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ウォーカラウンド・ネオサイタマ・ソウルフウード ( 冬 ) : フライドチキン



「シマッテコーゼ! エーリアス=サン!」

 店主のアキモト=サンがキアイのこもったイタマエシャウトで二人だけのささやかな開店前ミーティングを締めくくった。アキモト=サンは清潔なジュー・ウェアと前掛けを着用し、頭には白い房と白い起毛の縁取りをあしらった赤いナイトキャップを被って既に臨戦態勢だ。老いたとはいえ背筋は綺麗に伸びている。俺はアキモト=サンと同様の服装に加え、長い純白の付け髭まで装着した一分の隙もないイタマエのいでたちで、カウンター内に立つアキモト=サンに向かい直立不動の姿勢でキアイを返した。

「サーイエッサー!」

 そして俺はカウンターから塩を盛ったショーユ皿を手に取って入り口のガラスショウジ戸を開け、店先にショーユ皿を置いた。それから店の入り口の内側に掛けてあったノーレンを外して店頭に掲げた。ささやかな北風に吹かれて、ノーレンに書かれた「ワザ・スシ」の屋号が今日も誇らしげに翻った。これでよし。

 俺はすぐさま早足で店内に戻った。夕方6時。ノーレンを出した瞬間から今後数時間は掛け値なしのシュラバ・インシデントが待っている。俺はカウンター内のアキモト=サンの右隣に立って、テンプラ・フライヤーの電源を入れた。ものの数十秒で鉄鍋を満たす黄金色の油が煮えたぎった。その時。

 ターン! 勢いよく入り口のガラスショウジ戸が引き開けられ、コーンロウヘアの巨漢バイカーがノーレンをくぐって現れた。今日は一人だけ。バイカーは入店するなり怒鳴った。

「フライドチキン食いてえ!」

 それを聞いてアキモト=サンはバイカーに向かって穏やかに微笑んだ。バイカーも応えてアキモト=サンにニヤリと笑って見せた。アキモト=サンは丁寧な口調でバイカーに告げた。

「これから揚げ始めるところなんで、ちょっとお待ちください」

「勿論です。いつもお世話になっております」

 バイカーは口調を一変させてアキモト=サンにオジギした。こいつと初めて出会った時に比べると驚きの変貌ぶりだ。アキモト=サンから聞いた話では、あのスシ対決を垣間見たこいつは、ワザ・スシが出したマグロの握りに宿ったゼンに心打たれて改心し、スシ対決の数日後には開店前に菓子折りを持って謝罪に訪れたのだそうだ。直後にヨタモノ生活を捨ててバイク屋に就職し、今では夏冬のボーナスが入った時には決まって客として訪れる、ささやかな常連といったところ。

 アキモト=サンがフライヤーの温度計を見て、無言で俺に頷いた。俺はそれを合図に、フライヤー横に置いた巨大なアルミボウルに山盛りになっている、あらかじめ一口大に切って下味をつけ衣をまぶしたトリ肉を長いバンブーの箸でつまみ、次々と鉄鍋に放り込んでいった。

 トリ肉は鉄鍋の油の中でジュワジュワと音を立ててフライされ、やがて香ばしい匂いとともに食欲をそそる焦げ色をまとい始める。アキモト=サンが再び頷いた。俺は一番焦げ色がついたトリ肉を箸でつまんで左隣のアキモト=サンの前に設置されたマナイタの上に置いた。

 左手でコメを掬い取り形を整え右指でコメにワサビを塗ったアキモト=サンは、揚げたての熱をものともせず、右指で油したたるトリ肉をつまみ、左手のコメの上に置いて最後に軽く両手で全体を包み、テイクアウト用のスシ・パックに並べた。俺はアキモト=サンがスシを握る間にも次々と最初のやつと同じ色になったトリ肉を選んでマナイタに置いていった。それをアキモト=サンが見事な早業で次々と握っていく。

 普段ならワビサビの漂う店内で「稲妻の如く速く、冬のように冷たく」スシを握るアキモト=サンだが、一年の中でも今日一日だけは例外だ。最初のスシ・パックが10個の握りでいっぱいになると、アキモト=サンはパックに透明プラスチックの蓋をしてカウンター越しにバイカーに手渡した。

「フライドチキンドーゾ。二人とも手が離せないのでお代はそこのバンブー籠に」

 そう、一年の中でも今日この日、クリスマスイブの夜にワザ・スシが提供するのはフライドチキンのスシなのだ。バイカーは礼を言い、カウンターの隅に置かれた籠に数枚の少額紙幣を入れて店を後にした。入れ替わりに男女の客が入ってきた。ガクランを着た学生とオーエルだ。無関係だろう。それが我先にと入店してきたのだ。

「ひとパックください」

「あたしはふたパック」

「アイ、アイ」

 アキモト=サンは静かに応じるがその手は絶え間なくスシを握り続ける。スシ・パックがいっぱいになるたびに蓋をして客に手渡す。俺はチキンを揚げ続ける。揚げても揚げても、握っても握っても、客はひっきりなしにやってくる。時たま一人で4パックや5パックといった大量注文をする客がいると、アキモト=サンは無言で頭上を指さす。目線を上げた客の視界に入るのは「ふたつで充分です」とショドーされた張り紙。そうでもしないと押し寄せる客をさばききれないのだ。

 開店から30分もすると、俺の意識を離れてフライマシンと化した手が勝手に動いてチキンを揚げ続けるようになる。時折アキモト=サンが小声で油の温度について指示を出し、俺は即座にフライヤーのダイヤルを調整する。桶のコメが底をついてアキモト=サンが新たに炊き上がったコメを桶に補充するときだけ新たなトリ肉の投入を止める……俺は黙々とチキンを揚げ続けながら物思いにふけった。

 キョートに住んでいた頃から聞いていたことだが、クリスマスイブのネオサイタマ市民がフライドチキンに注ぐ情熱ときたらとても尋常じゃない。もちろん、懐に余裕があるやつなら、クリスマスイブには多少奮発してちょっとした外食をするのはキョートもネオサイタマも一緒だ。だがここネオサイタマでは、そんな懐の余裕のない大多数の庶民が自宅や友人宅で開くささやかなクリスマスイブのパーティーでは、なぜか決まって誰もがフライドチキンを貪り食うのだ。

 去年俺がネオサイタマで迎えた初めてのクリスマスイブ、右手のケガが直ってしばらく経ったアキモト=サンから連絡をもらい久々にワザ・スシを手伝ったときには、キョートで聞いていた話をはるかに超えるネオサイタマ市民のフライドチキン熱に心底驚いた。その光景を今再び見ているわけだが、驚きはしないものの、その不思議さには困惑したままだ。なんでよりによってフライドチキンなんだ? 

 そんな疑問を持つのは別に俺に限ったことじゃない。色んな仮説があるけど、電子戦争よりもずっと昔からのネオサイタマの伝統らしく、正確な理由は誰にも分らないままだ。一般に市民の間に流布している有名な説は、江戸時代に平賀源内が秋のコメ畑で肥え太り繁殖したスズメを冬の食料とすることを提唱したのが始まりだというものだ。だけど、江戸時代のスズメなら、今の中国地方の穀倉地帯を我が物顔で飛び回るクソどでかいバイオスズメには似ても似つかない、ただの小鳥だったはずだ。そんな小鳥じゃとてもフライドチキンを作れそうもない。ザ・デイ・オブ・ジ・アース・オックスのウナギやセントヴァレンタインズデイのチョコレートならともかく、さすがにクリスマスイブのフライドチキンの起源=平賀源内説は無理があると思う。

 俺が去年もう一つ不思議に思ったのは、ワザ・スシのようなオーセンティックな店なのに、なぜアキモト=サンがフライドチキンを出すのかということだった。フライドチキンの握りは大衆向けの周回ベルトコンベアー・スシ店なら珍しくもなんともないメニューだが、正統派のスシ・シェフなら、フライドチキンのスシを出すくらいならセプクすると考えてもおかしくない。こっちの疑問はアキモト=サンに尋ねて即座に解消した。

「そりゃ、うちはスシを握るのが好きでやってる店で、もうけもそんなに要りませんけど、値段を下げるのにも限度があって、うちみたいな店でスシを食べることができない人たちも大勢いるんです。だからクリスマスイブの時くらい、安い値段で普段うちの店に来ない人たちにもうちのスシを食べてもらいたいんです。たとえ正統派のネタじゃなくっても、真面目に握ったスシならきっと味と思いがお客さんに届くってね、そう思ってるんですよ」

 正直に言って、俺は少なからず感動した。その感動が、去年も今年もこの数時間に渡る激戦を耐え抜くモチベーションになってるのは確かだ……気付くと、あまり広くはない店内は、順番待ちの客でいっぱいになっている。多分外はちょっとした行列になってるだろう。ホカホカのスシ・パックを携えた客が店から出る度に新たな客が入ってくる。客の中には普段の営業で見かけたことがある顔もちらほらいるが、大半は、普段のワザ・スシとは縁がなさそうな客だ……

 ……重サイバネ者であることが一目でわかるコート姿のガイジン、時代遅れのティアドロップサングラスとファイアパターンのレザージャケットを身につけた貧相な男、特殊サイバーサングラスで目元を覆ったハッカー崩れらしき男、初めて見たはずなのに何故か見覚えがある、やけに身なりのいい男……まさかあのカンフー映画の……確認する暇もなく次に入ってくるのは、奇妙な印象を与える目をした工場勤めらしき作業着姿の中年の巨漢……元スモトリらしきヒップホップファッションの客は、店から出たところでふたつのパックのうちのひとつを店の前にいた賢そうなシバ犬に咥えさせ、何故か盲導犬のハーネスをつけたその野良犬はしっぽを振って感謝の意を優しい市民に伝えて、そして風のようにどこかに走り去る……

 ……ようやく客足が途絶えたところで、俺は我に返って、冷蔵庫にマグネットで張り付けてあるタイマー機能付きの小型デジタルクロックを見た。とっくに夜10時を回っていた。巨大ボウルの底には20切れに届かないトリ肉が残ってるだけだ。俺はアキモト=サンに振り返った。アキモト=サンも俺を見て、それから、目を閉じて長く息を吐いた。

 目を開いたアキモト=サンは、少し首を伸ばしてボウルの残りを確認した。アキモト=サンの口元が満足げにほころんだ。

「去年よりずいぶん増やしたけど、ほとんど売れちゃったね」

「もう勘弁だよ。来年もやるなら去年と同じ量に戻さねえか?」

 去年は8時を回ったところで品切れだった。今回は正直カロウシ寸前だ。

「まあ、いずれ考えるよ。それよりもさ、残ったやつも全部調理しちゃって。よかったらお土産に持っていきなさい。エーリアス=サンもこの後何か予定があるんでしょ」

「エ? ヤッタ! この後イチロー・モリタ=サンの家に行くんだ」

 アキモト=サンが目をぱちくりさせてから、真顔で俺を見た。しばらくお互いを見つめ合ったところで、俺はその意味を悟って大慌てで両手をアキモト=サンに向かって突き出し、手のひらを細かく振った。

「いや違うって! そんなわけないだろ! モリタ=サンの家に何人か集まって、その、気心の知れた仲間内ってやつでパーティーするんだよ!」

 アキモト=サンは苦笑した。

「いや、スマン。さあ、残りのトリ肉を済ませなさい。それでエーリアス=サンは上がりにしましょう。後片付けは一人でやるから」

「アリガトゴザイマス!」

 俺は大声で礼を言って、いそいそとトリ肉の残りを鉄鍋に投入した。そして、出来上がった最後のフライドチキンをマナイタに乗せたところで、あらためてアキモト=サンに一礼し、奥に引っ込んだ。俺は赤ナイトキャップを頭から抜いて付け髭を外し、ジュー・ウェアと前掛けを脱ぐと、ジュー・ウェアの下に来ていたTシャツの上に黒のレザージャケットを羽織り、「地獄お」マフラーを首に巻いた。

 俺が再び店内に戻ると、既に「お土産」のフライドチキンの握りが二つのパックに詰められていた。アキモト=サンは今日のバイト代の通貨素子といっしょにパックを手渡してくれた。

「今年も助かったよ。来年もお願いするね」

「アキモト=サン、やめとけって。ほら、よく言うだろ、来年の話をするとオニが……ってさ」

「ハハッ、そういうことにしましょうか……それではヨイオトシオ」

「ヨイオトシオ」

 俺とアキモト=サンはお互いに笑顔で深々とオジギした。それから俺はアキモト=サンの見送りを受けて、駆け足でモリタ=サンの住居に向かった。雪がちらちら舞い落ちる。しばらく前から降っているらしく、うっすらと積もった雪で足元がサクサクと音を立てた。

 俺はTシャツにレザージャケットをまとってマフラーを巻いただけの格好だが、不思議とそれほど寒くない。それは、懐に抱えた出来立てのフライドチキンのスシのせいだけじゃない。この体の奥に眠るたしかな炎。そのぬくもりを感じた俺は、微笑みがこぼれるのを抑えられなかった。


【NINJASLAYER】


CM




【NINJASLAYER】


B 


 俺が鉄扉の脇のインターホンを押そうとした瞬間、先に鉄扉が内側からガチャリと開いてこの部屋の主の顔が玄関内におぼろげに浮かび、サツバツたる声を発した。

「よく来たな」

 そして薄暗い玄関内からアイサツした。

「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」

 俺は幾分か気圧されながらもアイサツを返した。

「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。エーリアス・ディクタスです」

 アイサツを受けたら返さなければならない。それがたとえクリスマスイブのブレイコウでも決して揺らぐことのない俺たちの絶対の掟だ。古事記にもそう書いてある……らしい。あいにく俺は読んだことがない。古事記のことを俺に教えてくれた変わったオッサンもこのパーティーに招きたかったが、どうしても居所がつかめないので、断念することになった。

 他にも去年のスシ対決やら何やらでずいぶん昔から世話になってる武装霊柩車のドライバー(実際、俺の命の恩人の一人だ)や他数名も誘ったんだが、都合が悪かったりだとかでことごとく断られた。

 それで結局、俺が把握する限りでは、ホスト以外の客は、大した人数じゃないが女ばかりという想像するだに羨ましいこととなった。もちろん、俺も「女」に含めればの話だ。しかも美女ぞろい。俺も「美女」に含めればの話だ。俺自身と言えば、常々、自信をもって自分を「美女」のカテゴリに入れても問題ないと思ってるが、当然、違う意見のやつもいるだろう。例えば、この身体の本来の所有者とか。

 ニンジャスレイヤー=サン……つまりイチロー・モリタ=サンはアイサツを終えた俺を無言で薄暗い玄関内に招き入れた。玄関に並ぶ靴からすると、俺以外の客二人は先に来ているようだ。上品なピンヒールと、拍車つきの無骨なブーツ。ほかに、見たことのない青を基調とした派手なデザインのブーツもあった。俺の知らない客も来ているらしい。俺は「オジャマシマス」とつぶやいて、自分のワークブーツを脱ぎながらモリタ=サンの背中に声をかけた。

「前にも言ったけどさ、さっきのあれ、やめてくれねえかな。正直、結構ビビんだよ」

「何のことだ?」

「そのニンジャ第六感とかで、俺がインターホン鳴らす前にドア開けるやつだ!」

「……気をつけよう」

 俺たちは短い廊下を抜けて明るい光が照らすリビングに入った。独居者向けの賃貸物件だから大した広さじゃない。八畳の畳敷きの部屋の中央には、以前にあったチャブにとって代わってコタツが設置されていた。先客2名がコタツから俺に寛いだ目を向けた。程度は違うが、どっちも既にアルコホールが入っているようだ。モリタ=サンも腰を下ろして元の席らしいコタツの一辺に足を入れた。俺は先客へのアイサツを後回しにしてモリタ=サンへの言葉をつづけた。

「それにさ、そのカッコなんだし、今日くらいはニンジャスレイヤーじゃなくってモリタ=サンでい……」

 そこでモリタ=サンの格好に気付いて言葉が途切れた。モリタ=サンは当たり前だがニンジャ装束ではなく、地味な白のボタンフロントシャツと地味な紺スラックスといういで立ちだ。だがいつもの通りのどこか何を考えているのか分からない厳粛な表情を全く崩さないまま、頭の上に赤と緑でペイントされた紙製のとんがり帽子を乗せているのだ。

 俺はニューロンを超高速回転させてとるべきリアクションを検討した。不用意に笑ってこんなところでスレイされるのはまっぴらごめんだ。俺の表情に気付いて先客の一人が背を大きく反らし、突っ立ったままの俺に声をかけた。

「な? いいだろ。ものすごい似合ってる、だろ?」

 俺は先客を見下ろした。この人の仕業か。たしかにこの人なら平然とやりかねない。美女その1。しかも、自分が美女だと自覚してなおかつ、そんなことをどうでもいいと思ってる。友人は少なく、敵が多いだろう。だからモリタ=サンとちょくちょくつるんでるんだろう。美女その1はケタケタ笑ってばさついた黒いロングヘアを揺らしアイサツした。

「ドーモ。レッドハッグです」

 レッドハッグ=サンはいつもの深紅のジャケットを脱いで脇に無造作に放っていた。つまり上半身はやけに丈の短いタンクトップ姿だ。背を大きく反らしてるから、タンクトップとブラックジーンズの間に見える素晴らしい腹筋が否応なしに目に入る。俺はドギマギしながら目をそらして、コタツの空いている一辺……レッドハッグ=サンから見て右隣り……に座りながらアイサツを返した。

「ドーモ。エーリアスです」

 目をそらしたら、俺の正面の美女その2が視界に入った。自分が美女だと自覚してなおかつ、それを利用することにいささかの躊躇もない。友人は少なく、敵が多いだろう。だから昔からモリタ=サンとコンビを組んでるんだろう。金髪碧眼、瀟洒なイブニングドレスに包まれた豊満なバストがコタツの天板に鎮座しているのが否応なしに目に入る。ほとんど壮観だ。俺はドギマギしながら強いて美女その2の顔に視点を固定してアイサツした。

「ドーモ、ナンシー=サン。エーリアスです」

 ナンシー=サンは優雅に笑った。

「あら、わたしにまでわざわざアイサツしてくれなくてもいいのに」

「いや、なんていうかさ、これやらないとなんか落ち着かないんだ」

 今度は微笑むナンシー=サンと見つめ合う格好になってドギマギした。だが、少しでも彼女の顔から意識をそらすと、否応なしに視線が豊満なバストに引っ張られる。俺は意志の力を総動員して目をそらし、結局、俺の右隣りのモリタ=サンの顔を見ることになった。モリタ=サンが無言で俺に視線を向けた。俺のニンジャソウルが本能的に恐怖した。畜生、どうすりゃいいんだ。 

 その時ようやく、超高速回転させたつもりが実際停止状態だった俺のニューロンが、俺の懐のブツの存在を俺に思い出させた。俺は強いて陽気な笑顔を浮かべた。

「そうだ! フライドチキン持ってきたんだぜ。アンタらみんな、普段いいもんばっかり食ってて、逆にこういうの珍しいだろ?」

 俺は「ジャジャーン」のファンファーレを添えて天板の上に二つのスシ・パックを並べた。傾けないように注意して運んだから形は全く崩れていない。

「ほう」

 パックの中身がフライドチキンのスシであることを見て取り、モリタ=サンの目が光った。

「スシなのか」

「アキモト=サン特製の、年に一回こっきりのスペシャルなスシさ!」

 俺は一同を見回した。レッドハッグ=サンもナンシー=サンも興味深くフライドチキンのスシを見たが、モリタ=サンがスシに注ぐ関心の目は、なんかこう、常軌を逸している。俺は強いて陽気に声をかけた。

「見てないで、さっさと食おうぜ。まだあったかいぞ」

 その時。

「アッそこ」

 俺の背後からずいぶんと若い女の声が聞こえた。俺は振り返った。初めて見る少女が立っていた。少女が俺を見て言った。

「そこ、あたしの席」

 少女は台所から出てきたところらしく、片手には、映画でしかお目にかかったことがないような豪華なローストターキーを乗せた金属製の大皿、もう片手には何枚かの小皿と、その上に乗せたナイフやフォークを持っている。だが俺は豪華ターキーよりも奇妙な少女のいでたちに目を奪われた。

 陳腐な表現ばかりで恐縮だが、顔は俺の乏しい語彙では結局美少女としかいいようがない。だがその少女は、頭から頭髪のかわりにLANケーブルを生やし、青を基調とした、奇妙な、やけに布面積が小さい衣装を着ていた。サイバーゴスっていうやつだろうか。若者のカルチャーには正直自信がない。思わず少女のすべらかな素足に目が向く。ホットパンツがいかにホットであるかを思い知らされて、俺はドギマギした。今日はこんなのばっかだ。少女は俺の困惑をよそに訊ねた。

「あたしの足になにかついてる?」

 それから少女はナンシー=サンに訊ねた。

「この人、だれ?」

 ナンシー=サンが答える前に、俺は自分でアイサツした。

「ドーモ。エーリアスです」

 ナンシー=サンが俺に声をかけた。

「ユンコちゃんよ。最近、ちょっと面倒見てるの」 

「よろしくね」

 少女は屈託なく俺に微笑んでコタツに近寄ってきた。そしてターキーの大皿をドスンと天板に置き、各人に食器を配りながら俺に再び声をかけた。

「ちょっと寄れる?」

 俺が左に寄ると、少女が俺の右隣りに足を滑り込ませた。きついが、二人とも痩せているせいで問題なく並んでコタツを使用できた。履いているジーンズ越しに少女の脚が感じられて、俺は一心不乱に天板の上の料理を見つめ続けた。その視線のせいで、少女はスシ・パックの中身に気付き、不満げな声を上げた。

「それフライドチキン? あたしがせっかくターキー焼いたのに、ひどくない?」

 ナンシー=サンが笑顔でたしなめた。

「これだけの人数なら、そのフライドチキンは前菜にしかならないわよ。ユンコちゃんも一緒に食べましょ」

 ユンコ=サンは悪戯っぽい笑顔になった。

「うそ。言ってみただけ」

 そしてその笑顔を俺に向けた。

「ありがとね」

 レッドハッグ=サンが割って入った。

「けどその前に、カンパイだ!」

 レッドハッグ=サンはすぐさまグラスを並べ、ハーフガロン入りの瓶からどぼどぼとサケを注いで各人の前に置いていった。サケを配り終えたレッドハッグ=サンはニヤニヤ笑いをモリタ=サンに向けた。

「それじゃ、カンパイの音頭は、本日のホスト、イチロー・モリタ=サンにお願いしてもいいかい?」

「よかろう」

 モリタ=サンが厳かに承諾した。レッドハッグ=サンは顔をしかめた。

「まったくアンタって、こんな時もその顔かい? アンタ気づいてるかどうか知らないけど、その顔のせいでちょくちょく一周回って逆に笑えるんだよ?」

「……そうなのか?」

「そうだよ!」

 レッドハッグ=サンは一同を見回してつづけた。

「みんなにも見せたかったよ。こないだディオニュソスだかサテュロスだかって妙なヤツとやり合った時なんかさ」

 モリタ=サンが口を挟んだ。

「バッカス=サンだ」

 レッドハッグ=サンが目をすがめてモリタ=サンを見た。モリタ=サンは渋々といった様子で言葉を継いだ。

「……だった、と思う。確か」

「まあそいつの名前はいいよ。でね、こいつときたら」

 レッドハッグ=サンはモリタ=サンの鼻に指を突き付けた。

「ご自慢のシリアスな仏頂面のままでさ、人の酒瓶まで取り上げてひっきりなしにグビグビやってると思ったら、その顔のままでいきなり」

 レッドハッグ=サンはそこで言葉を切り、嘔吐する真似をした。ユンコ=サンがぷっと噴き出した。レッドハッグ=サンは自分の話に自分でたえられなくなり膝を打って爆笑した。ナンシー=サンは苦笑いとともに憐みの目をモリタ=サンに向けた。モリタ=サンは真顔で一同を眺めた。俺はようやく悟った。この場に同席できるのは、正真正銘あたまのタガが外れた命知らずだけだ。モリタ=サンが口を開いた。

「おかげでよい乾杯ができそうだ。感謝する、レッドハッグ=サン」

 モリタ=サンは自分のグラスを手に取り、重々しく告げた。

「笑顔に」

 そしてモリタ=サンはグラスのサケをイッキした。すかさず他の全員が唱和した。

「「「「笑顔に!」」」」

 皆、めいめいのグラスに口をつけた。レッドハッグ=サンもイッキした。俺は気になって隣の少女に声をかけた。

「君さ、サケ飲んで大丈夫なの?」

「大丈夫なんじゃない?」

 少女の返答はまるで他人事だ。さすがにモリタ=サンの知り合いとあって、奇妙な要素には事欠かない。レッドハッグ=サンは自分のグラスにサケを追加しながら言った。

「それじゃ、お待ちかねのフライドチキンにとりかかるか」

「待ってくれ」

 口を挟んだのはモリタ=サンだ。モリタ=サンは皆の返事を待たずに小皿にフライドチキンの握りを二個乗せて立ち上がった。そしてその皿を、部屋の隅にある神棚の、瑞々しいマンダリンの横に置いた。そうして、神棚に向かって合掌し、厳かに黙祷した。誰もその背に声をかけることはできなかった。神聖な静寂が数分続いた。

 永遠とも思える静寂の後、モリタ=サンは振り返って、皆に言った。

「すまない。待たせた」

 そして俺に向かって言った。

「ありがたくスシを頂こう」


ED


[OFFICIAL VIDEO] Hallelujah - Pentatonix




C


 モリタ=サンは自分のコタツ辺に戻り着席して、スシ・パックに手を伸ばしてフライドチキンの握りをひとつ掴み、そのまま口に入れて咀嚼した。そして一つ目の握りを完全に飲み込み、つぶやいた。

「うむ」

 それから軽い溜息とともに付け加えた。

「旨い」

 それを合図に皆がスシ・パックに手を伸ばした。俺は途端に嬉しくなってまくし立てた。

「だろ!? だろ!? そのフライドチキンは俺が揚げたんだぜ! おまけにトリ肉の仕込みも結構手伝ったんだ!」

 俺も自分の握りを一個取って口に入れた。こいつは……マジで旨い。コメ自体やトリ肉の旨さもさることながら、フライドチキンの脂が酢の利いたコメに程よくなじんでて、フライドチキンを普通のコメのメシのおかずにして食べるよりも、もう何倍もうまい。ジャンクで飽きが早い味を予想してたから、こんなにもう腹がいっぱいになるまで何個でもいける味だったのは正直意外だった。アキモト=サンは謙遜してたが、これはトリ肉自体、かなりコストをかけた良いやつを仕入れたに違いない。実際赤字じゃないか? 俺はエキサイト状態で次のスシを口に放り込んで咀嚼しながら連呼した。

「旨い! マジで旨いぞこれ! そうだろ!? そう言ってくれよ!」

 モリタ=サン以外のみんながスシを咀嚼しながらも満面の笑顔を俺に向けて同意してくれた。とたんに気が大きくなった俺は大胆にもモリタ=サンに大見えを切った。

「こんなに旨いスシを食えるのは俺のおかげだぜ!? 感謝してくれよな!」

 モリタ=サンの視線が俺を射抜いた。俺は震えあがった。モリタ=サンが死神そのものの声で言った。

「このスシを握ったのはオヌシではなくアキモト=サンではなかったか」

 その場が完全に凍り付いた。モリタ=サンは一同を平然と見渡して……そして……笑った。

「冗談だ。感謝する。本当だ、エーリアス=サン」

 俺は一瞬前までの恐怖の反動で、突然ゲラゲラとイカレたような笑いを抑えられなくなった。俺は笑いながらモリタ=サンに叫んだ。

「なんだよもうやめてくれよビビるよマジで!」

 そして性懲りもなくみんなに向かって再び大見えをきった。

「それでも俺がチキンを揚げたスシはマジでスゴいぞ! なんたって、あのニンジャスレイヤー=サンを笑顔にしたんだ!」

「いいや、それは違うね」

 レッドハッグ=サンの声だ。みんながレッドハッグ=サンに注目した。レッドハッグ=サンはとっておきのニヤニヤ笑いを浮かべてつづけた。

「アタシの見立てじゃ、どっかの誰かが来年の話をしちまっただけさ」

 その意味を悟ってナンシー=サンが噴き出した。間髪入れずユンコ=サンもクスクスと笑い出した。

「それって、ジョークでも結構ひどすぎない?」

 レッドハッグ=サンは満足そのものの表情をうかべてユンコ=サンに向かって大袈裟に肩をすくめて見せた。モリタ=サンの笑顔が消えた。モリタ=サンは真顔で質問した。

「スマン。一体何がおかしいんだ?」

 モリタ=サン以外の全員が爆笑した。モリタ=サンは、笑顔よりもレアリティがはるかに高い表情……困惑の表情を浮かべて一同を眺めた。


【フライドチキン】
フライドチキンはネオサイタマのファストフードの代表格の一つであり、安価かつ高たんぱくの食品として、トーフと並んで庶民の食を支えている。ただし、実際に使われるトリ肉はチキンではなく、中国地方等の田園地帯で大量に駆除されるバイオスズメであることが多い(もっとも、コメを主食として育ったバイオスズメは、劣悪な環境で飼育されるニワトリその他のトリ肉よりもはるかに健康で食品としての安全性も高いというのが食品業界の公式見解あり、これに異を唱える市民は皆無に等しい)。なお、本文中でも触れられた平賀源内についてだが、彼がニンジャであったか否かについては現時点では信頼できる史料に乏しく、ニンジャ専門家の間でも論争が続いている。