自分のやりたいこと③ - 社会人編
前回の記事はこちら(新社会人編)
高いお金を払って資格学校に通ったがなかなか合格できず悶々とした日々を過ごしていた。
気づくと2014年の春になっていた。
社会人2年目の春だった。
チャンスは急に訪れた。
会社で海外企業との合同プロジェクトが立ち上がった。
プロジェクトマネージャーはバーベキューで話をした経営企画のお偉いさんだった。経理からも何人かアサインされることになった。これはチャンスだ!と僕は思い、手をあげてアサインされるように上長に頼み、アサインされることになった。
プロジェクトでの僕の担当は英語で書かれた分厚い契約書を読み込んで会計的にどういうリスクがあるかまとめることだった。短い期間で分量もかなりあったため読み切るのは困難だった。お偉いさんからも大変なのでできる範囲でいいよと言われていた。
あまり期待をされていなかった。
しかし、これはアピールするチャンスだ。と僕は張り切った。このときに資格の勉強が役に立った。会計英語に慣れていたため文章を読むのにあまり苦労をしなかった。徹夜をして、気づいたリスクを並べた。
それ以外にも専門的な質問ができるぞとアピールするために、コールオプションやプットオプションなど会計の中でも専門的な質問をした。
あまりにも専門的で深すぎて、経営企画のお偉いさんもわからなかった。
結果、お偉いさんから経理の課長に対応が振られるというブーメランだった。
気合を入れて深い質問をすればするほど、経理に返ってきてしまう。
気合は空回り。お偉いさんも淡々とした対応だった。
結局、時間切れで何も形に残すことはできなかった。
こうしてプロジェクトは終わり解散となった。
3か月後
ある日、課長に会議室に呼び出された。
PCやメモ帳を持って行こうとしたら何も要らないと言われた。そういうときはいつも重要な通知が伝えられたりする。
ビクビクしながら会議室に入ると、
「経営企画への異動が決まりました」
と伝えられた。
その瞬間、心の中ではガッツポーズだった。しかし僕は素直じゃない生き物なので
「ちなみにこれは断るという選択肢もあるのでしょうか?」と無意味な質問をした。
後日、先輩からこっそり教えてもらったのだが、異動は前のプロジェクトでの僕の働きぶりが評価されて決まったらしい。
プロジェクト中は、お偉いさんは全く興味のないような反応だったが、実際はよく見ていたということだ。仕事というのは見られてないようで実際はよく見られていたりする。
結局、経理にいた期間は1年半だった。
こうして社会人2年目の秋に経営企画に異動になった。
経営企画での業務は事業計画を中心とした予実管理、お偉いさんへの月次報告だった。経理の時は実績を見ていたが、今度は事業計画という会社の将来を見ることになった。
やりたいことができるとウキウキだったが、異動で想定外だったことが二つあった。
一つは自分が担当する事業について。
経理では法人事業担当だった。当然、経営企画では法人事業を担当すると思っていたが、まさかの個人事業を担当することになった。担当する事業が変わったので今までの自分のサービスに関する知識が全く通用しない。
経営企画という業務自体の勉強をしながら、サービスを0から勉強するということになった。
そしてもう一つの想定外は、そのポジションについて。
前任者も僕のように若手だったが、結局うまく回すことができなくて半年で異動にさせられたポジションだという。
知らない経営企画業務、知らないサービス、プレッシャーのかかるポジション。
いろいろと困難はあったが、自分で選んだ道。やるしかなかった。
デビュー戦はお偉いさんへの月次報告だった。
大きな会議室で、お偉いさん達を前にして、スライドを投影して計画に対しての経営状況を報告していく日だ。毎月これが行われる。
その日にむけて僕は資料を何度もチェックをした。
迎えた当日。会議の時間になった。
会議時間の前から参加者はすでに全員スタンバイ。
財務のトップが来てすぐ始められるように。
全員がそろって時間ちょうどに財務のトップが現れた。
そこから会議スタート。
まず経営企画のお偉いさんが今月から新しい担当です。と僕を紹介する。
財務のトップ「はい、どうも。始めてください」と淡々と一言。
そして僕は報告を始めた。
大きな会議室にはたくさんの人がいる。
お偉いさんも何人もいる状況で、僕の声は震える。
一枚ずつスライドを説明していく。
僕が説明を終えても「はい、次」とトップの許可があるまで次のスライドに移れない。
会議室に沈黙が流れる。
次、と言われるたびにほっとする。順調に1枚、2枚、3枚と進んでいった。
しかし、4枚目で「ちょっと待って」とストップが入る。
トップ「これ、おかしいでしょ。整合性が取れてない」
前後のスライドで整合性の取れていない(つじつまが合わない)数値が書かれていた。
「はい、すいません。。。」
スライド4枚目にして早くもダメだった。1枚でもスライドの整合性がおかしいとなると、当然全体の数字は大丈夫か。
という風になる。
場は完全に白けた。それ以降は淡々とやった。
あまり記憶にない。
デスクに戻ると先輩が「おつかれー」と声をかけてくれた。
これには二つの意味があって、初のデビュー戦と僕のミスに対する意味だった。
僕「いやー、ミスしてしまいました。やばいですかね?」
先輩「まだ最初だし、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。」
僕の中で“まだ”という言葉が引っかかる。今は大丈夫というわけだ。今は。
経理の時は自分がミスして上司から怒られても、心の中でこれはやりたいことではない、本当にやりたい仕事だったら自分は集中してもっとうまくできる。と自分の中で都合の良いように思っていた。
今回は自分のやりたい仕事で、自分の力を出し切った。
今までは言い訳できる逃げ口があったのに今回はどこにもなかった。
自分のやりたいことに対しての、自分の力不足を正面から受け入れるしかなかった。これが僕にとっての社会人で一番悔しい経験だった。
せっかく掴んだチャンス、逃したくないと思った。
そもそも数字の規模感が大きいものをどのように管理していけばいいのか。
規模の小さいお店だと、数値がおかしい時には肌感でなんとなくわかったりする。社員が4人しかいないのに、人件費が1億円だったりすると、1人当たり年間2500万円?とおかしいことがすぐにわかる。
会社にはたくさんの商品がある。さらに商品以外にも費用は営業施策、広告宣伝、事務所賃料、電気代、人件費とあり、無数のように会社にはお金の動きがある。これらすべてを一つずつ確認することは不可能に近い。営業利益1000億円以上クラスの大企業だと数字が大きすぎて、その数値が本当に異常値かどうかよくわからなくなる。
例えば、その大企業の今年度の人件費が340億円だったする。それが急に来年度では人件費が380円億の計画になったとする。規模が大きすぎて、この380億円は間違っているかわからない。
もしかしたら担当者の入力ミスかもしれない。もしかしたら何かの人員増加かもしれない。
このときの対応方法としては、すぐに過去の傾向を見る。
毎年330~350億円程度で推移しているものが急に380億円が出てくると少し違和感がある。こうして傾向分析をして異常値を探して、本当に何か施策をやるのか、ただの担当者のミスなのかチェックする。
他にも、営業利益率や全体の費用に対するその費用が占める割合などでチェックする方法がある。
デビュー戦以降、過去の傾向をちゃんと見るようにした。おかしなところはないかひたすらに探した。
また資料が完成すると必ず印刷して蛍光ペンで一つずつ念入りにチェックをすることにした。一つでもおかしい箇所があると、他の数値も修正をする必要があるのでそのたびに印刷をし直す。
月次報告というのは基本的に経営者の立場からすると1日でも早くほしいものなので、スケジュールはタイトだった。そのため作業は深夜に及んだ。
気づくとデスクに誰もいなくなって自分だけになることもしばしばあった。
そんなときは寂しいと思うより、よしっと思って鞄からイヤホンをとりだしてYoutubeを聞き始める。毎月そんな生活が続いた。
その後は組織再編等でいろいろと大変なことがあったが、なんとか半年間耐えることができ、無事に社会人2年目を終えることができた。
今、この記事を書いて思ったがよくそんなハードルの高い仕事を任せてもらえたなと思った。経営企画業務、サービスさえ知らない、仕事のやり方すら怪しい社会人2年目の僕にそういうチャンスをくれた経営企画のお偉いさんや会社に本当に感謝したい。
またここには都合上、書くことができないが経理時代にも僕の成長のために個人的にいろいろとしてくださった上司や先輩に感謝したい。
振り返ると、自分がやりたいことができたきっかけは、プロジェクトの話が回ってきたときに、チャンスだと信じて積極的に手を挙げたことだったと思う。
そしてプロジェクトでのお偉いさんの期待値が低かったからこそ、期待値を超えることができた。
一方で、経営企画に配属されてからは期待値が高かった。その期待を大きく超えることができたわけではないが自分の成長に繋がったことは事実だ。
仕事ができる要素の一つとして、相手の期待値を読めるかが重要だ。
お客さんの期待値が高ければ、期待値を超えるようなサービス、パフォーマンスをしなければならない。期待値を超えたときに、我々は仕事ができると思う。
ディズニーランドも毎回、我々の期待値を超えてくるからこそ我々は彼らのサービスに感動する。
こうしてあっという間に社会人2年目が終わり、僕は社会人3年目になった。
その当時の僕は3年目も同じような日々が続くと思っていた。
まさか自分から経営企画を出たいと言い出すことになるなんて予想だにしていなかった。
つづく
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