部屋と衣替えと私

夏が終わった。びっくりするくらいあっさり終わった。「今年の夏はどこにも行けなかったな〜」「海もお祭りもできなかったね〜」と人前では言っているし、みんなも同じようなことを言っていると思う。でも私はあえて告白させていただきたい。

毎年そんなに行ってない。

なんなら「そんなに」も嘘である。思い返せば”夏に海”なんて最後にしたのは4年くらい前だし、お祭りだって夏に行くのは1年に1〜2回程度だ。別に行けなかったからといって嘆くほどのことでもない。それでも嘆いてしまうのはやっぱりこの世の中の空気だろうなと思う。なんでもこの感染症のせいにしたい。彼氏ができないのも、また太りだしたのも、職が決まらないっていうか面接がめんどくさくなっちゃうことも。申し訳ないけど、以下のこれもこの感染症のせいだ。

衣替えがなかなかできない。

あまりにもあっけなく終わった夏。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、9月の下旬あたりからめっきり秋めいた気温になった。となると、やってくるは衣替え。私はこの作業がたまらなくめんどくさい。服が多いのだ。本当に服が多い。私の身体は一つしかないはずなのに、どうしてこんなにたくさんTシャツや袖のないワンピースで溢れかえってるのか本当に理解に苦しむ。いつのまにこんなに増えた?夏はせいぜい2ヶ月程度だというのに、どう考えても12ヶ月分くらいの夏服がある。あぁめんどくさい。これからTシャツたちをコインランドリーにぶっこんで全て畳んで衣装ケースにいれるということ。ワンピースをクリーニングに出して屋上の小屋にあるクローゼットにぶちこむということ。なんで季節が変わったというだけでこんなに金と労力をかけなきゃいけないんだろう。
ここまで読んで、皆さんの言いたいことはなんとなくわかっている。「つべこべ言わずやれ」「それだけ服を買っている方が悪い」「ていうかどうぶつの森全然やってなくない?」「断捨離しろ」etc...

喝っっっっっっっっ!!!!!!!!

前半3つはわかる。しかしよく言われる「断捨離しろ」、これには言いたいことがある。それは、「断捨離しろ」と言われてできるような人間はそもそもそこまで物がないのではないかということだ。「もしかしたらこのあと使うかも…」がないのではないか。私はある。めちゃくちゃある。コンマリ?ときめき?くそくらえ!!!!!部屋にあるものは全部オレが守るっっっっ!!!!!!!

なんてうだうだ言ってる間にも時間は過ぎていく。「服を取り替える」という作業だけでもしなければ。
そう決意した私は、Tシャツを全て布団をいれるような大きい袋にぶちこみ、ワンピースはクリーニングに出すものとそうでないものに分けた。秋冬服を屋上の小屋のクローゼットから床の上にとりあえず降ろしていく。

…何人分?

びっくりした。私って秋冬服もこんなに持っていたのか。ありすぎる。ロングコート(ダディ)だけでも同じような型のものが6着くらいあるし、ショートジャケットは薄手厚手合わせておそらく10枚程度はある。シェアハウスでもしてんのか?2Kで???
それとも私が「多い」と感じているだけでこの量は一般的には普通なんだろうか。友人がほぼいない私には統計が取れない。疑問に思いながら2階分の階段を何往復もしてやっとこさ入れ替えることができた。私の部屋には物が多いことは薄々感じていたが、まさかここまでとは思わなかった。自分で自分を越えていく。なんてストイックなんだろう。

自分の想像の向こう側へ---NIKE.

ありそ~~~!!!!超ありそう!!!!!そう思うと結構かっこいい気がしてきた。こうやって自分の想像をいつでも裏切っていきたい。部屋が汚くてもなんとなくどこに何があるか把握できる歓び。見つかった時の感動。そういうものを大事にしたい。見逃してしまう歓びの種を暖かな大地で育てましょう(by YUKI)
(掃除は好きだけどめんどくさいの。本当にめんどくさい。スイッチ入るまでがめんどくさい。風呂と一緒。)

最近、友人がTwitterに「部屋が綺麗な人は収納を増やすのではなく物を減らすらしい」みたいなツイートをしていていたく感動した。

私、その前日にハンガー60本買ってたけど。

多分一生片付きません。
最後までありがとうございました。さようなら。

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