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「犯人はキャス」を見事に証明した傑作『ナイブズ・アウト』


(ヘッダ画像は公式サイトから引用)



手短にいきます。早速ですけど自分、正直ミステリーはあんまり好まないんですよ。「犯人は誰だ」とか「ラストに待ち受ける驚きの真相」とかにそこまで興味が持てない体質です。「驚きの真相」なんてのがあるならラストじゃなくて中盤で明かして、その「真相」が登場人物に与えた影響や、その「真相」を受けての登場人物の選択みたいなのを突き詰めたほうがストーリーとして面白くないですか?

だけど本作『ナイブズ・アウト』は、ミステリーの好き嫌いに関係なく強力にオススメ。こんな自分が言うんだからまちがいない。詳しくは言えないけど、本作は「ミステリーの皮を被った○○、と思ったら□□」系の映画でありながらも、なおかつミステリーとしての枠組みも維持しているという離れ業の傑作です。なにしろ「真相」は序盤であっさりと明かされ、そこから物語はガンガン予想外の方向に突っ走る。もう予告編からして観客を騙しにかかってて見事というほかない。自分みたいにいわゆる「ミステリー」に興味がないっていう理由で見逃したら大損! 予告編に騙されるな! いややっぱり騙されろ! 予告編で先入観をモリモリにして劇場に突撃すべし!​



いやほんとにスルーしなくてよかった。「あの『最後のジェダイ』の」ライアン・ジョンソン監督がどんな新作を作ったのか、いっちょ確かめてやろうかくらいの冷やかし半分で観にいったんだけど、正直ナメてました。ごめんなさい。




完全にフェアな「叙述トリック」にやられる


これは自分の勝手な感想だけど、小説の「ミステリー」には正直ガッカリさせられることが多いんですよね。よくある「真相」っていうのが例えば、「ある場面でAと呼ばれる人物と別な場面でBと呼ばれる人物は実は同一人物でしたー」みたいなのなんですけど、これが「叙述トリック」としてなんで成立してるかっていうと、AあるいはBが実際どんな外見してるのか読者に満足にイメージさせる描写がないっていうだけの話で、そんなのを「本格」とか「映像化不可能」とか言って褒めてるのは正直自分は全く理解できません。主要登場人物の見た目といった基本情報が明らかになるとトリックとして成立しなくなるっていうのは、それって本当に「叙述」のトリックって言えるの? もし、読者に主要登場人物を特定する外見等々の特徴をばっちり伝える文章をあえて省くようなのでも「叙述トリック」として許されるっていうなら、その程度のトリックなら自分は「別々な場所で出てくるAとBが同じ人物」以外にも、「同じ/別な 時代/場所、のように見せかけて実は別な/同じ 時代/場所 で、出てくる人物は実は別人/同一人物」とかなんとか、さらに「人物」を「モノ」とかなんとかに色々変えて、順列組み合わせでいくらでも思いつくし、その程度のトリックで隠した「真相」をラストになってようやく明かしたところではっきり言って面白くもなんともない腰抜けそのものだと思うので自分らが自分で書こうとは思わないですね。

だけどもちろん、自分でもきちんと面白いと感じる「叙述トリック」はもちろんあって、そういうやつは観客や読者に包み隠さずヴィジュアルで情報を伝えているのに、なおかつ観客や読者がばっちり騙されるやつですね。こういうのを観るとほんとに「うわっ騙されたー!」って嬉しくなります。最近だと、Amazonプライムビデオで観れる『ウエストワールド』。未見の人は観た方がいいですよ。ノーランの名は伊達じゃない。



そして本作『ナイブズ・アウト』は、さらにその先、観客に何一つヴィジュアルで隠し事をしていないにもかかわらず、映画で「信頼できない語り手」を真っ正面からやって観客を見事にミスリードするっていう超絶技巧を実現した傑作です。しかも同時に、ラストの種明かしよりも登場人物の決断を通じて登場人物の真の姿が明らかになり事件に決着がつくという部分にストーリーの比重が置かれているっていう意味で王道的なストーリーであることに自分は心から感服しました。これ以上の詳細は言えません。自分としてはネタバレしたくない。劇場で確かめて!



監督・脚本のライアン・ジョンソンは真の男の中の男だった


本作でライアン・ジョンソンは完全に実力を証明したと思います。「あの『最後のジェダイ』の」っていう肩書きが一生ついて回る呪われし運命を背負いつつも挫けることなく本作をクリエイトして、何一つ無駄のないキレッキレの脚本と演出で完成させたジョンソン監督を、自分は心の底からリスペクトしたいと思います。「全てにおいて完璧」っていう表現がピッタリの一本です。自分はアカデミー脚本賞は本作が取ると思います(ただし『マリッジ・ストーリー』が未見なので最終予想は変わるかも。てかそっちも早く観なきゃ)。

というかなんというか、自分は「あの『最後のジェダイ』はなんだったんだ?」っていう疑問にはっきりと答えが出たと思います。自分は『スターウォーズ』のシリーズに関しては元々世代でもなんでもないので特に思い入れはなくて、せいぜい旧三部作を一応観たことがある程度の観客です。そういう自分の『最後のジェダイ』の評価は、「ヴィジュアル等々で新しいことに挑戦しようとする姿勢がみられる分だけエピソード7より随分マシだけど、脚本が擁護しようがないくらい酷すぎる」でした。結構多くの人に賛同してもらえると思うんですけど、とにかく登場人物の行動に、唐突だったり単に無駄だったりストーリー上無意味なものが多すぎでしたよね。

だけど本作は全く逆。全てに意味があって無駄な要素は何ひとつない。そんな複雑なパズルみたいな代物を完璧に仕上げた本作こそ、ジョンソン監督の本来の実力が発揮された作品というべきでしょう。まるで「あの『最後のジェダイ』の」ジョンソン監督とは別物。『最後のジェダイ』があれなのは、なんとかケネディとかいうプロデューサーが元凶なのだと自分は確信しました。あのなんとかケネディはしょっちゅう監督を降板させてるし、そういえば最近もユアン・マクレガー主演のスピンオフ企画も、なんかケネディが納得する脚本じゃないからみたいな理由でポシャりそうとかいう話もあったりで、いくらなんでも普通は何らか責任とらないといけないレベルだと思うんですけど、なんで相変わらずのさばってるんでしょうか。ケネディの居場所はカンオケの中って相場が決まってるはずじゃないの?

また話が変な方向にいってるので話を戻すと、とにかく自分が言えるのは犯人はキャスってことで、ジョンソン監督は何らかの不幸な巡り合わせに巻き込まれたのだってことです。だから、どうかジョンソン監督のことは許してあげてください。そして本作を観に行ってください。本当に必見。


あと、『ブレードランナー2049』で真の男が好む真のヴァーチャル嫁を演じたアナ・デ・アルマスちゃんのアイドル映画の領域に突入してて笑った。



以上