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自分を30年間牢屋に入れた人間を、あなたなら許すことができますか ~元政治犯が教えてくれたこと~【短編ストーリー:南アフリカ】

南アフリカ・ヨハネスブルクでの初日。
国の文化や歴史について生の情報を得るべく、Uberの運転手と会話をしていました。

「ネルソンマンデラは南アフリカのヒーローだと思うんだけど…」
と、質問をしようとしたら、途中で遮られました。

「My friend, マンデラは南アフリカのヒーローじゃない。世界のヒーローだよ」

そう断言した運転手の顔は、誇りに満ち溢れていました。

そうか。たしかにそうなのかも…。
それから一週間、南アフリカをまわる中でネルソンマンデラの偉業について考えるきっかけが多かったわけですが、彼は単に「アパルトヘイトを終わらせた人」ではありませんでした。
なんというか、超越した人間力の持ち主。
これからの自分たちの生き方についてもすごく大きなヒントを与えてくれる人だったのです。

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少し話がそれるようですが、映画「インビクタス 負けざる者たち」を観たことはありますか。
南アフリカでのアパルトヘイトが終盤を迎えた頃、ラグビーワールドカップに出場した南アフリカチームが、国の一体感を生み出すために大きく貢献したときの話を映画化したものです。
現地の友人によると、ハリウッドスターたちの南アフリカアクセントが酷すぎて観るに堪えられなかったそうですが(笑)、それが気にならない方には是非ご覧いただきたい作品。

この作品では、南アフリカチームの主将(マット・デイモン)が、ネルソンマンデラ(モーガン・フリーマン)と出会い、「なぜ、30年間も牢屋に入れられたマンデラが、笑顔で白人の僕らと握手をしていられるのか」という問いに悩む様子が描かれています。
中でも印象的なのは、マンデラが収容されていた「ロベン島」を選手らが実際に訪れるシーン。

両腕を開いた分くらいしかない小さな独房と、そこに敷かれた薄っぺらい毛布。
直射日光がガンガン照り付ける中で、一日8時間も石灰を削り続けていたという採掘場。

そんな現場を目の当たりにしながら、選手らは、「もし自分が彼の立場だったら…」と考えにふけってしまうのです。

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私たちも、このロベン島を訪れました。
そして、同じシーンを自分たちの足でまわりました。

マンデラは、1962年から始まった27年間の牢獄生活のうちの大半を、ここで過ごしたのです。
27年間って、私たちの人生の長さとほぼ同じ。(ちょっとサバ読んでますがw)

その間に世界では、携帯電話が生まれたり、インターネットが生まれたりと、目まぐるしく変わっていくのに、アパルトヘイトだけは変わらなかった。

そんな長い期間をこの独房で過ごしていたら、
希望なんてあるはずがない。
愛情なんて残ってるはずがない。

でも、1990年に解放されたネルソンマンデラは、その後笑顔で白人たちと握手を交わすのです。
白人たちを追及するのではなく、受け入れ、共存しようとするのです。
ほぼ全員が白人選手であるラグビーチームに、優勝してほしいと全身全霊を込めて応援するのです。

・・・器が違いすぎる。

当時はもちろんそれに対して嫌悪感をいだく黒人は多かったようです。
当たり前ですよね。
本能的には、「白人なんて絶対許さねえ!」と、復讐したくなってしまうものだと思います。

でも、実際に「憎しみより愛情」を選んだ人々がたくさんいたからこそ、南アフリカは、一つの国として再建できたんです。

そんな時代を乗り越えてきた人の一人に、実際に出会うことができました。

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ロベン島を案内してくれたツアーガイドさんは、ここに実際に収容されていた経験のある元政治犯の方でした。

極秘経路で入手した新聞記事をテニスボールの中に入れて囚人同士で共有し合った話や、
ベッドや食べ物を要求するためにハンガーストライキを起こした話などを語ってくれた彼に、ツアー後個別で話を聞くことができました。

とても無表情な彼は、決して口数も多くない。
話題が話題だけに、私たちもどこまで聞いてよいのか戸惑いながら、少しずつ質問を投げかけていきました。

彼は1987年にテロ行為・脅迫行為・殺人・武器所持などの罪で捕まり、3年間ここで過ごしたといいます。
捕まったのは18歳の時でした。
マンデラに会うことはなかったけれど、同じ採掘場で石灰を削る作業をしていたそう。「太陽の光が強く、石灰に反射するからものすごい辛いんだ」と振り返ります。

アパルトヘイトが終わり、解放されたのは1990年。
そしてそのたった5年後には、ここのツアーガイドとしての仕事を始めたというのです。

「まだ収容生活の傷が癒えていないうちにガイドとして話すのなんて、辛くなかったんですか?」

と思わず聞いたところ、彼は遠くのほうを見つめながら、こう答えました。

「I just try to forgive and forget. (許して、忘れようとするのみ)」

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Forgive (許すこと)とForget(忘れること)

この二つの言葉がここまで重く響くことなんてありませんでした。

ネルソンマンデラだけでなく、このガイドさんのような一般市民が一人一人、憎しみよりも愛情を持ち続けられていたことことが
南アフリカの今を形づける強さだったんだろうなと感じました。

もちろん、前回の記事で書いたようにまだ完全に壁は消えていないかもしれないけれど、
それでも、「世界のヒーロー」として尊敬され続けているネルソンマンデラの精神が、これからの国の成長を支えていくんだろうな。

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