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ミルクボーイANNでかかった、桑田佳祐”祭りのあと”に想うこと

2020年1月6日、26時30分、今年の初泣きを記録した。俗に言う、泣き初め(なきぞめ)である。
正確に書けば、23歳の大学院生・男性が、2020年に入って一週間足らずに、深夜に一人ベッドの上で号泣したということだ。

文章におこすと、少々気持ちが悪い。だが、そこには、だれもが一度は体験したことがあるであろう、星や海を見て遠くに想いをはせるような、そんな時間が流れていたのだ。

実際に、この夜に何があったかというと、新年早々彼女から別れ話を切り出されたわけでもなく、親族が亡くなったわけでもない。
ただただ、ベッドの横の机に充電しながら置いてあるオレンジ色のスマートフォンから、ミルクボーイのオールナイトニッポンがradikoを通して流れていた、それだけのことである

文章に起こすと、とてもではないが、怠惰で、新年早々呆れてしまうような情景である。しかも、25時から始まり、最初の1時間半、26時半までは、ぼーっとしながら、時にはうたた寝(深夜1時にうたた寝という表現が適切なのかはわからないが)をしたりしていた。

さて、ミルクボーイ、という単語を知らない人は、令和2年の今、少数派であろう。M1グランプリで、ダークホース的な立ち位置で見事に優勝し、翌日のテレビでは、コーンフレークや最中(時にはデカビタ)が、
”自分たちのよさにようやく気付きやがって” といわんばかりに特集されていた。

一夜にしてまさにシンデレラボーイとなったミルクボーイだが、その道のりは苦節、というよりも、腐り、だったようである。
その様子はこちらの記事を参考にしていただきたい。
いや、参考どころではない、絶対に読んでいただきたい。
なんと、これはM1の意気込みを聞いているインタビューで、この後のハッピーエンドをすでに知っている我々が今読み返すと、それだけでも素敵な映画を一本見たかのような気持ちにさせてくれるのだ。

さて、ミルクボーイの歴史については、ある程度ご理解いただけただろうか。上記の記事を必ず読んで、思う存分想像を膨らませてほしい。ここまでが、いわゆる前提条件である。
ここからが、このnoteを書くに至った話である。

2020.1.6 25:00 ミルクボーイANNが始まった
M1王者の初のANNということで、お笑いが(にわかにも)好きな筆者自身もとても楽しみにして聴いていた。
トーク初めのパーソナルな話、それに続くコーンフレークのコーナー、子供ラジオの件(くだりと読むと、より気持ちが昂る気がするのは僕だけでしょうか)、ミルクボーイの魅力が伝わる、またやって欲しいと思えるラジオであった。
軽快なトーク、はがき職人とも波長のあったコーナー、シンプルにとても面白かった。(ぜひ、ミルクボーイANNで検索して聴いていただきたい)
筆者自身も、23歳、親戚付き合いからくる正月特有の疲れからくる本能的な睡魔に負けつつも、楽しんでいた。
そんなこんなで1時間半が経った。

2020.1.6.26:30近く 
桑田佳祐”祭りのあと”が流れた。

考える間もなく、僕はうたた寝から目を覚まし、ベットに仰向けになりながら、涙を流した。考える間もなく、というのだから、ミディアムチューンの曲調が、シンプルに正月疲れの身体に心に染みただけなのかもしれない。
でも、3日が経った今を想えば、それ以上の感情が、そこにはあったような気がしてならない。

祭りのあと、という曲名について言えば、M1で優勝し、年末年始の特番に出突っ張りで、ようやく落ち着いて2人きりで会話する時間がもらえたミルクボーイANN、まさにM1という”祭りのあと”である。

桑田佳祐、について言えば、決して若手とは言えない2人(とはいうものの、30代前半ではある)が、新年の深夜にリラックスした状態でラジオで喋り、いわゆる”世代”である桑田佳祐の曲を流すこと、そこには、我々視聴者には想像のつかないような、曲、そして桑田への想いがあったのかもしれない。

曲調、について言えば、アルピーがANNのラストで使っていたandymori”夢見るバンドワゴン”的な、ミディアムチューンは、深夜に聴くには十分すぎるほどに心に染みてくる。特にミルクボーイという、EXITのような新時代感のない芸人の背景を表すには、そのノスタルジーのようなものは、若干23歳の筆者の心にも直に響いてきた。

歌詞、ついて言えば、すべての言葉がミルクボーイのためにあったのではないか、と思えるほどにマッチしている。

冒頭の”情けない男でごめんね”は、腐っていたミルクボーイの暗黒時代を表しつつ、M1優勝以後の心の余裕を表しているようにも感じられる 。

Bメロの”恋も涙も純情も生きるためには捨てよう”
は、霜降り明星の優勝に刺激を受け、飲み会を断ってまで漫才に打ち込んだミルクボーイの生き様を、まさに表しているように思える。

サビの”眠れない街に愛する女性がいる”は、すべてを捨てて、コントに身を注いだ時間に対する懺悔や希望、様々な感情が浮かんでくる。

そして、サビ終わり
“夢の中で彷徨いながら涙も枯れ果てた”
M1の優勝者が発表された時、号泣するわけでもなく、”こんなの夢だ”と言い放ち、立ち尽くすミルクボーイの姿を思い浮かべる。

それまで、子供のクイズのようなコーナーをやっていた二人から、いつのまにか哀愁と希望を感じていたのであった。

2番の解釈については、ここまで読んでいただいた方々に委ねるとする。僕が文字に起こすよりも、個々で感じてもらった方が心に染みると思う。ぜひ、Apple music等のサブスクで、音源を聴きながら、歌詞を見ながら、深夜に一人でベッドで思いを巡らして欲しい。 

かくして、23歳、大学院生の筆者は、嗚咽をあげながらベッドで涙を流したのだ。
ラストのサビ、繰り返しの
“眠れない街に愛する女性がいる”
というところで、令和2年、心臓が射抜かれた気すらした。

さて、この記事を書いているのは、王子の居酒屋で友人と飲んだ帰りである。
その友人とは、幼稚園に入るよりも前に親の住んでいたマンションが同じだった、大学が同じ
という、言葉にすれば、ほんのわずかな接点があるだけの友人である。
だが、幼稚園以前からの親を介した付き合いというのは、今もなお深く心に残っているものである。
幼少期の家族ぐるみの旅行の別れ際、当時はアメリカと日本くらいに感じた距離も、今では所詮電車で1時間の距離である。

数年振りの再会、サシで飲むのは初めて
記憶に残るわずかな思い出を、これまでの人生を振り返るかのように、二人でジョッキを交わしながら語らう。
小・中、大学生の思い出を共有していない二人が、数年ぶりに再会し、日々の生活や就職の悩みを話し合い、最後には今度二人で旅行をしよう、と約束した。

帰りの南北線、僕の心には、やけに ”祭りのあと” が染みるのであった。

そんな大学院生活である。



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