ピンチをアドリブで乗り越える技 13/100(エ・ボン)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
敢えて大雑把に分解
前回までは、表現のタイプを3つに分解して捉える『三つの輪』をご紹介し、ピンチに陥った時、意図的に表現の幅を広げることで、解決につながるのでは?という話をしてまいりました。
今回はさらにシンプルです。
エ
ボン
この2つに分類します。
ロンドンの演劇学校では、2年生の最後に劇作家・チェーホフの芝居をやる授業があります。
そもそも、イギリスの演劇教育の土台は、ロシアのスタニスラフスキーにあり、そこから独自の変化を遂げていったもので、アメリカのマイズナー方式とは全く異なります!
同じロシアのチェーホフによる芝居を授業として行うというのは、こういった意味で当然といえば当然なのですが、これがなかなか難易度高いです。
なぜかというと、チェーホフの芝居では、役がどれだけ生きているか、どこから来てどこへ行くのかが重要。観客に見せる芝居というのは、その一部分を切り取っただけである。
という考えのもとに、即興での芝居を重ねる役作りの行程を徹底的に行います。
ここで問題になってくるのが、
今やっている即興、これは自分の役なのか、それとも自分自身なのか?
という葛藤です。
過去2年間にわたって、水も甘いも濃厚な時間を共に過ごしてきた同級生たちと、大喧嘩をする事もあるのです、勿論即興劇の中での出来事として。
でも、そこで浴びさせられる罵倒や誹謗中傷は、本当に役の上でのことなのか??
どこまでがフィクションなのか?
しかも、その「役」というのも、まったく自分と別人格ではなくて、4-6割程度は自分自身が入っている、そうなると、やはり誹謗中傷が向けられてるのは自分自身へなのではないか?
少なくともその4-6割は…
そんな授業を行う先生は外部からの先生で、チェーホフを知り尽くしているベテランおじさん。いつも大きめの中折れ帽をかぶっていました。
ある時その先生が、
「全ての芝居は『エ↑』『ボン↓』に分けられる」
「『エ↑』の瞬間と『ボン↓』の瞬間の連続で、そのリズムが心地よい必要がある
『エ、エ、エ、ボン↓、エ、ボン↓、エ、エ、ボン↓』
みたいに」
と、言いました。
お分かりだろうか??
つまり陰と陽の関係のように、
晴れやかな瞬間と、
ドンと落ちる瞬間、
その両方が同居して、パーカッションのように、リズムよく繰り広げられているのが、心地よい。
という感じの意味になります。
シーンがうまくいってない時は、往々にしてそのリズムが悪い。聞き心地の良いリズムを心がけなさい、ということです。
そもそも、はるかギリシャ演劇の時代より、演劇は聞くもの、だから観客のことをaudienceと言います。オーディオのaudioが入っているというわけです。
ピンチに陥っているとき、きっとそれは
「ボン、ボン、ボーーーーン、ボ、ボ、ぼぼ…」
的な感じでしょう。
「エ」の瞬間を探す、
それがピンチから抜け出すヒントになるかもしれません。
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