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【2018年エイプリルフール企画】 エミリー・ウィズ・アイアンドレス ~センパイポカリプス・ナウ!~ 第2048話



 もう時間がない。アイアンドレスの敗北と私の孤独な死は目の前に迫っていた。今このコクピットにセンパイがいないことはもちろん悲しいけど、そのことは私の心に悲しみよりもずっと大きな安らぎをもたらしていた。これまで多くの、けれどかけがえのない時間をいっしょに過ごしたセンパイ……パートナーの私と手を重ねて共に運命重騎兵アイアンドレスを操縦しカイジュウとの絶望的な戦いに身をささげてきたオニヤシャ=センパイは今、遠く京都で過酷な修学旅行を率いているから、この無様な敗北で彼が傷付くことはない。このコクピットで死を迎えるのは私一人……だけど、私のこの悲しみの大きさを誰が分かってくれるだろう。とうとう、大切なセンパイへ私の思いを伝えることはできなかった悲しみを……

 だから私は、残されたわずかな時間で、これを読んでいる全ての人に私の思いを伝えたい。私の名前はエミリー・ラスティゲイツ。全米でも屈指の住み良い街といわれるオレゴン州ポートランドで素敵な街とは裏腹のスクールカースト最底辺のハイスクール生活を送っていた、身長が5フィートにも届かない、雪のように白い肌と漆黒の髪、そしてシャイニージェットブラックの瞳のありふれた少女。だけど私は、7か月前に交換留学生として日本を訪れシブヤ・センパイ・ハイスクールに転入し、センパイとの出会いと運命に導かれて自分の真の名前……エミリー・フォン・ドラクル・イチゾク・ラスティゲイツ・ザ・ドーンブリンガー・M−22……とその使命を知った。邪悪なカイジュウ・マインドが富士山から送り出す人類の宿敵カイジュウに立ち向かうさだめの人類最後の希望。カイジュウを倒すため、ウンメイテキ・ジーンの保有者としてセンパイと共にアイアンドレスを駆る、数千万人に一人の選ばれし者。それが私だった。

 こうして自分の価値を知った私が日本で送った日々は、危険に満ちていても幸福な時間だった。でもそれも今日、このブクロの地で終わろうとしている。機体のステータスを表示するコクピットのパネルの一つは、コクピットハッチの装甲が既に90%近く削られたことを示す赤色の危険信号を激しい警告音とともに点滅させている。そしてメインモニタは、わずか30メートルほどの距離を挟んでアイアンドレスと対峙し今まさに私を殺そうとしているカイジュウ、全高50メートルのアイアンドレスの胸の高さほどのサイズのトラジディ級カイジュウ「カガイシャ」が、カイジュウ・マインドの残虐さを湛えた紫の瞳を輝かせて立つ姿を映し出していた。

「ああ! エミリー=サン!」トワイライト・オニ機関のアビスマル・フリート母艦にある作戦指令室で密かに私の顔写真を入れたお守りを握りしめ苦悩するトキヨシ=センパイの声がコクピットの通信スピーカーから流れ、コクピット内を悲愴な響きで満たした。「全て私の判断ミスが原因だ! 本来はウンメイテキ・ジーン保有者二名の共同操縦によりその機体の真の性能を発揮するニニンバオリ・システムを搭載したアイアンドレス『ジュウ・ニ・ヒトエ』なのに敵カイジュウをトラジディ級と侮ってしまった私は本来の機体性能を発揮できないエミリー=サン単独での操縦でも敵カイジュウを倒せるだろうという安易な判断を下して君を死地に送り出してしまった! そして『カガイシャ』はアイアンドレスと交戦を開始すると突然それまでの鈍重そうな分厚い皮膚組織のほとんどを脱ぎ捨てて想定外の素早い動きで不完全な性能しか発揮できないアイアンドレスを翻弄しアイアンドレスがほとんど有効打を与えられないままその爪と口から吐き出す火球によって徐々にアイアンドレスの装甲を削り取って遂にこの状況に追い込んでしまったんだ! もし私が敵を侮ることなくたとえオニヤシャ=クンでなくとも誰か他の適正なパートナー資格者を同乗させていれば先の機体改修で新たに搭載した機体の両前腕部に装備する攻防一体の近接戦兵装センパイ・ドライヴ・トンファーを以って容易にカイジュウを倒すことができたはずなのに……!」

「自分を責めないで、トキヨシ=センパイ……」私は心からの優しさを込めてトキヨシ=センパイに返信した。「いつもセンパイたちに頼ってばかりで単独操縦のスキルを上げられなかった私が悪いの。私がもっと強ければ、こんなことには……」

 その言葉を聞いたトキヨシ=センパイは作戦指令室で人目もはばからず涙を流し、啜り泣いた。司令モニタの光を反射するセルフレーム眼鏡の下から流れ落ちる涙が彼の白衣を濡らした。

「……約束する。君を追って私もすぐにセプクするよ……」

 トキヨシ=センパイはそんな姿を私に見せたくなかったはずだ。私は繊細な思いやりの心から通信機のスイッチを切り、トキヨシ=センパイの声がコクピットに流れないようにした。そして深呼吸をしてから、私が最期に見る日本の光景を目に焼き付けた。青空が広がり桜が満開の、日本の春の中でも最高の週末。カイジュウが出現するまでは、ブクロの街にいくつもあるスターバックスのどれもが微笑む市民で満席だった。今では市民の避難も完了し、スターバックスもあらかた破壊されつくしたブクロの街は静寂に支配されている。

 カガイシャは残忍に目を光らせながら嘲るように私のアイアンドレスを眺めている。アイアンドレスをあと一撃で破壊できる今、奴は私をいたぶりもてあそんで殺す過程をゆっくりと楽しんでいるのだ。だけど私は決して恐怖にはくじけまいと心に誓った。私は全力を尽くした。高貴なサムライの家系であるオニヤシャ=センパイもきっと私を褒めてくれるだろう。そしてついに、カガイシャが私にとどめを刺すために一歩踏み出した。私は敵カイジュウが最後の一撃を繰り出す瞬間に相打ちで敵を倒すためセンパイ・ドライヴ・ジェネレータの暴走自爆ボタンに指を置き、覚悟を決めて一人、別れの言葉をつぶやいた。

「サヨナラ、センパイ……」

 そして両眼を閉じようとした、その時。

 アイアンドレスとカガイシャの間のほぼ中間地点、地面からおよそ20メートルほどの高さの空中に突然、空間の裂け目としかいいようがない、見たことのない異常な何かが出現した。カガイシャは驚愕したかのように足を止めた。その裂け目の虚空から閃光とともに何かが地面に落下した。

 突然の出来事に私も驚いたけど、普段の厳しい訓練とこれまでの数々の過酷な戦いで培われた冷静さを発揮した私はすぐに落下地点の映像をモニタにズーム表示した。裂け目が入ったアスファルトの上にいるのは、膝をついて着地したパーカー姿の青年と、その青年に抱きかかえられたオレンジ色の髪の少女。その隣には全身メタリックなピンク色の服を着た謎の人物が逆さに落下して頭を地中に突っ込んでいる。私はすぐさま司令部との通信を復活させた。

「司令部! 応答してください! 緊急事態です!」そしてコクピットハッチを開いて身を乗り出し外部スピーカー音声で地表に呼びかけた。「そこの民間人! 危険です! 今すぐ退避してください! トワイライト・オニ機関の回収ヘリを向かわせます!」

 抱えていた少女を地面に降ろしたパーカー姿の青年は立ち上がって、繊細な黒い機体のアイアンドレスとそのコクピットの私を、次にカガイシャを順に見上げた。オレンジ髪の少女も目を輝かせてカガイシャを見上げて指さした。

「カイジュウです!」

 さすがの私もぽかんとして見守る中、ピンクの服を着た人物が地面に両手両ひざをついて力を込めてアスファルトから頭を引き抜いた。その顔面は全体が滑らかな金属の仮面で覆われている。ピンク色の怪人は立ち上がりながら周囲を見渡してつぶやいた。

「まずいぞ……まずいだろこれ……」

 だが怪人は、突然我に返ったようにあさっての方向に振り向いて、両手を頭の横で振りながら無人の空間に陽気に呼びかけた。

「やあ! 俺はザ・ヴァーティゴだ!」

 そしてそのまま無人の空間に向かって、せわしなくジェスチャーを繰り出しながら意味不明の一人語りをつづけた。

「GRRRRR……」とカガイシャが威嚇の唸りを上げる。ピンクの怪人は慌てて一人語りを中断して私に叫んだ。

「ちょっとこいつ預かってて!」

 私が答える間もなくピンクの怪人はオレンジ髪の少女を抱えて空中に放り投げた。直立不動姿勢で私に向かって飛んできた少女は放物線の頂点でくるりと回転してコクピットハッチに着地した。世界のどこかの民族衣装のような変わった服装の少女は私に微笑みながら私に名乗った。

「お邪魔します。わたしはコトブキといいます」

 コトブキと名乗った少女は感激した様子でコクピット内をきょろきょろ眺めた。「すごいですね!」そして私の背後の空席になっている操縦席を指さした。「ここに座っていいですか?」

 地表ではパーカー姿の青年がピンクの怪人に向かって苦々しい表情で口を開いた。

「ザ・ヴァーティゴ=サンと言ったな」そして顎先で周囲を指し示して問い質した。「これはどういうことだ?」

 その時、司令部のトキヨシ=センパイがアイアンドレスの外部スピーカーを通じて地表に呼びかけた。

「モシモシ! 私はトワイライト・オニ機関の主任研究員、トキヨシだ! まだ22歳だが東京大学の機械工学博士号も史上最年少で取得している! 君たちは何者だ!? 一体どこから来たんだ!?」

 怪人がアイアンドレスを見上げて怒鳴り返した。

「それって今聞く必要ある!?」

 パーカー姿の青年はわずかに顔をしかめ軽くため息をついて頭を振り、再びカイジュウを見上げて睨んだ。カガイシャも輝きを増した邪悪な眼球で睨み返し、醜い咢を開いた。

「アブナイ!」私は思わず日本語で叫びながら咄嗟にアイアンドレスの右手を前方に伸ばして地表の青年を守ろうとした。だけど私の単独操縦のスピードでは間に合わなかった。カガイシャの吐き出した火球はアイアンドレスの指先をすり抜けて地表に命中した。守れなかった……私は無念の思いで強く目を閉じたが、この悲劇に心を折られることなく強い意志でカイジュウへの怒りを新たにし、目を開いた。そして驚愕した。

 地表から20メートルほどの高さで前方に伸ばされたアイアンドレスの右手の上に、いつの間にかあの青年が立っていた。遅れて青年の全身が燃え上がった……そして次の瞬間その炎が消え、青年は乾いた血痕を思わせる不吉な赤黒い色の服に全身を包んでいた。

 コクピットに背を向けたまま、青年はカイジュウに向かって両手を合わせ、名乗った。

「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」

 私はまるで雷に打たれたように動けないまま、開かれたコクピットハッチの先に展開する光景を見守っていた。カガイシャもまた、想定外の事態に混乱している様子だった。「ニンジャスレイヤー」はこの危険の中、カイジュウに向かって挨拶したのだ! その姿は礼儀正しく誇り高い日本人の姿を象徴するかのようだった。地表に残っていたピンクの怪人は、頭部をカガイシャの火球の熱で焼かれて巨大アフロヘアになりつつも、それを気にすることなく呆れた様子で「ニンジャスレイヤー」に怒鳴った。

「普通そいつに挨拶するかな!?」

 ニンジャスレイヤーは怪人を無視してコクピットへと振り返った。その鼻から下は、カイジュウにも劣らぬほどの邪悪さを感じさせるフォントの「忍」「殺」の漢字が刻まれたくろがねの面頬で覆われていた。ニンジャスレイヤーは私に質問した。

「サツガイを知っているか?」

 その問いに私は再度の驚愕に打たれ、叫んだ。

「あなたは誰なの!? あなたはサツガイの何を知っているの!?」




第2048話 愛と宿命のNINJA



 私の答えを聞いたニンジャスレイヤーは目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻した。「詳しい話は後だ」そして肩越しに親指でカガイシャを指さして言った。「あいつに勝てないのか?」

 私はたとえ一瞬とはいえ、絶句した。日本の最先端科学技術の結晶でありカイジュウに立ち向かう人類最後の希望であるこのアイアンドレスを、「ニンジャスレイヤー」はまるで見下しているかのようだった。私は屈辱に身を震わせながらも気丈に叫び返した。

「あなたに何が分かるの!? 操縦パートナーのオニヤシャ=センパイが修学旅行のために東京を留守にしていても、ウンメイテキ・ジーンを持つ者としての運命が私にカイジュウとの闘いを命じ……」

「もういい。実際分からないが分かったことにする」

 ニンジャスレイヤーは再びカガイシャに向き直った。と、次の瞬間、この世のものとは思えないシャウトが響き渡り、アイアンドレスの機体ごと私をビリビリと振動させた。

「イヤーッ!」

 そしてニンジャスレイヤーの姿が消えた。私は思わず開いたままのコクピットハッチから身を乗り出した。すると突然、カガイシャが弾かれたかのように上半身をのけぞらせた。私がカガイシャの頭部に注目した視線の先で、まるでブルース・リーのように鋭いジャンプキックをカガイシャに食らわせた姿勢のまま、ニンジャスレイヤーが空中を飛んでいた。キックが命中した部分から球形の衝撃波が広がり、コンマ1秒後にアイアンドレスと私を揺さぶった。同時にカガイシャの悲鳴が轟いた。

「グワーッ!」

 ジャンプキックの勢いのまま破壊されたビルの屋上に着地したニンジャスレイヤーは、すぐさま再びシャウトとともにカガイシャの頭部目掛け飛びかかった。

「イヤーッ!」

 その右腕から炎のロープのようなものが伸び、カガイシャの首に巻き付いた。再びアスファルトに降り立ったニンジャスレイヤーは、そのまま右手のロープを引いた。カガイシャの体躯は、スピード特化のために他のカイジュウに比べるととてもひょろ長いが、それでも生身の人間とは比べ物にはならないパワーを持っているのは当たり前だ。なのに、カガイシャは首に巻き付いたロープから逃れることができず、苦悶の叫びを上げた!

「グワーッ!」

 地上のニンジャスレイヤーの背には太い縄めいた筋肉が盛り上がり、巨大なカイジュウを地面に引き倒そうとしていた。そして、その黒い瞳にギラリと赤い輝きが走った次の瞬間、ニンジャスレイヤーは死神のような怒号を上げた!

「Wasshoi!」

 そしてついに、カガイシャが轟音を立ててうつぶせに地面に倒れる! ぼんやりとした赤い光を残したままの目でニンジャスレイヤーが私に鋭い視線を送り、小さく頷いた。その横では、さっき無人の空間に向かって確か「ザ・ヴァーティゴ」と名乗ったピンクの怪人が、携帯端末のようなものを持ってタッチスクリーンをせわしなく操作していた。私の後ろにいた少女が叫んだ。

「今です! やっちまえ!」

 私はその声で我に返り、咄嗟にアイアンドレスを操作した。アイアンドレスの繊細なアームがセンパイ・ドライヴのパワーを充填した二本のカタナをアイアンドレスの両脛から引き抜いた。アイアンドレスは二本のカタナを逆手で持ったまま、素早く冷静にカガイシャの両腕を切り落とし、そして持ち替えたカタナをクロスさせて構え、振り抜いた。その刃は過たずカガイシャの頭部を切断した。コトブキ=チャンはこぶしを突き上げて叫んた。

「達人!」

 地表で端末を操作していたザ・ヴァーティゴは自分のすぐ横を通り過ぎた巨大な刃に腰を抜かし、頭上に向かって叫んだ。

「急になにするんだよ! 攻撃するときは教えてよ! シャウトとかで!」

 そのとき、カガイシャの無残な切断面からものすごい勢いで大量の血液が噴出し始めた。ニンジャスレイヤーはぬかりなくジャンプしてアイアンドレスのコクピットハッチに着地した。噴出はとどまることを知らず、大量の血液が破壊されたブクロの街路を洗い流した。再び携帯端末を操作していたザ・ヴァーティゴが気づいた時には街路の血液は腰の高さにまで達していた。手遅れになったザ・ヴァーティゴは大量の血液に流されながら絶叫した。

「なんだよこれ! こういうゴアを大量に出すみたいなやつって、いい加減古くない!? こんなのに頼ってたらそのうち飽きら……」

 やがてその声はザ・ヴァーティゴの姿とともに洗い流され、消えて行った。

 だけど私にはそんなことはどうでもよかった。戦闘の興奮から我に返った私の脳裏には、ニンジャスレイヤー=サンの瞳に走ったあの赤い輝きが焼き付いていた。それは、私がポートランドで暮らしていたときにクイーンビーたちからいたぶられる原因となった、私のジェットブラックの瞳に時折走る輝きとうり二つだった。宿命の予感を感じ取った私は、私の繊細な心が震えることを抑えられなかった…… 


   ◆


 カワサキ沖に停泊するアビスマル・フリートの母艦にVTOL機で回収されたアイアンドレスと共に私が帰還したのは二時間後だった。そして今、シャワーを浴びて美しいパイロットスーツから可愛らしい普段着に着替えた私は、母艦の応接室でトキヨシ=センパイと並んでソファーに座り、あの謎の人物たちと対面していた(どこかに流されていったザ・ヴァーティゴという怪人はどうでもいい存在に見えたけど、ニンジャスレイヤー=サンやコトブキ=チャンに頼まれて捜索し一緒に連れ帰ることになった。そのせいで帰還がかなり遅れた)。

 向かいのソファーの三人のうち、中央に座るパーカー姿のニンジャスレイヤー=サンは失望の表情を隠そうともせずにむっつりと押し黙っている。さきほどこの応接室に入ったとたんに開口一番、サツガイについて質問したニンジャスレイヤー=サンだが、トキヨシ=センパイの説明を受けてすぐさま、「サツガイ」が、名前が偶然一致しているだけの自分が探している「サツガイ」とは無関係な存在だと気付いたのだ。これを読んでいる人のために説明すると、サツガイとは、これまでに唯一アイアンドレスを完全敗北に追い込んだアポカリプス級カイジュウで、そのスピードとパワーはそれまでのアポカリプス級カイジュウをはるかに上回り、敗北を喫した私とオニヤシャ=センパイは緊急脱出、その時完成間近だった新型アイアンドレスである「ジュウ・ニ・ヒトエ改」を緊急輸送してもらい、やっとのことで富士山にサツガイを追い返すことに成功したのだ。ちなみに、サツガイを倒せなかったことで新型アイアンドレス開発計画は大幅な見直しを迫られ、幾度かの改良を経た現在の機体は「ジュウ・ニ・ヒトエ・カサネ・スペシャル・トクシュ・シンガタ・ジッケンキ改二型」と呼ばれている。だけど、サツガイも次に出現する時にはカイジュウ・マインドの進化の影響を受けて大幅に強化されているはずだ。次にサツガイが出現したときに倒せなければ、人類の滅亡は避けられない。サツガイ対策はトワイライト・オニ機関の目下の最優先課題だ。

 ニンジャスレイヤー=サンが左隣に座るザ・ヴァーティゴに向かって再び口を開いた。

「もうここには用はない。あんたが原因なんだろう。さっさと何とかしてくれ」

 慌ててトキヨシ=センパイが口を挟んだ。

「待ってくれ! 君たちの、というよりニンジャスレイヤー=サンの能力には驚くべきものがある。君たちがここに滞在する間だけでも、我々トワイライト・オニ機関に協力してくれないか」

「断る」ニンジャスレイヤー=サンはにべもなく拒否した。「おれも暇じゃない。茶番はもう十分だ」それから少し考えて、付け加えた。「それと、おれの名前はマスラダだ」そう言ってから、高級な応接用の日本茶を啜った。

 それを見たザ・ヴァーティゴという怪人は、ピンクの衣装と仮面をつけたまま自分の茶碗を持ち上げて、しばらく首をひねって茶碗をためつすがめつしてから、結局、懐からストローを取り出して顎先から仮面の下にストローを差し込み、日本茶を吸った。着替えを入れたトランクをなくしたということでトワイライト・オニ機関の女性オペレータの制服を借りて着ているコトブキ=チャンが笑顔で付け加えた。

「フルネームはマスラダ・カイです」

「マスラダ=センパイ……」

 私は思わずつぶやきを漏らしてしまった。マスラダ=センパイがなぜか聞きとがめた。

「おれがいつからあんたのセンパイになった?」

 私は隣のトキヨシ=センパイと顔を見合わせた。トキヨシ=センパイは苦笑してマスラダ=センパイに逆質問した。

「私の能力を試しているつもりかな? 君のその驚異的な、カイジュウをも打ち倒すパワーを、センパイ・ドライヴ理論以外の何で説明できるんだい?」

「わたしには分かります」コトブキ=チャンがマスラダ=センパイに耳打ちした。「あの巨大ロボのコックピットには、センパイについてのいろんなメーターや表示がありました。だからたぶん、センパイは空手のようなものですよ」

 私はまたトキヨシ=センパイの顔を見た。困惑の表情でトキヨシ=センパイが再び質問した。

「すまない。センパイと空手に何の関係があるんだ?」

 気まずい沈黙が応接室を支配した。しばらく迷った末、トキヨシ=センパイは笑顔を浮かべて身を乗り出した。

「そうだ。それよりも、まだ君たちのことを何も聞いてなかったね。そろそろ、君たちが何者でどこから来たのか教えてくれないかな?」

「それって今聞く必要ある?」ザ・ヴァーティゴが不満げに言って私たちを見渡してから、自分で答えた。「いや、あるよね」そしてトキヨシ=センパイに向かって人差し指を振り立てた。「グッドタイミングだ」

 ザ・ヴァーティゴはマスラダ=センパイとコトブキ=チャンに目配せをし、私たちに言った。

「ちょっと失礼」

 それから二人に立ち上がるよう促し、謎の三人組は応接ソファから離れた部屋の隅でひそひそと会話した。だけど、彼らの会話内容は私の鋭い聴覚には全て筒抜けだった。私とオニヤシャ=センパイとの仲を引き裂き私を我が物にしようとしつこくつけねらっている、強大なイルカ・ヴァンパイア一族の末裔、コウキ・イチゾク・イルカの卑劣な誘惑の罠にかかった私は、もう既に12回も彼の血を飲むことを強いられていた。あとわずか1回でも彼の血を飲んでしまうと、私は真のヴァンパイアへと堕落し、恐るべきパワーとひきかえに彼とケッコンしなければならない運命にある。その破滅の瀬戸際にある私の知覚は、ヴァンパイアそのものには及ばなくても常人をはるかに凌駕していたのだ。謎の三人組は小声で謎の会話を行った。

「こんなこと言っても無理だとわかってるけどさ、とにかく俺のことを信用して、俺の指示に従ってくれ」

「その前にこの状況を説明しろ」

「いや、だからこのクソッタレなシチュエーションの原因が俺だってことは認めるよ。謝る。だけど、説明できない理由があるんだ。危険なんだ」

「説、明、しろ」

「……分かった。可能な範囲で説明する。だけど、これだけは約束してくれ。お願いだから俺の説明を、絶対、深く考えるな。ニンジャスレイヤー=サンたちにも、あの人たちにとっても、本当に危険なんだ」

「さっさと始めろ」

「……いいか、この状況は次……じゃなくてコトダマ空間に関わりがあるもので、その秘密は、誰も知っちゃいけないことなんだ。ニンジャスレイヤー=サンたちみたいにウキハシ・ポータルをやたらと使ってたりすると、稀にだけどこういう事故は起こる」

「何故事故が起こった」

「それは……正直なところ、俺にもほとんど分からないんだ。星辰とかのもろもろの影響で衝突事故が起こったってことくらいしか」

「ふざけるな」

「頼むから怒らないでくれよ! な? それに、事故の原因は分からなくても、こういう時の対処方法なら俺にはちゃんとわかってる。詳しいからな」

「……どうしろというんだ」

「とにかく、こう考えてくれ。ここはコトダマ空間の中でも妙にリアルで法則が強固な空間だ。そこから現実世界に戻るには、夢の中から抜け出すようなことが必要なんだ。そのためには」

「どうしたら?」

「……然るべき時を待つ必要がある」

「……」

「だから怒るなって! もうこうなったら、ジタバタしても始まらないし、無駄に足掻くのはかえって逆効果だ。このシチュエーションというか流れに合わせて、然るべき終わりのタイミングってのを待つんだ。いいか、流れに逆らったり自分たちのルールを通そうとするのは、本当に危険で、コトダマの……夢の世界のほうが俺たちを取り込んで変容する危険があるんだ。そうなったら」

「……」

「……もちろん、帰還は無理だ」

「質問です。夢の世界で運命の人に出会ったらどうするんですか? わたしは、運命の人と別れて帰還するのも、夢の世界に取り残されるのも、どっちも嫌です」

「そんなこと俺も知らないよ! とにかくだ、流れに逆らうな。それだけは絶対守ってくれ。実際、俺が見たところじゃ、もうヤバい変容の兆候があらわれてるんだ。それと、あの人たちとの質疑応答は俺が仕切る。いいな?」

「……いいだろう」

「決まりだ。ならとっとと始めるぞ」

 謎の三人組は再びソファに座った。ザ・ヴァーティゴが陽気に話しかけてきた。

「すっかり待たせちゃったね。それじゃ、アスク・ミー・エニシン!」

「まずは、君たちのプロフィールを教えてくれるかい?」

「お安い御用さ! 俺たちはカイジュウ対策のために設立された秘密機関から派遣された生体兵器にしてエージェントの、通称『NINJA』だ。『NINJA』は、もっとこう、長い正式名称の頭文字をとったものなんだけど、機密情報だからそこは秘密ってことで」

「待ってくれ。我々トワイライト・オニ機関以外にそんな組織があるとは初耳だ」

「それは……無理もないさ! 俺たちはその、合衆国? の極秘エージェントだからな! 日本じゃトップクラスの高官しか知らないはずだよ。多分そっちの組織でも知ってるやつはいるけど、あんたたちには黙ってるんだよ」

「そうなのか! 合衆国がついに、カイジュウとの戦いに本腰を入れてくれるのか……!」

「けど黙っててね。合衆国国内でもまだ秘密なんだから。こういう組織ができるたびにCIAだのなんだのってのが縄張りやら予算やらで口を挟もうとしてくるんでめんどくさいんだ」

「分かった。そこは信用してくれていい。だけど、今日みたいに派手に動き回っても大丈夫なのかい?」

「いや……それもなんだけど……そう、あれだ。俺たちは本来極秘の調査任務で来日してあのロボの大活躍を観測しに来ただけなんだけど、予想外にあんたたちが苦戦してたんで、見てられなくってさ、上司の指示に反して介入しちまったんだ。俺たちにしか使えない極秘のテレポート装置を使ってね」

「そうだったのか……それは感謝してもしきれないよ」

「礼はいいって! それよりもさ、俺たちも上司にバレたら始末書じゃすまないから、そっちの記録とか報告書のたぐいなんかでは、絶対に俺たちのことを書かなかったり、揉み消したりしてくれよ。この部屋の外じゃ、絶対に、口外しちゃだめだ」

「それも大丈夫だ」

「コトブキ=チャンもNINJAなの?」

「ああ、そいつは……これも極秘なんだけど、コトブキは超高性能AIを搭載したNINJA支援オペレータロボなんだ」

「ピコピコピコピコ……演算結果出ました。これは……スゴイです!」

「その仮面はつけたままなのかい? マスラダ=サンは素顔を見せても構わないようだが」

「そいつは……実はすごく悲しいストーリーなんだ。俺自身が志願したとはいえ、新しい人体強化血清の実験台になった俺は、実験成功とひきかえに副作用の影響でとっても醜い姿になっちまって、本名もはく奪されちゃったのさ」

「それはすまないことを訊いた。許してくれ……最後に一つ」

「なんだい?」

「君たちの機関の名称くらいは教えてもらえないかな」

「いや、それはさすがに……」

「……ネオサイタマだ」

 それまで黙っていたマスラダ=センパイが口を開いた。ザ・ヴァーティゴがマスラダ=センパイに囁いた。

「勝手にそういうのは禁止だって言ったろ!」

 マスラダ=センパイが囁き返した。

「あんたが『機関』の名前を考えてなかったのがバレバレだ」

「それは……」ザ・ヴァーティゴは宙を睨んだ後、付け加えた。「そのとおり」

「あれだけペラペラ喋っておいて組織の名前を答えないなら、かえって疑われる」

「それはそうだけどさ」

 その時、何の前触れもなく、トキヨシ=センパイが身をかがめてびくびくと痙攣を始めた。突然の出来事に私はすっかりパニックになってトキヨシ=センパイに叫んだ。

「センパイ! どうしたんですか!?」そして手首のスマート通信装置を素早く起動した。「救護班! 救護班! 緊急事態です!」

 ところがトキヨシ=センパイは私の手首を掴んだ。そして「ぶはっ」と噴き出して、狂ったような爆笑を始めた。

「ぶはははははっははは! ネオ、サイタマって……! あはははははは!」

 初めて目撃するトキヨシ=センパイの異常事態に混乱しつつも、私はトキヨシ=センパイの手を手首から引きはがそうと必死になりながら通信を試み続けた。1分ほど経って、ようやく笑いをおさえたトキヨシ=センパイがしゃっくりのような息をつきながら私に話しかけた。

「ゴメン、もう大丈夫だ」

「センパイ! 本当に大丈夫ですか? 一体何がそんなにおかしかったんですか?」

 マスラダ=センパイたち三人組も妙な表情を浮かべてトキヨシ=センパイを見ていた。

「いや、それが……どうやって説明すればいいのか……君たちは皆、日本語が大変上手だけど、やっぱりこういった話は、日本語のネイティブスピーカーに等しい語力がないと、その微妙なニュアンスといったものが……」

 そこでトキヨシ=センパイは思い出し笑いの発作に襲われ、再び噴き出した。トキヨシ=センパイは喘ぎながら辛うじてマスラダ=センパイたちに謝罪した。

「許してほしい……君たちを侮辱するつもりはなかったんだ。ただその、語呂とかそういうので、言葉の組み合わせが妙におかしく聞こえることがあるだろう? そういうのだったんだ」

「いや、別にそんなの気にすることないって」

 ザ・ヴァーティゴが寛大な様子を見せた。ようやく一息ついたトキヨシ=センパイはソファに座り直してマスラダ=センパイたちに落ち着いて話しかけた。

「その言葉に甘えて、失礼のついでに、もう一つだけお願いしてもいいだろうか」

「応えられるかどうかわかんないけど、とりあえず言ってみてよ」

 トキヨシ=センパイの眼鏡のレンズが光った。トキヨシ=センパイはいろいろな検査キットを収めた分厚いアタッシェケースをソファの後ろから取り出して蓋を開き、応接テーブルの上に置いた。そして、各種の測定結果を書き入れる用紙を挟んだクリップボードを膝に乗せた。

「なに、大したことじゃない。マスラダ=サンにいくつか検査をお願いしたいんだ」

「いや、それはさすがにね。俺たち、こう見えても機密だし……」

 ザ・ヴァーティゴが話し終わらないうちに、マスラダ・センパイがアタッシェケースの中から握力計を取り出し、ぐっと握りしめた。とたんに握力を示す針が5回転し、あっというまにバチンと音を立てて丸い盤面とばねと針がはじけ飛んだ。ザ・ヴァーティゴがトキヨシ=センパイに怒鳴った。

「ほら見ろ! 検査結果のところは全部『測定不能』って埋めとけ!」

 それから我に返ってトキヨシ=センパイに謝った。

「いやごめん。こいつを怒らせたら危ないって言いたかったんだ」そしてマスラダ=センパイを見てから続けた。「今のはこいつが上機嫌だって証拠だよ。こいつが怒ったら問答無用で燃やしちゃうからな」それから立ち上がり、パンと手のひらを打ち鳴らした。「じゃ、今日はここまで!」

 トキヨシ=センパイはしばし無言で震えていた。他人が見ればトキヨシ=センパイが怖気づいたと思うだろう。だけど私には分かる。テンサイのトキヨシ=センパイは、その優れた頭脳ゆえに知的好奇心に突き動かされて、半ば恍惚として震えているのだ。ドアに向かったザ・ヴァーティゴが私たちに振り返った。

「すっかり腹へっちゃったよ。メシ食わせてもらえるよね?」

 マスラダ=センパイも遅れて立ち上がりながら、言った。

「スシはあるか?」


   ◆


 こうして激動の一日が終わった。私が心ひそかに新たなセンパイとの出会いに胸をときめかせながら眠りにつくころ、私の知らないところで運命の歯車は急速に回転していた。

 その日、過酷な修学旅行の一日を終えたオニヤシャ=センパイは、京都の最高級ホテルのスイートルームで入浴を終え、バスローブを着てソファで寛いでいた。そこにドアをノックする者があった。立ち上がりドアを開けたオニヤシャ=センパイは、訪問者の姿を認めてわずかに表情を曇らせた。

「君か……」

 訪問者は許可を待たずに室内に足を踏み入れ、高級酒をとりそろえたバーカウンターに向かった。そしてグラスにブランデーを注ぎ、一口飲んでから、グラスを手にしたままオニヤシャ=センパイに向き直った。

「君も飲むかい?」

「君と違って僕が未成年だということを忘れては困る」

 その返答を聞いた黒づくめの訪問者は、優雅であると同時に見る者を戦慄させる微笑みを浮かべた。見事な黒い総髪のオニヤシャ=センパイとは好対照の訪問者の真っ白な長髪がシャンデリアに照らされて、薄青く光を反射した。

「僕がヴァンパイアだからといって、僕が年齢詐称をしてるなんて決めつけないでほしいね」

「何の用で来た?」

 この訪問者の邪悪なる本性を知るオニヤシャ=センパイは、一切の油断を見せぬサムライの態度で応じた。訪問者、すなわちコウキ・イチゾク・イルカは余裕の笑みで答えた。

「なに、ライバルである君に対する礼を失しないよう、お別れの挨拶をしようと思っただけだ」

「……つまり、君なのか」

「当然そうだ。僕はこれから、トワイライト・オニ機関の緊急帰還命令を受けて京都を発ち、アビスマル・フリートに向かう。そして僕は、強大なカイジュウとの闘いの中でエミリー=チャンの命を守るため、やむなく彼女に僕の血液を啜らせることになるだろう。」

「……そうして、僕がエミリー=チャンと離れ離れになっているうちに彼女を奪い取ることを宣言するのが、君の言う礼儀なのか?」

「誤解してもらっては困る」コウキは前髪をかきあげた。「オニヤシャ・タケシ=クン。君の重圧は僕も理解しているつもりだ。カイジュウに立ち向かうための決戦兵器『ジュウ・ニ・ヒトエ』を製造するオニヤシャ・コーポの御曹司でありトップパイロットでもある君は、カイジュウとの闘いを完遂するため、トワイライト・オニ機関の組織維持のための活動から逃れられない。君にとっての修学旅行は、京都の政財界からの支援をまとめ上げ、その支持をより強固とすることを目的とした、関係各所への過酷な挨拶回りの日々だ」

 そう言って、コウキは勝ち誇って見せた。

「無論、生徒会長でもある君が、エミリー=チャンへの思いゆえにその使命を放擲し、生徒たちを見捨てて一人修学旅行をキャンセルしたとなれば、たちどころに京都政財界からの尊敬を失うだろう」

「何が言いたい」

「僕は君のライバルとして礼を失することがないと言ったはずだ。誤解を捨てて、僕のアドバイスを聞き給え」

「アドバイスだと?」

「そうだ。君は僕のことを卑劣と決めつけている。だが、君の今の苦境は誰にも強制されたものではないということを、君は意図的に無視している」

 オニヤシャ=センパイともあろう人が言葉に詰まった。コウキは笑みを消してオニヤシャ=センパイを見た。

「トップパイロットである君が今すぐアビスマル・フリートに向かうのなら、僕は向こうでは用なしだ。なのに君がそうしないのは、彼女への思いよりも組織の維持を優先しているからにほかならない」そして、コウキは決定的な一言を放った。「君の言葉通り、何よりも彼女が大切なら、決断は容易なはずだ」

 オニヤシャ=センパイは沈黙を強いられた。オニヤシャ=センパイの私への思いと公的な使命との板挟み状態を、コウキが容赦なく指摘したからだ。コウキは少し寂しげな表情を浮かべた。

「つまり早ければ明日にも、どちらが彼女にふさわしいか、誰の目にも明らかになる。サツガイ再出現が迫っているという報告は君も聞いたはずだ」

 コウキは身を翻してドアに向かった。

「残された時間は少ないが、君の決断はまだ間に合う。よく考えることだ」

 コウキは静かに立ち去った。スイートルームには、無言でたたずむオニヤシャ=センパイが残された。


  ◆


 そのころ、母艦の科学実験室で一人残業していたトキヨシ=センパイは、測定結果を示すモニタに目を釘付けにされていた。

「信じられない……この異常ともいえるセンパイ・エレメンタルの数値もさることながら、まさか彼が……マスラダ・カイがウンメイテキ・ジーンの持ち主だったとは……!」

 これを読む人に説明が必要だろう。さきほどの応接室のミーティングが終わったのち、彼はマスラダ=センパイが口をつけた茶碗を密かにラボに運び込み、僅かながらも茶碗に付着していたマスラダ=センパイの生体サンプルを採取することに成功していたのだ(ザ・ヴァーティゴが使用したストローはどこかに消えていたが、そんなものがあっても、ザ・ヴァーティゴの詳しい検査をすることは無意味だっただろう)。

 私たちの交錯する運命の臨界点は、もう目前に迫っていた。


   ◆


 そして夜が明けた。この日が運命の日であることも知らず、私は普段通りシブヤ・センパイ・ハイスクールに登校し、ポートランド時代には想像もつかなかった素晴らしい学校生活を送った。だがそれも午前中までだった。

 昼休みとなり、生徒たちがめいめいに工夫をこらした可愛らしいベントーの蓋を開けようとしたその時、構内にカイジュウ・アラートが響き渡った。5分後にはアビスマル・フリートに向かうための高速ヘリが校庭に着陸した。私はヘリに乗り込んで母艦に飛んだ。

 母艦の作戦指令室では、誰もが戦闘時用高カロリージェル食をパック容器から直接吸い込みながら巨大戦況モニタを見上げていた。ネオサイタマの三人も所在なく佇んでモニタを見つめている。私の到着に気付いたトキヨシ=センパイが大声で私を呼んだ。

「急いでくれ! とうとう恐れていた事態が発生したようだ」

「まさか、サツガイが!?」

「まだ確定していないが、カイジュウ・パルスの測定値から見て、ほぼ間違いないだろう。スクランブルだ。作戦説明は、出撃準備中にコクピットへの通信で行う」

「ハイ!」

 私は敬礼して踵を返し、格納庫の更衣室へと向かった。午前中には全く予想していなかった事態の急変だが、美しいパイロットスーツに身を包むと、自然と心が落ち着き、覚悟が決まった。私は足早にアイアンドレスのコクピットへと向かった。

 だが、コクピットにたどり着いた私は信じられない光景を目にした。既に後部座席に座っていたコウキが私を見てほほ笑んだ。

「わかるかい? 今日が君と僕との、運命の日だ」

「コウキ=センパイ! なぜあなたが今ここに……」


   ◆


 だけど、本当の事態の急変は、私が立ち去った後の作戦指令室で今まさに起ころうとしていた。

 ネオサイタマの三人にトキヨシ=センパイが声をかけた。

「ここにいる以上は、君たちにも相応の働きをしてもらいたい。特にコトブキ=チャンはオペレータだったね? 機体直通の回線がある席を使ってくれ」

「いいんですか?」コトブキ=チャンは顔を輝かせて早速用意されたオペレータ席に座りヘッドセットを装着した。「一度やってみたかったんです」

 それを聞いたトキヨシ=センパイは妙な顔をした。それに気付きもせずにコトブキ=チャンはてきぱきとコンソールを操作し、真剣な表情になった。

「偵察機からの目標カイジュウの映像、出ます……今!」

 コトブキ=チャンが凛とした声でアナウンスしボタンを押すと、粒子の荒い、富士山の裾野を歩くカイジュウの映像が巨大戦況モニタに表示された。そのカイジュウの姿を目の当たりにした作戦指令室はどよめきに包まれた。トキヨシ=センパイは呆然として呟いた。

「あれが……カイジュウなのか?」

 そこに映し出されていたのは、巨大ながらも、まるでカイジュウとはかけ離れた姿の謎の存在だった。例えるならあたかも、フードとローブをまとった幽鬼。そしてその存在は、カイジュウ特有のぎこちなさを全く見せることなく、力強く富士山の裾野を踏みしめて歩を進めていた。と、その存在が歩みを止めた。皆が固唾をのんでモニタを見つめる中、その存在はしばし自分の手足を見下ろしていたが、やがて前を向いて、東京に向かって高速で駆けだした。

 今や作戦指令室はパニックに陥っていた。ザ・ヴァーティゴは呆然自失の状態から復帰すると、やみくもに喚き始めた。

「ヤバいヤバいヤバいヤバイ!」そしてマスラダ=センパイの襟首を掴んで言った。「これがどういうことか分かるか!?」

「多分……流れというやつか」

「それもだけど、あんたもあれを見て分かっただろ!? 俺の予想以上に世界の変容が進んじまってる! だから!」

 ザ・ヴァーティゴは真剣な口調でマスラダ=センパイに言い聞かせた。

「あんたは、あんたの役目を果たさないといけない」

「……そういう流れなのか?」

「そうだ!」

 トキヨシ=センパイが彼らの会話に気付いた。

「君たちは、もしかして、あの存在について、サツガイについて知っているのか?」

 マスラダ=センパイが振り返り、迷った末、首を縦に振った。トキヨシ=センパイはしばらく宙を睨んだのち、呟いた。

「これが運命というものだったのか……」そして視線をマスラダ=センパイに戻し、言った。「マスラダ=サン、君にアイアンドレスの操縦を頼みたい」

 マスラダ=センパイは困惑の表情でザ・ヴァーティゴを見た。ザ・ヴァーティゴは叫んだ。

「流れだ!」それから早口で付け加えた。「あれ見ただろ!? 世界を正常に戻して帰還したいんなら、あのサツガイだけはここでスレイしなきゃ! だろ!?」

 トキヨシ=センパイはマスラダ=センパイの迷いを断ち切るがごとくに重々しく言った。

「心配はない。君にもアイアンドレスの操縦は可能だ。それも、誰よりも見事に。私が保証する」

 マスラダ=センパイは顔をしかめてため息をついたけど、しばらく考えた後、トキヨシ=センパイに向かって決然と答えた。

「……どのみち、やるしかないんなら、やってもいいだろう」

「本当か!?」

「ああ」マスラダ=センパイは再びモニタのサツガイ映像に目を向けて宣言した。「殺す」そして振り返ってトキヨシ=センパイに訊ねた。「どこに行けばいい?」

「近くに格納庫直通のエレベータがある。案内しよう。ただパイロットスーツのサイズに合うものがあるか……」

「不要だ」

 マスラダ=センパイの全身が燃え上がって、あの恐るべき赤黒のNINJAスーツ姿になった。それを目撃した作戦指令室の全員が恐怖に呑まれて棒立ちになった。その光景を平然と無視して、マスラダ=センパイはトキヨシ=センパイを目でうながした。その時。

「待て」

 ザ・ヴァーティゴがマスラダ=センパイに声をかけた。首をめぐらせたマスラダ=センパイにザ・ヴァーティゴが続けて言った。

「絶対、生きて帰ってこいよ」

 マスラダ=センパイは呆れた様子で目線を上にあげた。ザ・ヴァーティゴが弁解した。

「いや、だから流れが大事だって言ってるだろ! 俺にこんな説明させるなよ、もう!」

 コトブキ=チャンが論評した。

「今のダイアログはありきたりすぎてダサいです」

「一周回って逆に新鮮って思わない!?」

「分かった。もう行くぞ」

 マスラダ=センパイは指令室を後にした。


  ◆


 アイアンドレスのコクピットに入れないまま、コウキといつもの啜る啜らないの押し問答をしていた私の背後に誰かが来たのに気づいて、私は振り返った。そこに立っていたのは、あのNINJAスーツ姿のマスラダ=センパイだった。マスラダ=センパイはコクピットをのぞき込み、そこにコウキがいるのを見て、殺伐とした声で言った。

「そこをどけ」

「何だと? 君は自分が話しかけている相手がほかでもない、コウキ・イチゾク・イル……」

 マスラダ=センパイはコウキを完全に無視して私を脇に押しのけた。そして私からは見えなくなったコクピット内から激しい打撃の音が一発響き、コクピットから顔面を血だらけにしたコウキが放り出された。

 私が恐る恐るコクピット内をのぞき込むと、もうマスラダ=センパイが後部座席に座っていた。マスラダ=センパイは私を見て言った。

「さっさとしろ。乗り込め」

 私も急いで自分の座席に座り、操縦桿を握った。その時、コクピット前に駆けつけてきた人がいた。オニヤシャ=センパイだった。オニヤシャ=センパイは息を切らしつつもコクピットの私を見てまくし立てた。

「間に合ってよかった! ずっと君に言いたいことを言えなかった。だけど僕はもう決心した。あのコウキに君を委ねるなんて……」

 私は仕方なくオニヤシャ=センパイの足元を指さした。ようやく、オニヤシャ=センパイも足元に気絶状態で無様に転がるコウキに気付いた。オニヤシャ=センパイは呆気に取られてコウキを見下ろし、そして慌ててコクピットの奥までのぞき込んだ。

「待ってくれ! ならば、そこにいる君は一体誰なんだ!?」

「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」

 発進シークエンスが開始され、コクピットのハッチが自動閉鎖された。


   ◆


 操縦席のメインモニタに発進シークエンスの赤色灯に照らされる格納庫内が映し出され、トキヨシ=センパイの声がスピーカーから流れた。

「今回の目標、アポカリプス級カイジュウ『サツガイ』は今までに類を見ないほどの高速で東京に接近している。残念ながら都内侵入前の阻止は不可能だ。君たちは、今回特別に試作段階の電磁カタパルトを使用してもらい、高速射出ののち飛行、都内に侵入したサツガイを後方からインターセプトするかたちとなる。作戦エリアはシブヤだ」

 コトブキ=チャンのヘッドセットを通じてザ・ヴァーティゴが通信に割り込んだ。

「モシモシ! 聞こえてるか!? 高速射出ってことは、相当に来てるぞ! 流れが!」

「それはいいとして、操縦方法のマニュアルか何かはないのか?」

 私は驚いて背後のセンパイを振り返った。センパイは動じる気配を全く見せない。

「あるなら出せ」

 私はセンパイの指示に従って手元のタッチパネルを操作し、後部座席のモニタに操作マニュアルを表示した。途端にセンパイはモニタを高速スワイプしながらマニュアルをものすごい速度で読み始めた。

「それで読めるんですか!?」

「ああ。ニン……いや、とにかく、そういう動体視力や洞察力だ」

 私は、今まで出会ったどのセンパイとも違う魅力に急速に惹かれつつある自分に気付いた。コトブキ=チャンの声がスピーカーから流れた。

「シグナル・オールグリーン! 間もなくカウントダウンです! 衝撃に備えてください!」

 アイアンドレスの機体は電磁カタパルト射出用の容器に密閉されメインモニタの光景は真っ暗になった。そして、アイアンドレスは容器ごとカタパルトの砲身に装填された。私は未知の衝撃に身構えた。センパイは首をコキコキ鳴らした。カウントダウンが開始された。

「5,4,3,2,1!」

 発射の瞬間、急激なGのあまり、私は気絶した。


   ◆


 私の意識が戻った時には、既にアイアンドレスは大空を高速で突っ切っていた。スピーカーからは『射出容器分離成功!』『飛行形態に移行』といったオペレータたちの声が次々と聞こえてくる。私はセンパイに振り返った。センパイは事もなさげに言った。

「あんたが寝てる間にやっておいた。もうそろそろだぞ」

 私のセンパイに対する信頼は完全に強固なものになった。センパイが私に質問した。

「だが、何でこんな面倒な二人乗りにしたんだ?」

「センパイ、ごめんなさい! そういうセンパイ・ドライヴの理論面には詳しくなくて……帰ってからトキヨシ=センパイに聞いてくれませんか?」

 センパイは鼻を鳴らして操縦桿を握る私の手の上にセンパイの手を重ねた。これまでの人生で触れたことが全くない、奇妙な「ちから」が私に流れ込むのを感じた。未知の感覚に私の背筋がぞくぞくした。トキヨシ=センパイの声が届いた。

「間もなく目標をロックオンする! できればこの一撃で決めてくれ!」

 私はアイアンドレスが背負う新開発のセンパイ・ドライヴ・ノダチを引き抜こうとしたが、センパイがそれを止めた。

「そういうのは邪魔だ」

「そんな……どうするつもりですか、センパイ!?」

 操縦席のメインモニタでは、目視可能距離に迫ったサツガイの背がどんどん大きくなってゆく。私の質問に答えず、センパイは操縦桿の手に力を込めてシャウトした。

「イヤーッ!」

 そして、アイアンドレスはサツガイの延髄に恐るべき超高速ドロップキックを命中させた。サツガイはビルをなぎ倒しながら前方に吹き飛んだ。攻撃命中時に発生した巨大な衝撃波で周囲のビルが球形に吹き飛び、がれきの雨が降った。

 作戦指令室のオペレータたちが一斉に歓声を上げた。アイアンドレスがこれほど強力な攻撃を決めた例はない。誰もがこの一撃でカイジュウを倒したと確信していた。私は満面の笑みでセンパイに振り返った。だけど、センパイの表情は険しかった。

「まだだ」センパイは私に厳しい視線を送った。「備えろ」

 センパイの言葉をにわかに信じられず、私はまだ微笑んだままメインモニタを確認した。そして戦慄した。がれきの中からあの幽鬼のような姿が再び立ち上がるところだった。センパイがアイアンドレスのアームをまっすぐ降ろし、機体上半身を前傾させた。そして外部スピーカーを通じて名乗った。

「ドーモ、サツガイ=サン。アイアンドレスです」

 そして……信じられないことに、サツガイがその名乗りに反応した。立ち上がってアイアンドレスとは逆方向を見回していたサツガイが振り返って、不明瞭な声を発した。

「……サツガイ……」

 作戦指令室は恐慌状態に陥った。トキヨシ=センパイが通信を通じて絶叫した。

「エミリー=チャン! 応答してくれ! そこで何が起こってるんだ!?」

「気にする必要はない」センパイが応答した。「こいつはここで殺す」

 正直に告白すれば、サツガイが立ち上がった時、私もパニックに陥りかけた。だけど、センパイの手から伝わってくるちからは、あっという間に私の不安を吹き飛ばし、ますます私を勇気づけた。センパイがアイアンドレスの両アームにチョップを構えさせて、言った。

「正直、おれはもううんざりだ。そろそろ巻いていくぞ」

 またザ・ヴァーティゴが通信に割り込んだ。

「流れだよな!」そして陽気に付け加えた。「じゃあ、お約束のあれ、いくぞ!」

 すると通信スピーカーから、私が聞いたことのない、激しいギターリフのイントロが大音量で流れ始めた。ザ・ヴァーティゴはボーカルに合わせて歌いだした。

「げっばっこんとらっく、いっくっびあぺいばー!」

 やがてコトブキ=チャンまで声を合わせて歌いだした。

「「ばきんぶらっ、たいむとぅだすちょーせるふぉー! ばきんぶらっ、たいむとぅだすちょーせるふぉー!」」

「歌詞を知っているのか?」

「ザ・ヴァーティゴ=サンが携帯端末に歌詞を表示してくれました」

 そしてコトブキ=チャンとザ・ヴァーティゴは歌い続けた。しびれるロックに乗せて、メインモニタに映るサツガイがこちらに高速で接近してきた。そして見たこともない恐るべき速度のパンチの連打をアイアンドレスに向けて放った。私は一瞬、死を覚悟した。しかし。

「イヤーッ!」

 センパイのシャウトとともにアイアンドレスのアームが信じられない高速で動き、サツガイが繰り出した全てのパンチをそらせ、弾き返した。そして、超高速の打撃の応酬がアイアンドレスとサツガイとの間で果てしなく繰り返された。アイアンドレスが激しく動けば動くほど、私はセンパイから流れ込んでくるちからに酔った。

 やがて、アイアンドレスのスピードとパワーが敵を上回り始め……ついにはサツガイの両腕をジュージツの技のように捩じりあげた! 

 センパイは外部スピーカーでサツガイに告げた。

「足掻いても無駄だ。流れで貴様を殺す。ニ……カイジュウ、殺すべし」

 そしてシャウトとともに更なる連打を叩き込んだ!

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」

 もはやアイアンドレスの怒涛の攻撃を防御することができなくなったサツガイは、繰り返し苦悶の叫びを上げる!

「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」

 そしてアイアンドレスは渾身のボディへのアッパーをサツガイに叩き込む!

「イヤーッ!」

「グワーッ!」

 恐るべき威力の下からの打撃で、サツガイの巨体がが宙に浮きあがった。センパイのちからがひときわ激しく私に流れ込んだ。アイアンドレスの鋼のボディを自由に動かす外部の力とも、ヴァンパイアの暗い激情とも違う、私の体内から無限に新たなエネルギーを呼び起こす正の力が。

 コトブキ=チャンとザ・ヴァーティゴの合唱は静寂を感じさせるリフレインに入っていた。

「「おーらろーん……あいうぉーくぁーうぇー……」」

 そして、私の目とセンパイの目が呼応してギラリと赤く光った。私とセンパイは声を合わせてシャウトした。

「「Wasshoi!」」

 一瞬足を曲げて機体を沈みこませたアイアンドレスは、下半身のパワーを解き放ち、ジャンプしながらの真下からのキックをサツガイの頭部に食らわせた! きりもみ回転しながら空高く吹き飛ばされるサツガイ! アイアンドレスもキックの勢いで空中に舞い上がり、後方にくるりと一回転して、優雅に着地した。空中のサツガイが絶叫した。

「サヨナラ!」

 そしてサツガイは空中大爆発を起こし、跡形もなく消え去った。

 作戦指令室がどっと沸いた。トキヨシ=センパイが思わずザ・ヴァーティゴをハグした。ザ・ヴァーティゴはハグし返した。コクピット内の私は振り返り、目を潤ませてマスラダ=センパイを見た。私はもう、自分のこの思いを否定できなくなっていた。私の頭の片隅が、勝手にオニヤシャ=センパイやそのほかのセンパイへの謝罪の言葉をつらつらと考え始めた。通信スピーカーからコトブキ=チャンの無邪気な声が聞こえた。

「それで、次はどういう流れなんですか?」

 ザ・ヴァーティゴが我に返ってしばらく思案してから通信に割り込んだ。

「そりゃあれだろ。その、チューとかさ。ロマンスの時間だ!」

「まあ!」

 マスラダ=センパイが私の後方で鼻を鳴らした。私は再び振り返った。マスラダ=センパイはじっと私を見つめて、そして言った。

「おれの見る限り、到底そういう流れじゃない」

「そんな恥ずかしがる歳じゃないだろ? リラックスして、ばしっと決めちまえ!」

「悪いが、そういう流れじゃないんだ」

 私はその言葉に反論したくなった。だが口を開きかけた私をセンパイがオニのような目でひと睨みして、黙らせた。

 通信が沈黙した。マスラダ=センパイが通信機に向かって質問した。

「今、疑問が浮かんだんだが、もし、流れについての見解の相違が生まれたら、どうなるんだ?」

 返答はない……と思ったその時、再びパニック状態になったザ・ヴァーティゴの声がスピーカーから流れた。

「ヤバい! こっちじゃ始まっちまった! 早く帰ってこい!」

「何がだ」

「転移だよ! そっちじゃ何も起こってないのか!?」

 マスラダ=センパイはコックピット内を見回した。

「何も」

 ザ・ヴァーティゴは絶叫した。

「クソッ、もう時間がない! いいか、俺とコトブキは先に帰るけど、あとで何とかしてあんたを迎えに来るから、あきらめずに……」

 そこで通信の声が途切れた。マスラダ=センパイはしばし呆然とした表情を見せたが、すぐに立ち上がって通信機に怒鳴った。

「おい! どうした! そっちはどうなってる!」

 トキヨシ=センパイが通信に出た。

「あの二人かい? 急に時間が来たとかで、君より先に、例のテレポート装置で慌ただしく帰ってしまったよ。ともに勝利を祝いたかったのに、実に残念だ」

 マスラダ=センパイはしばし無言で項垂れてから、やおらコクピットの壁に拳を叩きつけた。

「でも、君は母艦に帰投した後、パーティーに出席するくらいの時間の余裕はあるよね? 楽しみにしているよ。オーヴァー」

 マスラダ=センパイは操縦席にへたり込んだ。でも私は、その姿を見て、誰も知らないマスラダ=センパイの意外な一面を目撃できたことに心から感謝した。

 これまでで最も危険な戦いを終えた私の胸は、この先マスラダ=センパイと送る日々への期待で高鳴る一方だった。



【第2048話 愛と宿命のNINJA】 終わり