見出し画像

【ペケロッパ・カルト】 破 #4~6


(承前)


# 4 


 先制アイサツを決めたニンジャスレイヤーの隣にコルヴェットが並び立ち、傾げた帽子の鍔の先端を右手でつまみ、アイサツした。「ドーモ。コルヴェットです」二人のニンジャは、新たにピザタキにエントリーしたロボットじみた外見の異様な二人のニンジャと対峙した。ペケロッパ・カルトの手の者であることは、状況のみならずあの外見からも明白だ。

 「ヒロコ=サン、こっちへ」コトブキはソネを小脇に抱え、ヒロコの手を引きカウンター内に避難した。既にタキがキッチンの隅でしゃがみ込み、鍋を頭にかぶっている。コトブキが見咎めた。「せめて女性をエスコートするくらい出来ないんですか?」「うるせえ! オレは慣れてるだけだ! だいたい、どれもこれも、お前らのせいだろうが!」

 闖入者のうち、先に入店した巨漢が電子音声を発した。「ドーモ。キルナインです」目はカメラレンズに、口はスピーカーに置換された異形。バイオハザードスーツめいたニンジャ装束がその巨体を包む。その上、左腕の肘から先はガトリングガンだ。その背中にはキーボードを備えたUNIX端末が埋め込まれている。胸のLED表示パネルには「KILL-9」の表示。

 キルナインの隣に立つ巨体が、やはり電子音声でアイサツした。「ドーモ。シーカーです」顔面右半分いっぱいにいくつものカメラアイを埋め込まれ、口があるべきところからマニピュレータが生えているという、キルナインをさらに上回るおぞましき外見である。

 4人のニンジャたちは睨み合う。一触即発のアトモスフィアであるが、今のところ互いに積極的に攻撃する意図はない。シーカーが電子音声を発して沈黙を破った。「頭部四半期呼称に枝の巣越え要請調査の後発見外VIPあなた取りすぎすべき」キルナインの胸のLEDパネルには「手荒しない」の表示。

 直ちに殺し合いとなる様子ではないとみて、タキが鍋をかぶったまま鼻から上だけをカウンターの上に覗かせて、ペケロッパニンジャたちに怒鳴った。「テメエら、なんでここがわかった!?」

 それを聞いて、ペケロッパニンジャたちは互いに顔を向けガリガリと甲高いノイズを立てて会話した。サイバネマイクの聴覚を持ちニューロン内UNIX増設手術を受けた者だけになしうる、高速圧縮言語による会話である。会話は3秒足らずで終わり、シーカーがニンジャ装束の懐に手を入れた。

 その瞬間、ニンジャスレイヤーは次の動きを警戒したが、シーカーが取り出したのは携帯IRC端末であった。シーカーは、IRC−SNSクライアントを起動し、幾度かタップとスワイプ動作を行ってから、端末の画面をニンジャスレイヤーらに示した。

 そこに表示されているのは、今日の昼食時、オールド・カメ・ストリートでコトブキがモチヤッコを模したオニギリといっしょに自撮りしSNSにアップした画像であった。ヒロコも笑顔でフレームに収められている。加えて、ソネのサイバーサングラスの端と「量子が憎い」Tシャツが見切れていた。コトブキは目を丸くした。「あら!」

 シーカーはさらにタップとスワイプ。次に示した端末の画面には、数週間前、コトブキがピザタキの店前で、手のひら側をカメラに向けたVサインを示しながら笑顔で自撮りし、「素敵な職場です」というコメントを付してアップした画像。「気に入った」ボタンが押され、通常のタイムラインの流れとは別に見返せるようになっている。キルナインの胸にあるLEDパネルには「フォロー済」の表示。

 コトブキはその表示を見て、立ち上がってペケロッパニンジャたちに微笑みかけた。「アリガトゴザイマス!」ニンジャスレイヤーとコルヴェットは無言で互いを見た。タキは激怒した。「コトブキ! バカ! こんな奴はとっととブロックしとけ!」

 コトブキは腕組みしてぴしゃりと言った。「わたしのフォロワー数は10万を超えています。いちいちフォロワーの素性を調べて問題がある人を探してはブロックするなんて、時間的に不可能です」タキは喚き立てた。「うるせえよ! 誰がそんな正論言えっつったよ!? いつでも正論言ってりゃ済むとか思ってんのはな、完全に毒されてるぞ! SNSの悪影響だ!」

 その言葉に、コトブキは虚を突かれたかのようによろめいた。そしてしばしの沈思黙考の後、言った。「タキ=サンの発言ではありますが、耳を傾けるべき点が含まれています。今後は、問題が指摘された投稿については、わたしの判断において削除することを約束します」

 「コトブキ」ニンジャスレイヤーが不意に口を挟んだ。その声は苦悩を滲ませていた。コトブキが振り返った。ニンジャスレイヤーはほとんど懇願するかのように言った。「できれば、アカウントごと消してくれ」

 コトブキは取り乱した。「何故ですか!? 何故貴方までそんなことを! わたしがアカウントを消すということは、わたしの10万人超のフォロワーに取り返しのつかない苦痛を与えることです!」そして、コトブキは絶望に叫んだ。「そのような巨大な犠牲の上に成り立つ正義とは、いったい何なのですか!?」

 ニンジャスレイヤーは、不本意げにタキと目線を交わした後、苦渋の表情でコトブキに答えた。「今は、そのことはいい」タキは勢いづいた。「そうだそうだ! そのソネ野郎をそいつらに渡して、さっさとお引き取り願え!」

 それを聞いて、ようやくコトブキは、小脇に抱えたままになっていたソネの状態を確認した。ソネは、チョークを極められた状態でサイバーサングラス越しにコトブキのバストを押し付けられ、既に失神していた。コトブキは、ソネを床にそっと横たえた。

 コルヴェットが沈黙を解き、ニンジャスレイヤーに訊ねた。「……さて、どうするかね?」「特にこいつらと争う理由はない。今度ばかりはタキ=サンに賛成だ」「そうか……だが、その前に一つ確かめさせてくれ」そして、ペケロッパニンジャたちに向かって、言った。「アルケミー=サンを知っておるかな?」

 コルヴェットの問いを受け、ペケロッパニンジャたちは再び数秒ほどガリガリと高速圧縮言語で会話した後、同時にコルヴェットに向き直り、こくんと頷いた。キルナインの胸のLEDパネルには「支部から要請」の文字。ニンジャスレイヤーは小声でコルヴェットに訊ねた。「アルケミー=サンとは誰だ?」「お嬢さんの話に出てきた大規模UNIXハッキングテロの首謀者の名よ。聞いておらんのか?」

 ニンジャスレイヤーはコルヴェットの質問の意味するところを悟った。「……おおかた理解した」コルヴェットはペケロッパニンジャに対する警戒を続けながらも、横目でニンジャスレイヤーを見据えた。「お前さんは気に入らんだろうがな、あのお嬢さんの言ってることは無視できん」ニンジャスレイヤーは憮然として答えた。「何故だ。多少UNIXやジェネレータが爆発しようと、おれには支障はない」

 ペケロッパニンジャたちは冒涜的ニンジャ彫像のように固まったまま、ニンジャスレイヤーらの出方を無言で見守る。コルヴェットは言った。「お嬢さんの話からすると、俺の予想では、やつらの企みは単なるUNIXのハッキングにとどまらん。ネットワークそのものに異変が起きるだろう。コトダマ空間にな。そしておそらく、ウキハシ・ポータルにも支障が出る。場合によっては、壊滅的なやつだ」

 ニンジャスレイヤーは顔をしかめた。ウキハシ・ポータルとは、大異変後の世界で急速にいびつな進化を遂げたオーバーテックの産物の一つであり、限定的な条件の下にではあるが、世界のある地点と別の地点とを一瞬で移動する異次元のルートを結ぶデバイスである。目下ニンジャスレイヤーが追い続けている敵を捕捉するためには、ウキハシ・ポータルを失うわけにはゆかぬ。

 ニンジャスレイヤーはカウンター内を見やった。ソネはまだ失神している。そして、呆けた表情で状況を見守っているヒロコとかいう小娘が目に入る。ニンジャスレイヤーは忌々しさを噛み殺しながら、コルヴェットに言った。「コルヴェット=サン、ソネ=サンを頼む。しばらく引き離してくれ。あいつがマクガフィンだ」

 コルヴェットは笑った。「マクガフィンか。ポエット! お前さん、実はアートの才があるんじゃないか?」ペケロッパニンジャたちは、ニンジャスレイヤーの言葉を聞きとがめ、高速圧縮言語で会話した。そして、キルナインが左腕ガトリングガンの銃口をニンジャスレイヤーらに向けた。

 コルヴェットは微笑みを浮かべたまま、カウンターに向かう。キルナインの銃口がその動きを追う。コルヴェットは失神状態のソネの傍らに跪く。懐から何らかの薬剤らしき液体が入った小瓶を取り出して蓋を取り、ソネの鼻に近づける。小瓶の内容物のにおいをかがされたソネは、口をわななかせながら覚醒した。「ペ……ペケ……ロッパ……」

 コルヴェットはソネに声をかけた。「さぞかし良き夢に浸っておられたであろうところを申し訳ない。立てるかね?」ソネは上体を起こし、自らの意識を確かめるようにゆっくりと左右に首を回してから、コルヴェットを見て、答えた。「ペケロッパ」そして立ち上がった。サイバーサングラスには「俺に構うな」の表示。

 コルヴェットもまた立ち上がり、ソネの肩に手を置いた。ソネは訝しんでコルヴェットを見た。ペケロッパニンジャたちは無言。ガトリングガンの銃口はなおもコルヴェットに向いている。コルヴェットはペケロッパニンジャたちに笑いかけた。「サラバ」次の瞬間、コルヴェットとソネの姿が渦巻く風とともに消えた。

 ペケロッパニンジャたちは5秒ほど固まったのち、高速圧縮言語会話を交わした。そして、再度、キルナインが銃口をニンジャスレイヤーに向けた。ニンジャスレイヤーは、ドアが破壊された店の入り口を顎で指し示した。ペケロッパニンジャたちが同時にその方向を見る。店を出た路上にコルヴェットとソネがいた。ソネはその場に嘔吐した。

 コルヴェットは再び笑顔を浮かべてペケロッパニンジャたちへと手を振り、呼ばわった。「オニサンコチラ」高速圧縮言語会話の後、シーカーが店外に向かった。コルヴェットとソネの姿が再び消え、通りの向こうに現れた。すぐさま、コルヴェットはソネを米俵めいて肩にかつぎ、逃走を開始した。シーカーがその後を追った。

 シーカーの背中を見送っていたキルナインは、シーカーらが視界から消えたのを確認し、カメラアイをニンジャスレイヤーに向けた。ニンジャスレイヤーはカウンターを横目で見て低く言った。「伏せてろ」次いで、異形の巨躯を睨んだ。「ツイてないな。あんたも、おれも」そして、腰を落とし、獲物に襲い掛かろうと狙いを定める獣のごとき構えをとった。


# 5


 ガトリングガン発射音、そしてニンジャたちのシャウトと打撃の応酬の轟音がピザタキの店内を満たす中、ヒロコはカウンター内、ヒロコを庇うコトブキの体の下で、うつぶせになりガタガタと震えていた。ヒロコの理性を、コトブキの温もりが辛うじて繋ぎとめていた。失禁していないのは奇跡だ。コトブキがいなければ、失禁どころか発狂していただろう。ヒロコは恐怖に震えながらもコトブキに感謝した。

 スイングドアの下の隙間から垣間見える戦いの光景は、色付きの風が暴れまわっているようにしか見えない。ニンジャたちが足を止めて刹那の打撃の応酬を行うときだけ、霞む人影がおぼろに見える。そして、そのときに必ず響き渡るニンジャのシャウト……「イヤーッ!」「KILL-9!」……「イヤーッ!」「KILL-9!」……「イヤーッ!」「KILL-9!」……その恐ろしさは、時折鳴り響くガトリングガン発射音や、それに続く銃弾を弾く金属音などとは比較にならない。

 ニンジャたちのシャウトは天井を、壁を、床を震わせて、ヒロコの聴覚と内臓を揺さぶる。接近戦の打撃衝突音は、まるで分厚い鋼鉄に砲弾が激突したかのような轟音だ。それらの音の一つ一つが、ヒロコの正気を徐々に削るかのような感覚を与え、死の恐怖よりもなお恐ろしいアトモスフィアでヒロコを支配し、ニューロンをマヒさせる。なのにヒロコは、まるで魅入られたかのように、スイングドアの隙間の光景から目をそらすことができない。

 やがて……ほんの一瞬静寂が訪れたかと思ったその時、「イイイヤアアーーッ!」一際激しくニンジャスレイヤーのシャウトが大気を揺さぶり、続けて天井から巨大な破壊音とキルナインの奇怪な電子音声の悲鳴が響き渡った。「セマフォ!」

 ヒロコは、反射的に体と首をひねって天井を仰ぎ見た。コンクリートむき出しの天井にキルナインが大の字で打ち付けられ、その巨体を中心にレッキングボール解体作業じみた蜘蛛の巣状の亀裂が広がっていた。コトブキがガバリと立ち上がり、カウンターから身を乗り出して叫んだ。「ニンジャスレイヤー=サン! 今です! ヤッチマエ!」

 ヒロコは思わず起き上がり、膝立ち状態でカウンターの向こうを見た。黒い炎でかたどられた鉤爪と化したニンジャスレイヤーの右腕から炎の縄が伸び、キルナインに巻き付いた。キルナインの巨体が天井から剥がれ落ちようとしたその時、死神の怒号の如きニンジャスレイヤーのシャウトが轟き、フラッシュバンめいてヒロコを床に打ち据えた。

 「Wasshoi!」

 ニンジャスレイヤーはシャウトともに炎の縄を引き戻し、高速で落下する異形ニンジャの巨体にサイドキックを叩き込んだ!「イヤーッ!」渾身の蹴りが命中し球状に膨らむ衝撃波を発生させる! 吹き飛ぶキルナイン!「セマフォ!」今度は入り口近くのコンクリート壁に叩きつけられる!「セマフォ!」

 なおもニンジャスレイヤーの容赦なき攻撃は止まらぬ! さらに引き戻し!「イヤーッ!」サイドキック!「イヤーッ!」「セマフォ!」再び壁に衝突!「セマフォ!」引き戻し!「イヤーッ!」サイドキック!「イヤーッ!」「セマフォ!」衝突!「セマフォ!」引き戻し!

 「イヤーッ!」「イヤーッ!」「セマフォ!」「セマフォ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「セマフォ!」「セマフォ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「セマフォ!」「セマフォ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「……」「……」


_____________


 数瞬の失神状態から回復し起き上がったヒロコの視界の先で、キルナインは糸の切れた肥大化ジョルリ人形のごとく壁から剥がれ床に倒れた。ニンジャスレイヤーは左腕を力の漲りに震わせながら渾身の水平処刑チョップを構える。その目が殺意に燃えるのが見える。ヒロコは卒然と悟り、震えあがった。これから、殺すのだ。

 だが、ニンジャスレイヤーが再度のシャウトを発する直前、キルナインの口部スピーカーから微かな電子音が漏れた。キルナイン本人を除き、その場の誰も知らなかった。それが旧世紀UNIXのブート効果音であることを。そして、ニンジャスレイヤーがシャウトとともに炎の鉤縄を引き戻すと同時に、密かに意識を回復していたキルナインは背後の壁を蹴った!

 「KILL-9!」ニンジャスレイヤーめがけ人間光子魚雷さながらに超高速水平飛翔! ニンジャスレイヤーは咄嗟に両腕をクロスさせ防御姿勢をとる! そこにニンジャスレイヤー自身の引き戻しの勢いに壁を蹴るニンジャ脚力の勢いを乗せたキルナインが頭から水平直立姿勢で飛来! KRAAASH!

 ニンジャスレイヤーの両腕は渾身の魔球を弾き返そうとするスラッガーめいて巨体ニンジャの高速飛翔ヘッドバットを受け止め衝突に耐える! だが敵の勢いが強い! ニンジャスレイヤーに受け止められほとんど空中静止状態となってもなお押す! ニンジャスレイヤーの腕がバットスイングと魔球の球威の均衡状態のごとく軋む! 床を踏みしめる踵がジリジリと下がる!

 そしてついに……均衡状態が破れた! 均衡状態から弾き出されたのはニンジャスレイヤーだ! 「グワーッ!」体をくの字に曲げたニンジャスレイヤーが、背後からワイヤーアクションで引っ張られるかのように、最奥の壁めがけ吹き飛ぶ! 激突!「グワーッ!」

 キルナインの衝突時に勝るとも劣らぬ破壊音を立てて大の字に壁に叩きつけられたニンジャスレイヤーは、衝撃のあまり肺の中の空気を一度に吐き出すことを強いられ、壁の破片とともに崩れ落ちた。キルナインは衝突地点で飛行時と同じ水平直立姿勢のまま冷凍マグロめいてごろりと床に落下したが、1秒後には起き上がった。そして、壁際のニンジャスレイヤーに向かい歩み始めた。

 その光景を目にしたヒロコは、時間の感覚を失い無音の空間に放り出された……傾いた視界に、キッチンの隅でうずくまったタキがシェルショック発症者めいて必死で両目を閉じ両耳を塞いで絶叫しているのが映る。視界が揺れ、かたわらのコトブキをとらえる。その目に決意が宿っている……

 ……ヒロコがその意味を理解した時には、既にコトブキはカウンターの上に飛び乗っていた。ヒロコはコトブキの名を叫び、腕を伸ばす。その指先をすり抜け、コトブキはタタミ5枚分先の敵目掛け一直線に跳び、おどりかかる。敵ニンジャはそれに気づき一瞬コトブキを見る。が、すぐに無視して、床から起き上がろうとするニンジャスレイヤーを再び見下ろす。そして、 辛うじておもてを上げたニンジャスレイヤーの眼前に銃口を向ける……

 ……ニンジャスレイヤーは見た。異形のニンジャの傍らに中腰で降り立ったコトブキが、カンフーシャウトとともに、左ショートボディを繰り出す。力感がないどころか、まるで肩から先が液体となったかのような軌跡のボディブロー。だが、その突きが敵の脇腹に決まった瞬間、コトブキの左拳を中心としてニンジャの巨体が波紋状に波打った!

 「……!」キルナインが声もなく硬直する! 続けざまに同じ左腕が生命を得た水のように動き、頭上へのショート裏拳を繰り出す!「ハイッ!」キルナインの顎先を中心に波紋! 間髪入れずキルナインの心臓めがけ、スタンス踏みかえの動きと完全な調和を見せる、湧き上がる奔流の如き右掌打!「ハイッ!」キルナインの左胸部を中心に波紋!

 巨漢ニンジャの全身が極度振動! カメラアイが割れレンズの破片ががはじけ飛び、さらにその巨体を駆け巡る複数の波紋がキルナインの体内で多重衝突! 巨体を内部から破壊する! タツジン! キルナインは直立したまま邪悪なボブルヘッド人形めいて震え、破壊されたカメラアイ跡と耳から出血! さらに口部スピーカーから大量吐血!

 もはや内臓とニューロンをほとんど破壊され棒立ちになったキルナインを前に、コトブキはあらためて決断的な眼差しをむけ、最後の一撃に向けてスタンスを踏みかえた。「ドンナニモ」つぶやいたコトブキの瞳がギラリと光り、「ナッチマウゼ」体が僅かに沈む。そして繰り出されたのは……飛び上がりながらの雷神の一撃のごときリバース・ラウンドハウス・ハイキック(訳註:おそらく上段後ろ回し蹴りの意)である!

 「ハイヤーッ!」 研ぎ澄まされた電子のニューロンに制御された、マシンのボディの限界を極めるスピードと精緻さで放たれた足刀がキルナインの顔面を捉える! そのままドロイドの全体重を乗せて脚を振りぬく!

 ギュルルルルル! コトブキの渾身のキックを受けたキルナインは、直立不動姿勢で巨大なコマのごとく回転! 半ば破壊された頭部からUNIXパーツの破片をまき散らす! なおも回転! 回転!……やがて、ゆるやかに回転のスピードが弱まり……回転を止めたキルナインは、再び棒立ち状態となった。そして、ゆっくりと、その巨体をうつ伏せにして床に倒れこんだ。

 「フゥーッ……」コトブキは、右手親指をなめ、軽やかにスタンスを2度踏みかえた後、息を長く吐きながらゆらりと右拳でリードブローを打つ寸前の構えを取り、ザンシンした。そしてニンジャスレイヤーに目を向けた。床に手をつき身を起こそうとするニンジャスレイヤーの目は驚愕に見開かれていた。

 ニンジャスレイヤーが立ち上がりながら半ば呆然として見守る中、コトブキは、目をぎゅっと瞑って何やら身悶えし、直後に満面の笑みで喜びを爆発させた。「できました! ヤッタ!」そしてニンジャスレイヤーに背を向け、バンザイ姿勢で垂直に跳び空中で両脚をW字に曲げるジャンプをぴょんぴょんと繰り返した。ニンジャスレイヤーは背後の壁にもたれて、しばし息を整えた。

 コトブキはしばし無我夢中でジャンプを繰り返していたが、唐突にその動作を中断し、ニンジャスレイヤーへと振り向いた。「見てもらえましたか?」ニンジャスレイヤーは、素直に認めることにした。「……ああ」そして、素直に付け加えることにした。「……助かった。恩に着る」

 その時、コトブキの肩越しに、スイングドアを押し開けてヒロコがふらつきながらもコトブキに駆け寄ってくるのが見えた。ヒロコは顔をわななかせ、ボロボロと涙をこぼしていた。コトブキも気付いて振り返った。ヒロコはコトブキの真正面に立つと、コトブキの右拳を両手でつかみ、祈りを捧げるかのようにその手を自分の胸の前で掲げ持ち、声を絞り出した。

 「……コトブキ=サン……」それ以上ヒロコは何も言えなくなり、しばし俯いたまま啜り泣いた。コトブキは微笑みながらヒロコに声をかけた。「ヒロコ=サンのおかげですよ?」「……あたしの?」ヒロコは鼻をすすりあげながらもキョトンとした顔になった。

 「そうです。今朝の、ヒロコ=サンが義と勇の心で正義をもたらした尊い姿を見たことで、わたしは師父の教えを体得したのです。門が開き、道が見えました。わたしはこれからも師父の教えを受けてカンフーし、道を進みます。門を開いたのはヒロコ=サンです」コトブキは、自分の右拳を包むヒロコの手に、さらに左手を重ね、言った。「ユウジョウです」

 ニンジャスレイヤーは、人知れず、コトブキの言葉に静かな衝撃を受けていた。道……道を進む……ヨグヤカルタの闇が脳裏をよぎる……認めなければならない。先ほどのブザマは、自分が呼吸一つ満足にコントロールできないことの証左だ。だが、今は……

 ふとコトブキたちのほうに目をやると、再び泣き出すやに見えたヒロコの表情がにわかにこわばり、こちらをちらちらと見て気にする仕草をみせた。ニンジャスレイヤーは、ヒロコにはっきりと不快感の目線を向けることにした。なぜかその目線を受けてヒロコは何やら決意した表情になり、小声でコトブキに訊ねた。「コトブキ=サン、お手洗い、どこ?」

 とたんに、コトブキとヒロコは目を合わせてクスクスと笑い出した。ニンジャスレイヤーは鼻を鳴らし、再び軽く天を仰いだ。コトブキとヒロコは笑い合いながら店の奥に消えた。カウンター内では、ようやくタキがよろよろと立ち上がるところだった。

 タキは、相変わらずの情けない面でニンジャスレイヤーを恨めしげに睨んだ。ニンジャスレイヤーは見返した。何様のつもりだ。あのヒロコとかいう小娘のほうがよほど豪胆だ。ふと、何がタキとヒロコの違いをもたらしているのかという妙な疑問が浮かんだ。おまえはヒロコとかいう小娘よりもよほどタキに近い人間だ、という内なる声が聞こえてくる気がしたので、考えるのをやめ、タキに声をかけた。

 「タキ=サン、仕事だ」タキがなおも精一杯の無言の抗議をするかのようにこちらを見つめる。ニンジャスレイヤーは、未だ機能停止状態で床に転がるキルナインの背中を指さした。キルナインの背中に埋め込まれているUNIX端末はほとんど原型をとどめていない。だが記憶装置だけなら生きているかもしれぬ。

 「こいつの背中の端末に接続してハッキングできるか? こいつらのアジトを調べてもらう」それを聞いて、ようやくタキが口を開いた。「……マジか?」ニンジャスレイヤーは答えた。「マジのようだ。それと、冷蔵庫にあるスシ・パックを頼む」


_____________


 ヒロコは洗面台で手を洗いながら、自らの幸運を思った。コトブキがいなければ、あともう少しで、あの人のいる前で人生最大の失敗を犯すところだった。そうなれば、恥辱のあまり即座にセプクしていただろう。考えながら送風機で手を乾かしている最中に、突然、ホールの方向から「KILL-9 MYSELF! SAYONARA!」という奇怪な電子音声の断末魔とともにサツバツとした爆発音が聞こえた。

 ヒロコは慌てて水兵服で手を拭きながらホールに戻ったが、タキがまたもや情けなくへたり込んでいるものの、特に爆発の被害はないようだった。キルナインというニンジャはもはやどこにもおらず、ニンジャが倒れていた場所に黒い焦げ目があるだけだ。タキがへたり込んだままニンジャスレイヤーに向かって怒鳴った。

 「途中で爆発するとか聞いてねえぞ! 何てことさせんだよ! ビビったじゃねえか!」ビビったことは正直にみとめるのか、となぜか感心した。ニンジャスレイヤーがスシをつまむ手を止め、タキに答えた。「それは悪かったな。実害はない。それよりも首尾は」「ダメに決まってんだろ! 見りゃ分かンだろうが!」なぜそこで威張る。

 そこにソネを担いだコルヴェットが戻ってきた。ソネは再び失神している。コルヴェットは店内の様子を見渡して言った。「仕留めたか。チョージョー」ニンジャスレイヤーが答えた。「ああ。あんたにも無理を言った。礼を言う。そっちはどうなった」

 コルヴェットはソネを肩から下してスキットルを取り出し、呷った。「適当なところでジツで撒いてきた。撒かれたことに気付けば、そのうちまたここに戻ってくるだろうが。稼げた時間は、そうさな」言葉を切ってもう一口呷る。「少なくとも10分といったところか。あれが見た目通りの単純ロボットで、撒かれたことにしばらく気付かんでくれれば有り難いが……」

 コルヴェットは床のタキに目を向けた。「他に何かあったか?」タキは訴えた。「なあオッサン、聞いてくれよ。いつも身を粉にして尽くしてるこのオレに対してだぞ、そこに立って偉そうにスシ食ってるニンジャが悪逆非道にも……」ニンジャスレイヤーがタキの言葉を遮った。「あのペケロッパどものアジトを調べようとしたが、ハッキングでしくじった」「しくじってねえよ! あのクソニンジャが勝手に爆発したんだろうが!」

 コルヴェットは訝しんだ。「あいつらの、アジト……?」ニンジャスレイヤーが説明した。「放っておきたいところだが、また妙なペケロッパのニンジャを送り込まれるのも迷惑だ。マクガフィンはこちらが握っている。あいつらのボスと話をつける。できれば、だが」「いや、俺が言ってるのはそこではない」コルヴェットはヒロコを見て訊ねた。

 「確か、話に出てきたアルケミーとかいう御大層な名前のニンジャが、自分のアジトについて犯行声明で言っておったのではなかったかな? あれは何といったか……」そういえば。「ネオサイタマ中央……第4?……支部とかなんとか……」ヒロコが記憶を探り出しながら言う。コトブキが携帯IRC端末を取り出し、なにやら検索をはじめた。

 タキはニンジャスレイヤーを見上げた。ニンジャスレイヤーはわざとらしいほどにタキを無視してスシ補給を続けた。コルヴェットがやや呆れ気味に言った。「お前さんたち、本当に聞いてなかったのか。俺は、なかなかに面白い話だと思ったぞ」

 「ありました」コトブキが示した携帯端末の画面にはペケロッパ・カルトの「ネオサイタマ中央第4ネスト」のIRC−SNS信者募集公式アカウントページ。丸いプロフィール画像は、フードを目深に被った男の顔写真。プロフィール欄には当該ネストの物理アドレスの記載まである。

 コルヴェットが感心した。「お嬢さんの記憶力も大したもんだ」やや照れる。コトブキが申し訳なさそうに言った。「『ペケロッパ』と『アルケミー』で検索したらトップで表示されました」今度は全員で顔を見合わせた。

 コトブキが深刻な表情になった。「SNSの恐ろしさが今、分かったような気がします」タキがコトブキを睨む。「『気がする』っていうのは何なんだよ。ほんとに分かってんのか?」ニンジャスレイヤーはタキを目で制し、次いでコトブキを見た。「今は、それが分かってくれれば十分だ」コトブキは曖昧にうなずいた。

 「出発する」ニンジャスレイヤーが決断的に告げ、空になったパックを隅のくずかごに放り込み、失神状態のソネを担ごうとした。「待て」コルヴェットが制止した。ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。コルヴェットが問うた。「お嬢さんはどうするつもりだ」「どうもこうもない。勝手に帰ればいい」「帰れればいいのだがな」

 その言葉を受けて、ニンジャスレイヤーはヒロコを一瞥した。コルヴェットが続ける。「さっきのシーカーとやらを片付けて済むのなら結構だが、おそらくすぐに別の追手が来るぞ。問題は、お嬢さんの顔が奴らにも知られていることだ」あのSNS投稿画像のことを言っているのだ。コトブキも気付いたらしく、愕然としてヒロコを見、そして俯いた。コルヴェットは苦い表情で言った。「俺の荒事の実力は知ってのとおりだ。俺にお嬢さんの護衛を期待せんでくれ」

 ニンジャスレイヤーはやや考えた後、渋々、目でコルヴェットに同意を示した。「そうなると」コルヴェットはヒロコを見た。「お嬢さんは、片が付くまで俺たちと、というよりニンジャスレイヤー=サンといたほうがいい」コルヴェットは、ニンジャスレイヤーから見えないようにヒロコにニヤリと笑って見せ、ソネを担ぎ上げた。「すなわち、運び役が二人必要ということだ」

 「わたしも行きます!」即座にコトブキが宣言した。「ヒロコ=サンはわたしが護ります」コルヴェットはコトブキを見た。「だがお前さんでは、お嬢さんを抱えたまま俺たちに付いてくることはできんだろう。手ぶらで来い」コルヴェットの言葉を聞いたニンジャスレイヤーがなぜか困惑する表情になった。

 タキがニンジャたちを見回した。「おい、オレのことは誰が連れてってくれるんだ? まさか置いてくつもりじゃねえだろうな」ニンジャスレイヤーは八つ当たりめいた怒気をこめて言った。「いつも通り、自力でなんとかすればいい。得意分野だろう」タキは怒鳴り返した。「なんだテメエ! この恩知らず! クタバッチマエ!」

 ニンジャスレイヤーはタキを無視し、途方に暮れた様子でヒロコを見下ろした。ややうろたえたヒロコにニンジャスレイヤーは告げた。「揺れるぞ」そして、ヒロコの返答を待たずに、ヒロコをプリンスセスめいて抱き上げた。

 たちまちヒロコの頭部は超自然の不可視の炎に包まれ、ヒロコは不可視の湯気をモクモクと立ち昇らせながら再び白目を剥いた。ヒロコの意識から切断された理性の領域にあるカートゥーンヒロコは、火災警報が鳴り響く中、赤色回転灯に照らされながら小カートゥーンヒロコ救急消防隊に出動を要請した。


# 6


 10分後。

 「アイエエエエ!」夕闇が迫る中、ニンジャスレイヤーの腕に抱えられたヒロコは際限なく悲鳴を上げ続けた。

 ニンジャスレイヤーたちは西に向かい高層ビルの屋上から屋上へと跳び渡る。ニンジャスレイヤーが平然とタタミ十数枚もの距離を跳躍するたびに急上昇のGと落下の無重力感が不規則に訪れ、ヒロコの三半規管と内臓を揺さぶる。進行方向からぶつかってくる風圧は、まるでジェット噴射に逆らって突っ走るかのようだ。「アイエエエエ! アイエエエエエエエ!」

 「景色でも見て落ち着け」ニンジャスレイヤーが落ち着いた声で無理な注文をつけた。風圧に逆らって前を向くのはとても無理だと思い、ヒロコはニンジャスレイヤーの肩越しに背後方向を見る。相変わらず失神状態のソネを担いだコルヴェットの後ろから、ヒロコの通学鞄をたすき掛けにしたコトブキが遅れながらもなんとか付いてくる。

 「あんたやコトブキのために、これでもペースを落としてるんだ。どうせなら前を見ろ」親切で言ってくれているのだ、多分。ヒロコは強いて進行方向を見た。風圧で顔面の皮膚を歪めながら目を開ける。前方に広がる光景に、つかの間、それまでの恐怖を忘れる。

 遠くフジサンの山影の向こうに夕日が完全に沈んだばかり。地表の……眼下に広がる高層ビル群は夜の中で人工の光を発して輝く。そして地表とは逆に、西の空は夕日が残した最後の煌きに下から照らされている。まるで、西の空いっぱいに広がる、オレンジから淡い紫へと色を変える虹。ヒロコは初めて知った。夕暮れのネオサイタマが見せる雄大な姿。しばし見とれた。そして地表に目を戻し、現実に引き戻された。

 次に飛び移るビルの先は道幅がタタミ100枚分ほどもあるハルミ大通りだ。その向こうにも高層ビル群。どう考えてもジャンプで飛び越えられる距離とは思えない。だがニンジャスレイヤーは平然と言った。「掴まれ」

 まさかと思いつつ、ヒロコはここぞとばかりにニンジャスレイヤーの首に両腕を回した。風圧がヒロコの顔面皮膚に極度フェイスマッサージを強いていたが、ヒロコは自分が精一杯カワイイに見えることを期待してニンジャスレイヤーの顔を見つめた。

 途端にニンジャスレイヤーはヒロコの上半身を支えていた右腕をヒロコの体から離した。ヒロコは一瞬にして転落の危機に直面し、必死でニンジャスレイヤーの首にしがみついた。ニンジャスレイヤーは大通り手前の最後のビルの屋上に飛び移る。全くスピードを落とさない。逆に急加速。ヒロコは恐怖に目を剥く。

 そして……ニンジャスレイヤーはハルミ大通りの向こうのビルめがけ跳躍!「イヤーッ!」案の定タタミ20枚ほどの距離を飛んだところでジャンプは頂点を迎え落下し始める! ヒロコは落下死の恐怖に絶叫!「アイエエエエ!」開けた口の中にも風圧! ヒロコの唇と頬が出鱈目に波打つ! ナムアミダブツ! だが、ニンジャスレイヤーは右腕を打ち振り、前方の空へ超自然のフックロープを放った!「Wasshoi!」

 フックロープが伸びる先にあるのは、大通りの上空を回遊する広告マグロツェッペリンだ! ロープ先端の鈎爪が着陸スキッドを掴む! ニンジャスレイヤーはターザンジャンプに移行! ワザマエ! ニンジャにしか為しえぬ恐怖の振り子運動に、ヒロコはあらん限りの声を張り上げジャングルに響き渡る咆哮じみた絶叫を放つ!「アイエエエエエエエ!」


_____________


 同時刻。ピザタキに一人取り残されたタキは、店の2階の物置で必死にガラクタを漁りながら、フル回転するニューロンの片隅であの狂人どもを呪詛し続けていた。そして同時に、自らのプロとしての自覚を新たにしていた。

 ニンジャスレイヤーを名乗るあのニンジャは、たった一度ばかりタキの命を救ったことを恩に着せてタキをタダ働きさせ続けているが、実はタキのハッキングのスキルに頼り切りだ。おまけに闇社会の作法はなんら心得ていない。

 そこが少しはカワイイだと言いたいところだが、あいつは……あの狂ったニンジャはサンズ・オブ・ケオスとかいう胡乱なニンジャの集団と平然とモメゴトを構え、二言目には殺すと言って憚らない。そして実際に企業が所有するウキハシ・ポータルのただ乗りを繰り返して−−おまけに、どういう趣味なのかそういう趣味なのかコトブキを従えて−−わざわざ世界各地に出かけてニンジャを殺しては、およそ生きているのが不思議なほどの重傷を負う。それで結局、まるで帰巣本能に従うかのようにタキの店に帰ってくる。

 そこが少しはカワイイだと言いたいところだが、どう考えても狂っている。あいつは世界中でニンジャを殺して回っているが、そもそもの目的は、サツガイという男の消息を辿ることにある。情報が目的ならサンズ・オブ・ケオスの奴らとナカヨシにでもなればいいだけだ。なのに、なぜ当たり前のように殺す。

 そんな無謀な殺戮を繰り返していては、闇社会では到底長生きできない。実際既にあいつはソウカイヤのニンジャにも目を付けられている。あいつが生き残っているのはプロであるタキのおかげというほかない。実際タキが命綱だ。少しは感謝しろ。だが、あいつはどうにもひねくれていて、素直にタキに感謝する様子は全くない。無理をしているのが見え見えで、そこが少しはカワイイだと言いたいところだが……

 ……目下、タキはまたもや、あの狂ったニンジャたち(最近になって、コルヴェットと名乗る、よりによって魔術師を自称する明らかに狂ったニンジャまで店に出入りするようになった)のとばっちりで危機に陥っている。

 あいつらの話によれば、もう間もなく、あのイカれたペケロッパニンジャの片割れが店に戻ってくる。ここ最近は、今日の新顔のヒロコとかいう狂人をコトブキが連れてきたように、狂人が新顔の狂人を店に呼び寄せるのがいつの間にかチャメシ・インシデントになってしまった。さも当然のようなツラして店に棲みついているあの狂ったオイランドロイドも含めて、どこを向いても狂人ばかりだ。どうしてこうなった。

 だがタキは、そのプロの自覚をもってして恐慌状態に陥ることなく自らを支え、狂人どもを絶えず呪詛しつつもその冴えたニューロンにより打開策を見出していた。

 真っ先に思いついたのは、密かに地下4階に構えているタキの情報屋としての仕事場−−当然ながらピザ屋としての表の顔は闇社会のプロらしい偽装だ−−に身を隠すことだったが、プロとしての予測に照らし、却下した。あのシーカーというペケロッパニンジャは、名前からしても、顔の右半分をサイバネアイまみれにしたセンスを疑う外見からしても、いかにも物探しに長けていることをしきりにアッピールしている。隠れているところを見つかりでもしたら、あの狂人どもの仲間ではないという弁解は通用しないだろう……仮に言葉が通じればの話だが。

 だから、肝要なのは友好的アプローチだ。オレはあいつらの仲間どころか、哀れな奴隷も同然だ。ペケロッパのニンジャ様があの狂人どもをまとめて葬ってくれるのなら、オレが逃げ隠れする理由などどこにもない。だから今オレはこうして、ペケロッパのニンジャと友好的にコミュニケーションをとるためのツールとして何を活用すべきか比較検討している。

 まず見つけたのは、故障して物置に放り込んだままになっていた型遅れのサイバーサングラスだ。この手のデバイスはなぜか昔からオレの性に合わない。オレは見ての通りカート・コベイン(最高に涼しい旧世紀のロックスターだ。知ってるか?)似のハンサムだから、無意識のうちにキアヌその他を連想させるデバイスを忌避しているのかもしれない。だが、今回ばかりはそうも言ってられない。試しに電源を入れる……やはり壊れたままだ。表示パネルにも何も映らない。だが友好的態度をアッピールする上では、当面、これでも役に立つ。

 次に、真新しいスケッチブックを見つけて、こいつを利用することにした。コトブキの奴が、こないだプラハに行くときに、時間があったら風景をスケッチすると言って買ってきたやつだ。だがコトブキは、どうやって手に入れたのかジャンク品の物騒なガトリングガンまで調達してきて、そいつを無理やりプラハに運ぶために、結局、スケッチブックその他の旅行気分の荷物は置いていった。そのおかげで今回は助かる。

 それからオレは、自分のルックスを今一度客観的に検討した。身につけているのは、旧世紀レトロ調の長袖ボーダーシャツ。こいつは良くない。ペケロッパの友として振舞うには、余りにもセンスが良すぎる。この時ばかりは、オレ自身のワードローブのハイセンスさを恨んだ……打開策を求めて、あらためて物置内を見渡した。

 2階の一角は、今やあのコトブキの奴の棲家と化している。ふざけたことにずいぶんと上品なベッド……あいつに睡眠の必要があるとはどうしても信じられない。その傍らには正気を疑わざるを得ないカンフー鍛錬用の木人や、やけに大型の衣装箪笥。

 意を決して箪笥に歩み寄り、開ける。一体どういうシチュエーションで着用するつもりなのか全く分からない世界のどこかの民族衣装みたいな服が何種類も、加えて、オーエル制服その他の特殊コスプレイ業務用としか思えない雑多な衣類が収納されている。こんな服装では、あのペケロッパニンジャにも狂人だと思われて、目的を達することはできない……その時、とある服に思い至った。

 オレは箪笥下部の引き出しを開けた。洗濯されたTシャツや下着類が丁寧に収納されている。もちろん目当ては下着ではなくTシャツのほうだ。極めて不本意だが、引き出しを漁った。引き出しの衣類からたちのぼる極めて不本意な香りが鼻腔をくすぐった。ニューロンへの酸素供給を絶つわけにはいかないので、不本意だが極めて大きく吸い込んだ。程無くして目当てのTシャツを見つけた。

 取り出し、あらためてそのTシャツを見た……正直、眩暈がした。だが、これこそペケロッパどもの同類にふさわしい狂気のTシャツというほかない。背に腹は代えられない。オレは身につけているボーダーシャツを脱ぎ、そのTシャツに着替えた。そして、故障したサイバーサングラスとスケッチブックを携え、階下に降り、その時を待った……

 ……2分も経たぬうちに、雑に蝶番を取り付けなおしたばかりの入り口ドアが再びバタリと倒れ、シーカーが姿を現した。シーカーは店内を見渡し、店内にいる人間をスキャンして、服装等の外見データに照合させる。先ほど店内にいた人間に一致する者はいない。そのかわりカウンター内に立っているのは、外見データベースに一致しない、すなわち初見の、サイバーサングラスをかけた薄汚い男。男が着用している、それだけが目立って清潔なTシャツには、大きく「ことぶき」と書かれている。

 シーカーはスピーカーから電子音声を発した。「敗VIP他民衆所在応答疑問しなさい」男は……タキは故障したサイバーサングラスをかけたまま満面の笑顔で答えた。「ペケロッパ!」そして、スケッチブックの表紙をめくり、最初のページをニンジャに示した。そこには、黒色極太マーカーペンで書かれた「コンニチワ!」の文字。シーカーは無言。

 タキはすかさず語を継いだ。「ペケロッパ!」そしてスケッチブックをめくり、示した。次のページには「みんなはだい4ねすと? にいったよ!」の文字。シーカーは未だ無言。

 タキの笑顔に焦燥感が混じる。書き溜めたメッセージは今ので終わりだ。スケッチブックをめくり、まっさらなページに急いで新たな友好のメッセージを記載し、シーカーに示す。「ペケロッパ!」そこには「ワースゴイ!」の文字。シーカーはなおも無言。タキは文字に二重アンダーラインを引き友好のメッセージをエンファサイズして、再びシーカーに示す。反応なし。

 タキの笑顔が引きつる。急いでさらにページをめくり、新たなページにメッセージを書き殴った。「ペケロッパ!」シーカーに示したスケッチブックには、二重アンダーラインでエンファサイズされた「タノシイ!」の文字。それを見たシーカーが動いた。

 シーカーはカウンターに歩み寄り、タキに両腕を伸ばして、硬直状態のタキの手からスケッチブックとマーカーペンを取り上げた。シーカーは唖然として見守るタキの目の前でサラサラとスケッチブックに筆記し、タキに示す。そこには、無機質な太ゴシック体で「お前をペケロッパの家に連れて行く」の記載。

 タキの笑顔が凍り付いた。シーカーは構わず再びカウンター内に手を伸ばしてタキの襟首を掴んで引き上げ、シーカーの目前に立たせた。しばし、無言で見つめ合う。タキの硬直した顔面を大粒の汗が流れる。と、やおらシーカーは中腰になり、タキが悲鳴を上げる間もなくタキを両腕で持ち上げ、プリンセスめいて抱きかかえた。タキはシーカーの腕の中でしめやかに失禁した。

 
_____________


 やがて一行は目的地と思しきビルの屋上に辿り着いた。ここはもうネオカブキチョの領域。旧時代から相も変らぬネオサイタマ最大の「繁華街」である。ネオンの輝きに満たされた路上の喧騒。加えて、地上からも頭上のマグロツェッペリンからも絶えず鳴り響くCM音声。もちろんヒロコは話に聞いたことがあるだけで、実際に訪れるのは始めてだ。コトブキが携帯IRC端末を取り出しマップ確認した。「このヤクザビルの地下で間違いないです」

 それを聞くが早いかニンジャスレイヤーはヒロコを抱きかかえたまま隣のビルとの間の路地めがけ飛び下り、路地の両側にそびえるビル壁面を往復して蹴り渡りながら地上に達し、ヒロコを地面に下ろした。ヒロコは自力で立とうとしたが、途端に脚の力が抜けビル壁面に背中を預けてしゃがみ込んだ。ヒロコの目の前でニンジャスレイヤーの装束が灰が舞い散るように消え去り、青年は再びパーカーとカーゴパンツの姿となった。

 ヒロコたちを追ってソネを担いだコルヴェットが路地に降り立ち、ヒロコに笑いかけた。「ニンジャとのひとときの旅路はいかがだったかね?」ヒロコは答えようとしたが、立てない上に声も出ない。コトブキがビル壁面の配管を伝って滑り降りてきた。ヒロコの様子を見て、すぐに手を差し伸べた。「無理せず、ゆっくり立ち上がってください」

 ヒロコは、しゃがみこんだコトブキの肩に手を置き、ほとんどコトブキにもたれかかるようにして立ち上がった。苦労してようやく声を絞り出した。「……ありがとう」コトブキはたすき掛けにしていた通学鞄をヒロコに渡した。コルヴェットは再びソネに気付け薬をかがせている。数秒してソネは覚醒した。

 コトブキはソネにも手を貸した。「もう少し辛抱してくださいね」立ち上がったソネはあたりを見回して、気を失っている間にペケロッパのアジトが間近になっていることに気づいたようだ。ソネは苦々しい顔でつぶやいた。「ペケ、ロッパ」サイバーサングラスには「ありがとよ」の表示。

 それを見て、コルヴェットはロープの端をコトブキに差し出した。「コトブキ=サン、エスコートを引き継いでもらえんか」次いでニンジャスレイヤーに言った。「タキ=サンのことだから、今頃シーカーに俺達の行き先を教えているはずだ。先に行ってくれ。俺がここでアンブッシュする」ニンジャスレイヤーはやや考えた後、答えた。「シツレイを言って悪いが、一人で大丈夫か?」

 コルヴェットは懐から何らかの粉末が入った極小キンチャクをつまみだした。「先ほどはソネ=サンを連れていたから機会がなかったが、俺独りなら、俺のカゼのジツとこいつで、やれる」極小キンチャクを目の前に掲げて軽く振る。「おそらくな。あのシーカーのようなUNIX仕掛けにはてきめんに効く奥の手だ。持つべきものは魔女の友よ」

 ニンジャスレイヤーは頷いた。「判った。オネガイする」コルヴェットは帽子の鍔をつまんで前傾させた。「では、また後でな」コルヴェットの姿が霞むように消えた。ヒロコは、この程度ではもう驚かなくなった自分に気づいた。

 「行きましょう」コトブキの声を合図に路地を出て、ヤクザビルの正面に回った。目的地はその地下だ。通りに面して地下へと降りる階段がある。明らかに地下ヤクザバーへの入口。その両脇には双子のように瓜二つの、サングラスをかけた黒服。黒服の膝の高さの電灯内蔵正方形看板には「ブッチャー」と店名が書かれている。入口に掲げられた威圧的な書体の「新鮮なお肉です」のネオンショドーにヒロコの足がすくんだ。

 コトブキはソネを牽きがながら迷うことなく入り口に向かう。ヒロコはやや躊躇した末、コトブキに続こうとした。だが、ヒロコを見た黒服たちがさっと入り口をふさぎ、ヒロコを指さして同時にヤクザスラングを放った。「「未成年ダッテメッコラーッ!」」

 生まれて初めて直にヤクザの怒気を受けたヒロコは恐怖に後ずさった。よろめき倒れそうになったヒロコの背を逞しい腕が支えた。ヒロコは振り仰いだ。ニンジャスレイヤーが憶することなく黒服たちを見返していた。ニンジャスレイヤーは眉を目から離し気味にして、やや顔をそらせた。「社会見学だ。出張マイコサービスの。おれがこいつの保護者だ」

 コトブキが振り返って不思議そうにニンジャスレイヤーを見た。ニンジャスレイヤーは顎でコトブキを促した。コトブキは左右を見て、次にソネが繋がれたロープを持つ自分の手を見た。しばらく何かを考える様子を見せた後、手早くオレンジの髪をツインオダンゴにまとめた。そして改めて黒服たちに向き直り、腰に左手を当てた仁王立ちの姿勢をとった。

 あの黒服たちに立ち向かうつもりなのか? 咄嗟にヒロコがコトブキを止めようと口を開きかけたその時、コトブキは右拳を握り、その小指をぴんと立てて決断的に自らの鼻腔に差し入れ、黒服たちをキリリと睨み付けながらセリフを棒読みした。

 「女王様と呼べコノヤロー」

 「ペ……?」ソネは呆気にとられてコトブキとニンジャスレイヤーを交互に見た。コトブキのセリフを聞いたニンジャスレイヤーは軽く二度頷いて満足の意を示してから、さらに顔を反らせて下目使いで黒服たちを眺めた。「見ての通り、今日も絶好調だ」

 黒服たちは無表情のまま顔を見合わせた。コトブキの意図を悟ったヒロコは、黒服の疑念を打ち消そうとコトブキの背中めがけ、アドリブで叫んだ。「勉強になりますセンパイ!」黒服たちがヒロコに目を向けた。ヒロコは勇気を振り絞り、自らもまた右手小指を鼻腔に差し入れ、肚の底からコギャルスラングの雄たけびを上げた。「マジウケルー!」

 次の瞬間、ヒロコの頭上から「ぶっ」という妙な音が聞こえた。見上げると、歯を食いしばり眉根を寄せてヒロコを見下ろすニンジャスレイヤーと目が合った。ニンジャスレイヤーはすぐさま視線をそらした。ヒロコは鼻腔から小指を抜いた。黒服たちは無言で一行を5秒ほど観察したが、不意に互いに頷き合い、左右に分かれて入り口を手で示した。「「ドーゾ!」」

 コトブキは再び入り口に向かい、笑みとともに黒服たちに礼を言った。「アリガトゴザイマスコノヤロー」ニンジャスレイヤーはコトブキを追い越しながらコトブキにささやいた。「それはもういい」コトブキは鼻腔から小指を抜いた。コトブキの前に出たニンジャスレイヤーの方向から、再び先ほどの妙な音が聞こえた。ヒロコもコトブキに続いて、地下への階段を降りた。


【続く】