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合気道の話

あまり誰にも言っていない気がするけれど、私は2019年から合気道をやっている。

正確には、やっていた。

理由は単純だ。The Gift of Rainが、合気道を大きく扱った物語だからだ。日本軍のスパイである遠藤は合気道の師範であり、主人公の少年フィリップとは、合気道の稽古を通してつながっていく。
(この話をすると、かなり珍しがられて面白がられる。そこまでやるのねと笑)

でもこれは絶対的に必要だった。合気道に触れたこともない状態では、日本語から英訳されたであろう合気道にまつわる概念を日本語に訳し戻すことなど、どうやってもできないのだ。

その概念というのも、技などに関する表現はもちろんあるけれど、それは調べればある程度わかる。もっと単純な動詞がわからないことの方が多い。grabと言われたり、相手をspin aroundすると言われたり、相手のスペースにenterすると言われたり。それをどう訳せば、合気道の場になじむ日本語になるのか? まさに経験の語彙だ。そんなこと、実際に合気道をやっている場に入り込まないとわかるわけがない。

というのは少し後付けで、ちょっとした奇跡的なご縁があった。ロンドンから帰国して住みはじめた新しい家からまっすぐ5分ほど歩いた場所に、塩田剛三先生という伝説的な合気道家のお孫さんが営む合気道道場があったのだ。

生きる伝説と言われた塩田剛三先生は、合気道開祖である植芝先生に教えを受けておられる。
The Gift of Rainに登場する遠藤も、植芝先生を師として仰いでいる。要するに、物語の登場人物である大切な人と、私は間接的に繋がってしまったのである。
親子クラスがあるのをいいことに3歳だった息子を巻き込んで一緒に入会し、私の方が断然真面目に通っていた笑
初めて稽古に出たときは、ずっと会いたかった人にようやく会えた気がして、本当に泣きそうになったのを覚えている。

お孫さんの塩田将大(まさひろ)先生は、同世代で話しやすく、そして本当に素晴らしい先生だった。穏やかで芯の強い人柄が素晴らしくて、教えはとても分かりやすかった。分からざるをえなかった。先生に技をかけられると、わずかな動きで体がほんとうに転がされてしまう。胡散臭く思われがちな合気道が、実は非常に理論的で人間の体の仕組みを知り尽くした上で成り立っている武道なのだと、私は道場に入って初めて知った。

合気道は、激しい動きをしていない気がするのに、ものすごく汗をかいて消耗する。体幹が整って、力の使い方が変わる。
空手などよりも、体や精神への効果はヨガに似ていると思う🧘🏻‍♀️

そして道場では、みんなが優しかった。みんなが互いを思いやっている。相手なしではできない武道だ。そう、合気道には勝負がない。

誤解のないよう書いておく。合気道初段である原作者のTan氏が、The Gift of Rainで描こうとしているのは、技の紹介でもなければ、日本武道の精神性でもない。精神の鍛錬はもちろん、主人公の成長過程で大きな役割を果たしているけれど、この小説で合気道が持ち出されているのは、この武道の目指すものが「調和」と「均衡」であって、それが、落とし所のない戦争という現実のカウンターとなりうるからなのだ。
主人公二人は、残酷な運命に翻弄されながら、合気道の動きのごとくすべてを調和させようと、物語の結末を探し求める。それは、過去の悲劇に折り合いをつけようとするこの小説自体の試みでもあるのだ。


私はといえば、二年ほどすさまじい熱量で合気道を学んで、最初の9級から3級まで上がって、茶帯をとった。全然上手くなったとはいえないけれど、昇級試験があるたびに色々な技を覚えて、先生の言葉を書き記して、練習して、身につけていった。いくら覚えても本番でそれを発揮するのは難しい。体はなかなか思ったようには動かないから、審査の前には何度も家で練習した。

そして、ぱったりやめてしまった。今は子供だけが通っている。

求めていた言葉が手に入ったからだった。言葉の使い方がわかった。分からなくても、いつでも訊ける相手ができた。

合気道は奥が深い。深すぎて、真に身につけたければ、四六時中合気道のことを考えていなければならない。日々の生活に浸透させないといけない。週に四、五日は道場に通うのがいい。そんな生き方も素敵だと思った。自分がもし二人いたら、もう一人の私は確実にそちらに行っていたと思う。

でも、それが私にはできなかった。合気道は体力を使う。練習を頑張った日は疲れて作業が思うように進まない。四六時中考えていられない。それよりも、私は翻訳をしたかった。上手く説明できないけれど、時間のやりくりではないのだ。気分転換とかそういうことではなく、ただただそのプラス一時間が欲しいのだ。

わりと完璧主義な自分は、その状態が嫌だった。大切な場所なのに、ちゃんとできない自分が嫌だった。

優先順位をつけざるを得ないのが悲しかった。こんなに大切なのに、大好きなのに。
手放すまで随分と悩んでいたけれど、そんなときに優しく受け入れてくれたのも、先生と道場の仲間だった。いまでなくても、合気道に出会った縁はつながっていく。またタイミングが来たら始めたらいい。
優先順位がありますからね〜とあっさり言ってくれたのは、大好きな台湾人のお友達だ。彼女は息子さんを三人育てながら、黒帯をとって先生のサポートをしている。つい先日、彼女に中国語(福建語)を習って翻訳を助けてもらうという面白い出来事があったので、それについてもまた書いてみたい。

合気道は平和で優しい。相手を愛し、自分を殺しにきた相手とも友達になろう、といった考え方だ。
だから、これと戦争を並べて真正面からぶつけたTanさんの深遠な思想に、不条理に対して一つの答えを示そうとする姿勢に、私は射抜かれてしまったのだ。

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