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本邦初公開。今だから笑える、2021年度は体調が絶不調だった話。

2021年はデビューして13年間で1番キツかった時期だった。

はじまりは2021年7月1日。
忘れもしないGLEATのビッグマッチ東京ドームシティホール大会、その大会に俺はGPRO部門の(その大会はUWFとの合同大会)のメインイベントに出場。

もちろんヤル気は最高潮、体重は86kg→79kgまで落として挑んだ。*今思えばこのらしくない減量が事の始まりだったかもしれない

対戦相手は同じGLEAT所属の河上選手、体重差はおよそ15kg。正直このくらいの差なら全く問題ないと感じていた。開始早々に仕掛ける。遅い!イケる。自分自身でも興奮しているのが分かる。

相手が場外に落ちた瞬間に、今のコンディションなら
史上最高のトペスイシーダ(ロープの間から場外に飛び
相手に身体ごとぶつかるリスキーな技)が出せる!そう試合をしながら判断した俺はメキシコ遠征以来のトペを発射。。。

!!?

急に目の前が白くなった。マジで白くなった
歓声が聞こえなくなり呼吸が出来ない。なんだこの初めての感覚は。。?
そこでレフェリーが急にかけよってきた。

は?何を訳分からん事言ってるんだ?
俺はそう思っていた。痛過ぎて、苦し過ぎて、何を考えて良いか分からなくなっていた。

アドレナリンさんが
運悪くその日は留守だった。

レフェリーはずっと
「止めるぞ?止めるぞ?」と連呼していた。

ふざけんな、俺はメインイベンターだ。
そんじょそこらのやつと一緒にすんな

その思いだけで身体を動かし続けた
その後は苦しい、痛い、が続き試合は正直あまり覚えていない。ただ負けた、それだけは分かった。

後々、映像を見返しなぜあんなに苦しかったのか分かった、俺は興奮し過ぎて相手との距離を計算出来ずに場外鉄柵フェンスにダイレクトに脇腹から突っ込んだ。
そりゃ痛いし苦しいわな笑

*その映像がありました😆
1:26:01〜どうぞ。

控え室に帰ってもずっと苦しかったので、あーこれは完全にやったなと31年生きてきて初めての骨折だった、まともな欠場もこの時がキャリア初。
痛みよりも悔しかった、負けた事よりも悔しかった。

怪我を経験したことがなかった俺は寝たらなんとかなるだろ!くらいの軽いノリでその日は寝た、翌日の痛みがエゲつなかったのは言うまでもない。。

とりあえず病院には行かないと、レントゲンを撮りに行く。何かの間違いで「いやーギリ折れてないですねー!ははは笑」みたいなカジュアルなノリでドクターが言ってくれないかなと淡い期待を抱きながらレントゲンを撮る。。。確認。。。ゴリゴリに折れていた笑

余談だが、この時ドクターに
「あれ?反対側の肋骨も昔折れたことある?」と聞かれた、俺は「え?記憶に無いで、、、あ!!!」

心当たりがある。
間違いない、あん時だ。

高校野球部時代にクロスプレー
(キャッチャーとランナーがホームベース上でアウトかセールになるかのせめぎ合い)でランナーの膝が脇腹にモロに入り、バキバキバキバキ!!とものすごい音が鳴り、呼吸が出来なくなったあの時だ!!

まあ当時は休んだら一生レギュラーにはなれないと分かっていたので休まなかったですが。
*ちなみにレギュラーにはなれなかったです😂

病院ではなぜこの状況になったのか、ドクターに説明をしないといけないため、試合映像をドクターに見せた。ドクターは非常に珍しいケースだ!と言った(そりゃそうだろ笑)と思いながら聞いていたが、なんだか看護師さんまでも集まってきた。今思えばその状況は面白かった笑

しばらく安静!(そりゃそうだろ2笑)と思いながら
帰り道にドーナッツやら菓子パンやらを買い込みヤケ食いしてやった、1.2週間くらいで体重は89kgまで戻った。

生涯最悪のコンディションが訪れたのはなんだかんだ肋骨も治りかけてきていよいよ復帰!!する!!くらいの時期に急にやってきた。

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