジイだって照れたら可愛いだろ。」
「…はい!」

 この好青年は、今シーズンにブレイクを果たした若手の一人であった。木山という球界を代表するショートストップの怪我での離脱を見事にカバーし、チームをポストシーズンへと押し上げた立役者だ。近年、怪我がちな木山を考えると、来季からは東と木山の併用、さらには木山のトレード放出すらもあり得るという評論家もいるほど彼の活躍は目覚ましかった。
「来季は開幕スタメンを目指しますよ。そのためにも自分によりフィットしたバットをと思って風間さんに特注のバットの製作をお願いしたわけです。一からバット作ってもらうのなんて初めてだからすごくワクワクしてるんですよね。」
そう目を輝かせるその姿は、時に純粋な野球少年でもあり、日本球界を背負っていくスターのオーラをも放っていた。
 私はオーダーをされたその日から、寝る間も惜しんで彼のバットと向き合った。バット職人としての意地とプライドを賭けて、試行錯誤を繰り返した。

「それで、バットは?」
彼は待ちきれない気持ちを抑えることができずに私に尋ねた。
「もちろんもう出来上がってるよ。見てみるかい?」
「ええ、是非。」
「記念すべき一本目だからな、俺も気合い入れて作ったよ。ちょっと取って来るからよ、待っていてくれ。」
そう言って私は彼の来季からの相棒を取りに向かった。戻ってくると、まるでエサを待つ犬のように興奮している東がいた。そんな彼に私は私の最高傑作とも言えるバットを見せた。
「ほら、これがお前さんのバットだ。」
「…。これ…ですか?」
「これです。」
さっきまでの興奮はどこへいったのか。彼は力なく呟いた。
「これは…こざとへん…。」
「そう、こざとへん。野球選手のくせに漢字が分かるんだな。」
「分かりますよ、それくらいは。」

 私は彼のためにこざとへん型のバットを作ったのだ。「陣」や「阿」の左側。こざとへん。あらゆるへんの中でも最も彼に合ったへんを選び、丁寧に削った逸品である。ちなみに余談だが、このバットを製作するにあたって参考のために私が見ていた漢字は「陸」であった。

「来シーズン期待してるぞ。このこざとへんで3割打てなかったら次のシーズンからお前さんのヘルメット、うかんむりにしちゃうぞ。」
「いやいやいやいや、待ってくださいよ。打てるわけがないでしょう、こんなの。」
私の漢字ジョークがせっかく決まったところなのに、奴は生意気に反論してきた。これだから今時の若者はという呆れもあったが、私はなんと心の優しいことか。彼にこのバットの有能性について説明をしてあげた。

「見た目はこんなだけどよ、一応俺の長年の技術を結集した傑作だぞ?」
「いやそうだとしても…。」
「まずこのグリップ。握りやすく滑らない。手に馴染むたしかなフィット感が持ち味だ。あと、誰のバットかすぐ分かる。」
「いやでもね、風間さん。」
「そしてこのバットのヘッドな。シュアなバッティングが持ち味のお前さん用にミドルバランスにして重さを感じない振りやすさを実現した。これで速い球にも対応できる。あと、誰のバットかすぐ分かる。」
「風間さん、ですから…」
「実はこの形も理に適っているんだ。このこざとへんのフォルム、なんと!誰のバットかすぐ分かる!」
「どうでもいいんですよそこは!」

キレやすい若者とはよく言ったものだ。彼もまさしくそうじゃないか。彼は続けざまになぜこんな形にしてしまったのか聞いてきたので、私はまたしても懇切丁寧に説明してあげた。
「お前さんの苗字、東って言うだろ?東っていう字にこざとへんがついたら陳になるだろ。陳ってなんか中国っぽいよな。だからもっともっと稼げるようになったら、中国に旅行に行ってね!」
「どういうことですか!全然意味が分からないですよ!」

ガミガミうるさい奴だ。こういうのは感覚だ。野球選手のくせに頭で物事を考えようとするんじゃない。さらにこんな注文までつけてきやがった。
「まだ開幕まで時間もあるでしょう!間に合うはずです!普通の!普通のバットを作ってください!」
私のこの数ヶ月の苦労も知らずに簡単に言いやがって。バット一本作るのに我々職人がどれだけの汗をかいているのか分かっていないのだ。なにが「裏方さんのおかげです。ありがとうございます。」だ。これ言っておけばジジイも喜ぶだろとでも思ったのか。本当にいけ好かない野郎だ。
 もちろん、私はこのお願いを断固として拒否した。そしてさらに、私は胸の内を全て言うことにした。分からない奴にはビシッと言ってやるのが一番なのだ。

「実はな、俺の息子、木山のファンなんだよ。だからライバルのお前さんに活躍されると木山のポジションがなくなって息子が悲しむんだ。見たくないんだよな、息子が悲しむ顔は。父親として。おっと、神聖な仕事場で父親の一面をポロリ。それをキャッチして1塁へ!セーフ!いやセーフなんかい!」
「なにやってるでんすか、一人で!ちょっと待ってくださいよ、あなたの勝手な事情でこんなの作ったんですか?勘弁してくださいよ!こっちだって生活がかかってるんですから!」
「知るか!優先すべきは玉遊びやって何千万も稼いでる他人の生活より多感な時期の息子の笑顔だろうが!ということでね、来シーズンはこれで頑張ってください。絶対打てないでしょうけど!あ、そうだ、お前だけ振ったときボールがこざとへんの穴抜けたら1点っていうルールにしてもらったら?」
「なんだそのルール!そんなの野球じゃないでしょう!」
「そんなの野球じゃないねぇ。VS嵐みたいだねぇ。」
「うるせぇな、マジで!」

 奴は暴れるだけ暴れて去って行った。最後に訴えるだなんだと喚いていたが訴えたところでどうするというのだ。正義はこちらにある。私は家族の笑顔を守りたかったのだ。父親として当然のことをしたまでだ。ましてや、プロのアスリートが道具のせいにしようとするなんて言語道断である。与えられたもので結果を残してこそプロというものだろう。まぁ結果を残されては困るのだが。
 それにしてもどうしたものか。奴の足を引っ張ろうと作った代物とは言え、私が削ったバットだ。それなりの性能は保証されているだろう。そうだ、私が草野球で使ってやろうではないか。そう思って、私は鏡の前でバットを構えてみた。
 ああ、ダメだ。私は左バッターだった。これじゃおおざとだ。

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