「社会人式」勉強のやり方を考えてみる。【その1】

こんばんは。

もう朝方になってきてますけど、歯痛で寝れないのでタイピングの練習がてらに社会人になってからの勉強の方法について考えてみたいと思います。
今回のノートでは、その1として「私について」「勉強ってそもそも何なのか」「理解度チェックの方法」の3点に絞って書いていこうと思います。

・私について

私はなんの変哲もない普通の人です。ただちょっと文房具に興味があったり、前職が塾の先生で転職して己の勉強方法が間違ってなかったと気づいたりしただけの普通の人です。

上記の通り、私は少し前まで塾の先生をしておりました。そこで生徒たちにいろいろと勉強とはなにか、どうすれば「賢く」なれるのかをこんこんと説いてきました。

そしてつい1ヶ月ほど前に転職し、IT系の職につくことになりました。そこでは新しく資格を取る必要があり、その勉強が当面の「仕事」になりました。そんな中で私は、同期入社のメンバーと比較してもそれなりの効率で学習が進んでおり、だいぶサボりながらも一定のレベルに約1か月で達することができました。

このnoteではそんな私の超我流の勉強方法を伝えていきたいと思います。


・そもそもなんで勉強するの?

そもそも社会人にとって勉強とはなんでしょうか。

多くの人は、この「社会人にとっての勉強」そのもののありかをはき違えているように思います。言い換えると、社会に出てからも学校の「勉強」にとらわれているのだと思います。

私の同僚の一人に、ITにまったく明るくない人がいます。彼女は本当に、本当にITがまったくわからない人でした。OSってなに?URLって?Google検索と何が違うの?みたいな。

でもそれはまったく問題ではないんです。唯一の問題は、私が何かを彼女に教えたとき必ず「じゃあこれは覚えたらいいんですね」と返ってくることでした。

大学までの20数年間、「覚える」ことで勉強をこなしてきたからこそ出る言葉でしょう。

もちろん、資格を取ることがゴールなのであればそれで全く問題ありません。しかし、社会人にとって資格はあくまでも自分の能力を示すだけの文字列にすぎません。その資格を持っているからと言って、「その資格に見合った能力を持って」いなければ話にならないのです。

ここが、社会人になりたての方が躓くポイントだと私は思っています。

ものすごく極端な例を挙げれば、運転免許を取ることを目的に自動車学校に通うようなものです。今ここで「それの何が悪いの?」と思った方は要注意です。自動車学校に行き、免許を取得することを目的にする人はほとんどいません。私たちが自動車学校に通う真の目的は、「移動手段を得ること」です。

ツイッターだったかどこだったかで見た話しで言うと、RPG(ドラクエやファイナルファンタジーのようなゲーム)において、「魔王を倒すこと」は目的ではありません。勇者の目的は、「魔王を倒した後に訪れる世界平和」なんです。

これを社会人に当てはめれば、「勉強して何かの資格を得る」ことを目的にしている人があまりにも多い。そうではなく、「その先にある成功や自己成長」が目的なんです。

話が少しそれましたが、目的を見失うと先ほどのような「じゃあ覚えますね」という社会人になってしまう。言い換えると、そのスキルをいざ使おう、となったときに「根本理解」が足りず、応用できないうわべだけのスキルになってしまいます。

つまり、社会人にとって「勉強する」とは、「根本的に理解し、学んだ技術をわがものとする」ことです。理解せず使いこなせる技術もまた、存在しないんです。もちろん「覚える」だけでも知識の差は生まれますし、その知識の差で成り立つ職業なら問題ないでしょうが、そのような職種は本当に限られます。

社会人になってからの勉強は「どこまで理解しているか」が問題であり、「覚えているかどうか」は関係ない、ということをご理解いただきたいと思います。

・私はちゃんと理解しているのか?

ざっくりと「理解することが大切」といいましたが、そんな簡単な話ならだれも苦労しないと思います。なので、この項目で自分の理解度チェックをする方法を伝授します。

この項目に書くことは、新しいことを知り、学び、理解した、と思うたびに実践してみてください。

ずばり言います。

学んだ内容を人に教えるためのテキストを作って下さい。

とても重労働に聞こえると思いますが、慣れるとそんなでもありません。ポイントだけ抑えてもらって、パソコンやスマホのメモ帳、お持ちの手帳やノートなどに簡単にまとめるだけです。

ここでのポイントは、
・必ず自分の言葉に言い換える。コピペ一切禁止。
・可能なら自分が見たテキスト以上に詳細に書く。予備知識などもメモ書きする。
・他人が一読してだいたい内容のわかるようにかみ砕いて書く。
の3つです。

もしお近くに、今自分が勉強している分野をまったく知らない人がいるなら(家族や友人など)、その人にテキストを読んでみてもらってください。相手がなんとなくでも理解できるなら、まず間違いなくあなたはほぼ完ぺきに「理解」できています。

ここで余談です。

塾の先生をしていて気づいたこととして、基本的に授業内容って「人の手を介するごとに理解度が薄まる」傾向にあります。

教科書を作っている出版社はプロ集団です。どうやって教えれば、どうやって書けば、生徒が理解できるかを熟知しています。その人たちが作ったテキストを使って指導するなら、理論上は生徒も完璧に理解できるはずです。

でも実際はそうはならない。中には全く理解できていない生徒もいます。それは、教員という「人の手」を介して伝わるからです。そしてその生徒が他の生徒に教えたとすると、基本的には伝えられた側の生徒の理解度はさらに低下します。

まぁ伝言ゲームでもそうですよね。よっぽど上手でない限り、伝言されていくにしたがって情報にムラや損失が生まれていきます。

このことを考えると、あなたが作ったテキストを読んだ人が少しでも理解できたのであれば、あなたは相当そのことを理解している、と判断して問題ないはずです。
逆に、相手が微塵も理解できないのであれば、それはあなた自身が理解できていないということになります。

・まとめ

社会人にとって勉強とは「根本的に理解し、それを実務でできるように自分の技術とする」こと。
そのためには「覚える」だけでは足りず、「理解」が必要である。

なにかを「理解」したかどうかの一つの確認方法として、「自分でテキスト(教科書)を作ってみる」また「そのテキストを誰かに読んでもらう」のが効果的。
読んでもらった相手が少しでも理解できるのであれば、自分は相当理解できている証拠。逆に相手がまったく理解できないのであれば、自分も理解できていない証拠となる。

いかがだったでしょうか?
次回は、
・自作テキストの作り方
・自分が理解するための「検索力」
・「地の理解力」を上げる
の3本です。

いつ書き上げられるかなぁ・・・がんばります。
それでは、次回も期待せずお待ちくださいませ。
歯痛が収まってきたんで寝ます。おやすみなさい。


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